能 生田敦盛 (いくたあつもり) 替之型(かえのかた) 山階彌右衛門(観世流)
「敦盛」ではなく、「生田敦盛」の方で、あらすじは比較的単純である。
「黒谷の法然上人が賀茂のへ参詣のした帰途のこと、下り松の下で美しい男の捨子を見つけて拾って帰った。十余歳に成長したころ、説法の後にこのことを聴衆の前で話すと、若い女が走り出て、自分がその子の母であり、その子の父は平敦盛であると名乗った。
その子は、賀茂明神へ参詣して父との対面を祈ると、生田の森へ行けとの霊夢を蒙った。生田き、日が暮れたので、ある庵に宿を借りようとすると、甲冑姿の敦盛の霊が現れる。敦盛は、一の谷での物語をして、親子の対面を喜び、舞を舞う。そこへ閻魔王からの迎い、修羅の敵も現れる。敦盛は修羅道の苦患を受けるが、やがて暁になり、霊の回向を頼み、消え失せるのであった。」
その子は、賀茂明神へ参詣して父との対面を祈ると、生田の森へ行けとの霊夢を蒙った。生田き、日が暮れたので、ある庵に宿を借りようとすると、甲冑姿の敦盛の霊が現れる。敦盛は、一の谷での物語をして、親子の対面を喜び、舞を舞う。そこへ閻魔王からの迎い、修羅の敵も現れる。敦盛は修羅道の苦患を受けるが、やがて暁になり、霊の回向を頼み、消え失せるのであった。」
16歳又は17歳で戦死した平敦盛に子どもがあったという伝説があるらしく、それに基づいて、「小敦盛」が幽霊である父敦盛に出会うという筋立てである。
再会を果たした直後、父子は相対し、子が右手で父の左腕を掴むというやり方でコンタクトを行う。
だが、別れ際になると、子が父を後ろから追いかけて、父の左袖を手で掴むというやり方でコンタクトするのである。
これを見て私は、死せる夫が生きた妻にコンタクトする、「No Mans Land」のラスト・シーン(夏のダンス・ウィーク(4))を思い出した。
こういうシンプルな動作こそが、人間の心を深く打つのだろう。