(ここで、私が出た高校について弁護しておくと、勉強一辺倒ではない「文武両道」の校風を強調しており、例えば、ラグビー部は何度か花園に出場したことがある。
かつては新体操部もあって、OBの中にはNDTを日本に招聘した方もいらっしゃる。
つまり、「受験競争」の一方で、それなりに自由な空気もあったことを付け加えておく。)
さて、大学に入ると、入学式の会場で予備校のパンフレットが次々に配布される。
内容は、司法試験や公務員試験の受験対策に関するものである。
寮に入ると、図書ルームには、先輩たちが置いて行った予備校本の類が沢山並べてある。
そう、これが「法学部における犠牲強要とクソな競争」の序曲だった。
「ラット・レース」は終わっていなかったばかりか、更に激化していたのである。
入学して半年~1年のうちに、多くの学生が予備校に通い始める。
かくいう私も、某司法試験予備校の「入門講座」を受講した。
バブル崩壊で先行き不透明な中、やはり資格を持っておかないと生きていけないのではないかという「恐怖心」が芽生えたからである。
こうした「恐怖心」のためか、バブル崩壊後の1994年頃から司法試験受験者数はどんどん増えて行く。
「受験者数は、1992年までは2万人をやや上回る水準で推移した後、1993年(17714人)には2万人を下回る。その後は増加がはじまり2003年は45372人で最多となった。」
私が通っていたところには、ある日、「在学中合格者」と称する人がやってきて、「短期合格の秘訣」を披露した。
今でも覚えているのは、選択科目についての次の説明である。
「やっぱりおすすめなのは『国際私法』です。答案24通丸暗記でOK!」
「問題」は既知のものの中から与えられるだけなので、「解答」は予備校が事前に準備したものを暗記して吐き出せばよい。
「何だこれは?まるで『国会』じゃないか!茶番じゃないか!」
・・・というわけで、予備校通いは「入門講座」でやめにして、映画館通いを始めた(ちょっとだけ言い訳すると、外国の映画を見ることは語学の勉強の一環とも言える。)。
当時、東京にはいくつもミニシアターがあり、比較的安い料金で良質の映画を上映していたのである(90年代東京ミニシアターガイド(1))。
一種の現実逃避なのかもしれないが、それほど「クソな競争」は激化していたのである。