死刑廃止の世界に取り残される「死んでおわび」の日本文化
「日本の死刑制度に対しては、国連機関をはじめ国際社会からの厳しい批判がある。
それに対して、たとえば2002年に森山眞弓法相(当時)は、「欧州評議会オブザーバー国における司法と人権」という国際会合で、死刑は日本の文化であり、「死んでおわびをする」という慣用句にはわが国独特の、罪悪に対する感覚があると反論している。」
森山法相の発言は、ある意味では、当時の日本におけるマジョリティの見解を示したものと言える。
この種の社会では、命(人身)は、重大な損失に対する償いとされ、réciprocité (相互依存)を実現するための道具となっている。
これは日本特有のものではなく、例えば、ポトラッチを見ると分かりやすい。
ポトラッチもやはり同一の原理に基づく行為であり、(財物では償うことが出来ないような)莫大な価値のあるものを相手に与えることによって、相手に「返礼する義務」を課し、相手を自分に従属させるというもの。
「死んでお詫びをする」という行為は、「命」(人身)を供物として与えるものであり、この延長上にあるわけである。
ところで、相手に「返礼する義務」を課する行為は、一見すると分かりにくいが、DVなどの虐待事案でときどきみられる。
行政が加害者と被害者を分離すると、加害者は、いきなり自殺してしまうことがあるのだが(依存性パーソナリティ障害)、これが、一部で「最後のDV」と呼ばれている。
「最後のDV」は、被害者に対しては、一生にわたって「(対価を支払うことが出来なくて)申し訳ない」という気持ちを抱かせ、自分に従属させるという狙いがある。
「日本の死刑制度に対しては、国連機関をはじめ国際社会からの厳しい批判がある。
それに対して、たとえば2002年に森山眞弓法相(当時)は、「欧州評議会オブザーバー国における司法と人権」という国際会合で、死刑は日本の文化であり、「死んでおわびをする」という慣用句にはわが国独特の、罪悪に対する感覚があると反論している。」
森山法相の発言は、ある意味では、当時の日本におけるマジョリティの見解を示したものと言える。
この種の社会では、命(人身)は、重大な損失に対する償いとされ、réciprocité (相互依存)を実現するための道具となっている。
これは日本特有のものではなく、例えば、ポトラッチを見ると分かりやすい。
ポトラッチもやはり同一の原理に基づく行為であり、(財物では償うことが出来ないような)莫大な価値のあるものを相手に与えることによって、相手に「返礼する義務」を課し、相手を自分に従属させるというもの。
「死んでお詫びをする」という行為は、「命」(人身)を供物として与えるものであり、この延長上にあるわけである。
ところで、相手に「返礼する義務」を課する行為は、一見すると分かりにくいが、DVなどの虐待事案でときどきみられる。
行政が加害者と被害者を分離すると、加害者は、いきなり自殺してしまうことがあるのだが(依存性パーソナリティ障害)、これが、一部で「最後のDV」と呼ばれている。
「最後のDV」は、被害者に対しては、一生にわたって「(対価を支払うことが出来なくて)申し訳ない」という気持ちを抱かせ、自分に従属させるという狙いがある。