Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

見せてはいけない?

2024年05月01日 06時30分00秒 | Weblog
 「東京バレエ団が上演するのは、数ある演出版の中でもドラマティックな演出が特徴のブルメイステル版です。芸術監督の斎藤友佳理が就任直後から上演に取り組み、2016年に初演を果たしたのちも、衣裳や装置の新制作を続けて、2022年に6年越しでプロジェクトを完成させました。

 私は、この”ハッピー・エンド”で幕を閉じる「ブルメイステル版」が余り好きではない。
 というのは、チャイコフスキーの音楽を聴く限り、この物語が”ハッピー・エンド”になるはずがないと思っていたし、「ハッピー・エンドの筋書きにせよ」という旧ソ連政府の意向を受けた、つまり政治的な思惑でゆがめられたものだからである。
(ヌレエフ版の読みの深さと比べれば、「大人と子ども」といって良いくらいのレベルの違いがある。)
 ところが、会場に掲示してあった「プティパ=イワーノフ版の上演(2)」と題する絵「第4幕 幕切れのスケッチ」を見ると、何と、娘の姿に戻ったオデットと王子が、白鳥が導く小舟で湖を進むシーンが描かれている。
 つまり、プティパ=イワーノフ版では、”ハッピー・エンド”になっていた可能性があるのである。
 だが、やはりこれは正解ではないだろう。
 というのも、チャイコフスキーの意図は、あくまで「ローエングリン」へのオマージュというものであり(この点は動かない)、そうである以上、幕切れは悲劇的であるべきなのだ。
 さて、私が観た日のオデット=オディール役は沖香菜子さん。
 出産に伴う長いブランクがあり、昨年11月の「眠れる森の美女」では回転時に軸がやや傾く傾向がみられたが、今回は全くそのようなところがなく、完全復活という印象である。
 「バレエホリデイ」ということで、子ども連れが多かった。

 「多くの人々の心の奥に潜む物語「シンデレラ」を、Kバレエ・オプトが日本の現実を生きるヤングケアラーを主人公に新たな物語として再生。振付・演出はジュゼッペ・スポッタ。彼は大家マウロ・ビゴンゼッティの弟子で、ヨーロッパで最注目の若き俊英振付家。原案は新しい詩の運動をまきおこし様々な領域で活動する希代の詩人、最果タヒの書き下ろし詩集「シンデレラにはなれない」。演奏は古い電化製品を「電磁楽器」に蘇らせ演奏する異才の音楽家、和田 永。衣裳はジェンダーレスブランド・MIKAGE SHINをリードする気鋭デザイナー進 美影。メインビジュアルはヒグチユウコ描き下ろしのイラスト。そして、ダンサーには円熟味を増し繊細な表現力が期待される森 優貴、酒井はな、白石あゆ美が参加。最前線で活躍するクリエイターたちの技と閃きが凝縮した新たな「シンデレラ」が誕生する。

 シンデレラ=「ヤングケアラー」という設定がまず斬新だが、音楽も衣装もダンスも全てが新しい。
 シンデレラは、祖父(認知症)、母(精神を病んでいる)と妹(母と新しい男の間の子)を世話している少女であり、彼女がいなくなれば残りの家族はたちまち生存できなくなるという極限状態に置かれている。
 もちろん、「王子様」も「ガラスの靴」も登場せず、シンデレラは長く黒い靴下で自由を制限されている。
 ここまでで、既にブラックなお話だと思うのだが、それ以外の要素も凄い。
 楽器は古い家電製品(扇風機とブラウン管テレビ)などであり、聞いたこともないような音を立てる。
 シンデレラ以外のダンサーは皆一色の衣装で、グロテスクな動き満載のダンスを踊るところは、かつての暗黒舞踏に似ている。
 舞台は、音楽に注目すると、80年代のテクノ音楽が流れるヨーロッパのディスコのようでもあるが、ダンサーに注目すると、東南アジアの猥雑なクラブのようでもある。
 いずれにせよ、刺激が強くて、余りにも幼い子どもには見せられない内容のように感じる。
 昨年は、「眠れる森の美女」を天皇皇后両陛下が鑑賞されたが、この演目を鑑賞していただくのは難しいだろう。
 何しろ、認知症の祖父は死に、母(酒井はなさんの存在感!)は精神病院に入院し、シンデレラは独りぼっちで「家」に取り残されるという結末なのだから。
 それだけ"攻めている"ということなのだ。
 

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