指揮=上岡敏之
ピアノ=イーヴォ・ポゴレリッチ
ショパン:ピアノ協奏曲第2番 ヘ短調 作品21
ピアノ=イーヴォ・ポゴレリッチ
ショパン:ピアノ協奏曲第2番 ヘ短調 作品21
<アンコール曲>同上 第2楽章
ショスタコーヴィチ:交響曲第11番 ト短調 作品103 「1905年」
ショパン&ショスタコという組合わせ。
前半のソリストはポゴレリチで、コンチェルトでも楽譜を見て弾くという徹底ぶりだが、テンポはごく普通でちょっと安心した。
過去は、極端に遅いテンポで話題になることもあったのである。
今回は、指揮者の上岡さんのボルテージが上がっており、時折ポゴレリチをにらみつけるような場面もある。
テンポが問題となるとすれば、やはり2楽章なのだろうが、ポゴレリチは全く力むことなく軽々と演奏する。
細部に至るまでオーケストラと息がピッタリあっていたのは、入念なリハーサルの成果なのではないだろうか?
満足のいく出来だったようで、アンコールも2楽章だった。
おかげでやや時間が押してしまったのだが・・・。
ショスタコ11番には、正く反対の2つの解釈がある。
「この曲は無抵抗のまま殺された労働者への鎮魂とも、革命讃美の政権プロパガンダともいわれる。正反対の解釈であり両立はしない。ショスタコーヴィチの政治的立ち位置は当然ながら隠蔽されているのでどっちかという判断は誰もできない。」
というわけで、いずれの解釈かは聴き手(と演奏者)に委ねられることとなる。
私が直観で感じたのは、
・1楽章・・・死者たちの呪い
・2楽章・・・ゾンビの行進
・3楽章・・・ゾンビの跳躍
・4楽章・・・死者たちの復活
というもの。
音楽以外に、指揮者の上岡さんの動作も直観を刺激してくれる。
例えば、3楽章では、指揮をしながらしきりに上下に動くので、そのような動く物体を示唆しているように感じるのである。
ということで、結論としては、「無抵抗のままで殺された労働者への鎮魂」と解釈する。