続く「天満屋の場」では、徳兵衛とお初との「心中合意」が描かれる。
巷では徳兵衛が九平次のハンコを盗用して手形を偽造した(偽判)という噂が流布している。
お初は徳兵衛の無実を知っているが(頼もしだてが身のひしで 騙されもんしたものなれ共)、そのお初ですら、何と「証拠なければ理も立たず。此の上は徳様も 死なねばならぬ品なるが。死ぬる覚悟が聞きたい」と述べる。
私は、この「証拠なければ理も立たず」という言葉に愕然とする。
民事裁判の場合、徳兵衛が主張立証すべき要件事実は、① 金銭授受、② 返還約束 であり、本件の場合、①②の証拠として、九平次が押印した手形(いわゆる処分証書)が存在する。
九平次は、①②とも否認し、その論拠として、手形の陰影は「改印」される前の印章によるものであり、ゆえに自分はこれに押印していない(自己の意思に基づいて作成されたものではない)ことを挙げる。
つまり、手形の成立の真正を争っている。
対する徳兵衛(とお初)は、九平次が言うところの「改印」のところで思考停止してしまい、その論拠(「改印」の実体、九平次の供述や彼の友人たちの証言など)を弾劾することを、なぜか最初から諦めているのである。
これは一体何によるものだろうか?
「特定のことをすべきだと言い立てる人がいるとして、それには従わず、その論拠を糾し、反論する、ということは大切なことである。しかしさらに進んで、提出された論拠をデータを使って吟味し、また使われた概念の明晰度を疑う、言うなれば論拠の論拠を問う、そうして、それが正しいかどうか、それに従うべきかどうか、を論ずる前に入り口で失格させる、ということも極めて重要である。・・・
ちなみに、鴎外が結局見抜いていたように、日本の近代的な欠陥はクリティックの欠如に存する、と私も考える。」(p27~28)
徳兵衛にもお初にも「論拠を問う」思考が存在しないということは、おそらく当時の裁判はそういうものだったということなのだろう。
私は、ここにやはり「クリティックの欠如」を感じてしまうのである。
以上で見たとおり、ドナルド・キーンさんは、近松が抉り出した、① 「イエ」の病理(レシプロシテ原理を発動させ、個人を「客体」ないし「手段」にしてしまう)、② 「クリティック」の欠如 という2つの大きな問題(これが二人を死に至らしめた)を見逃してしまっているように見える。
もっとも、「道行」のくだりに関するキーンさんの解説は秀逸である。
「地位が高くなくても、人物の立派さでわれわれより優れてさえいれば、主人公としての資格が十分にあるということを近松は証明した。『曾根崎心中』の徳兵衛は道行に出かけるまでは、絶対に優れた人物ではないが、自分の行動について「此の世のなごり、夜もなごり、死にに行く身をたとふれば、あだしが原の道の霜、一足づつに消えて行く、夢の夢こそあはれなれ」というところでは、どの王様にも負けないほど沽券がある。道行までの徳兵衛はみじめであって、われわれの尊敬を買わないが、寂滅為楽を悟った徳兵衛は歩きながら背が高くなる。」(前掲p172)
ナビゲーターのいとうせいこうさんによれば、近松は、「お初はいわば観音様として、一人の人間(徳兵衛)を救ったのだ」と述べていたというが、私もこれに賛同する。
仮にお初が存在しない設定だったとすれば、徳兵衛は、「結納金の詐取」と「万座の中での恥」(準拠集団内における地位喪失)に対する代償として、九平次を刀で斬り殺すという、歌舞伎ではおなじみの展開になっていたかもしれない。
ところが、追い詰められた徳兵衛は、彼に寄り添うお初がいたことによって、いわば救済されたのである。
もっとも、殺人は回避出来たとはいえ、「結納金」=「叔父への恩」を返せなかった代償として、二人は命を捧げることなった。
死ぬ直前の徳兵衛は、
「我幼少にて誠の父母に離れ。叔父といひ 親方の 苦労となりて人となり。恩も送らずこのまゝに。亡き跡までもとやかくと。御難儀かけん 勿体なや・・・罪を許して下されかし」
と明確に自死(心中)の理由を述べており、結局レシプロシテ原理に捕まってしまったのである。
これは、叔父に対する関係では「死んでお詫びする」という疑似ポトラッチであるが、お初が敢えて九平次の目の前で「心中」の意思を表明したことから分かるように、九平次に対する関係では彼を一生「二人を死なせてしまって申し訳ない」という心情に陥れるための純正ポトラッチである。
このように、近松が描いたのは、二面的な性格をもつ「ポトラッチとしての自殺」だった。
以上を総合すると、「曾根崎心中」のポトラッチ・カウント(人命=5ポイントとする)は、10.0(★★★★★★★★★★)となる。
なお、今更言うまでも無いが、「曾根崎心中」は実話に基づく作品である。
二人に合掌。