Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

社会通念と循環論法

2021年03月02日 06時46分03秒 | Weblog
「黒染め強要」の合法判決があまりに時代錯誤だった
 「明治時代に当時の文部省によって『小学生徒心得』が発行されて以降、昭和に入って、学生運動に影響を受けた自由化の波や社会的現象となった非行を学校側が抑えつけようと、校則はより細かくなっていったという経緯があります。そうして多くの学校が染毛の禁止を定めた校則を作ったがゆえに、社会全体に「中高生の染毛はよくない」という価値観が広まり、「社会通念」ができあがったのではないでしょうか。
 「それにもかかわらず、その校則が「社会通念に照らして合理性」があるとされるならば、校則を変える余地はなくなります。つまり、「校則が社会通念を作った」のに、「社会通念に即しているから校則は変えなくてよい」というのは、「循環論法」です。裁判所が論理学上の詭弁を弄してしまっているのです。

 高校入学時、殆どの同級生が丸刈りでないのを見てショックを受けたことを覚えている。
 私がいたド田舎の中学では、男子は校則で全員丸刈りとされており、1センチ以上伸ばそうものなら体育教師がバリカンで強制的に剃ることになっていた(らしい)。
 だから、知らず知らずのうちに、「髪を伸ばすことは悪いことだ」という感覚が自分の中で育っていたのだが、これは高校入学と同時にアッサリと崩壊した。
 上の記事も指摘しているように、「社会通念」なるものは、あまり合理性のない決まり事などから出来上がっている可能性がある。
 だから、「社会通念」を判断基準にするのは危なっかしく、むしろ、何が「社会通念」を作り上げたかを注意深く分析する必要がある。
 こうした観点からすると、大阪地裁の裁判体(裁判官)は、やはりこうした点に鈍感だったと思われる。
 ところで、「女性だけにヒールやメイクを強要する等、職場での性差別的な服務規程」も批判されているが、メイクといえばこの動画を挙げないわけにはいかないだろう(またメイクしてみました。)。
 

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