Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

3月のポトラッチ・カウント(2)

2024年03月28日 06時30分00秒 | Weblog
 続く「天満屋の場」では、徳兵衛とお初との「心中合意」が描かれる。
 巷では徳兵衛が九平次のハンコを盗用して手形を偽造した(偽判)という噂が流布している。
 お初は徳兵衛の無実を知っているが(頼もしだてが身のひしで 騙されもんしたものなれ共)、そのお初ですら、何と「証拠なければ理も立たず。此の上は徳様も 死なねばならぬ品なるが。死ぬる覚悟が聞きたい」と述べる。
 私は、この「証拠なければ理も立たず」という言葉に愕然とする。
 民事裁判の場合、徳兵衛が主張立証すべき要件事実は、① 金銭授受、② 返還約束 であり、本件の場合、①②の証拠として、九平次が押印した手形(いわゆる処分証書)が存在する。 
 九平次は、①②とも否認し、その論拠として、手形の陰影は「改印」される前の印章によるものであり、ゆえに自分はこれに押印していない(自己の意思に基づいて作成されたものではない)ことを挙げる。
 つまり、手形の成立の真正を争っている。
 対する徳兵衛(とお初)は、九平次が言うところの「改印」のところで思考停止してしまい、その論拠(「改印」の実体、九平次の供述や彼の友人たちの証言など)を弾劾することを、なぜか最初から諦めているのである。
 これは一体何によるものだろうか?

 「特定のことをすべきだと言い立てる人がいるとして、それには従わず、その論拠を糾し、反論する、ということは大切なことである。しかしさらに進んで、提出された論拠をデータを使って吟味し、また使われた概念の明晰度を疑う、言うなれば論拠の論拠を問う、そうして、それが正しいかどうか、それに従うべきかどうか、を論ずる前に入り口で失格させる、ということも極めて重要である。・・・
 ちなみに、鴎外が結局見抜いていたように、日本の近代的な欠陥はクリティックの欠如に存する、と私も考える。」(p27~28)

 徳兵衛にもお初にも「論拠を問う」思考が存在しないということは、おそらく当時の裁判はそういうものだったということなのだろう。
 私は、ここにやはり「クリティックの欠如」を感じてしまうのである。
 以上で見たとおり、ドナルド・キーンさんは、近松が抉り出した、① 「イエ」の病理(レシプロシテ原理を発動させ、個人を「客体」ないし「手段」にしてしまう)、② 「クリティック」の欠如 という2つの大きな問題(これが二人を死に至らしめた)を見逃してしまっているように見える。
 もっとも、「道行」のくだりに関するキーンさんの解説は秀逸である。

 「地位が高くなくても、人物の立派さでわれわれより優れてさえいれば、主人公としての資格が十分にあるということを近松は証明した。『曾根崎心中』の徳兵衛は道行に出かけるまでは、絶対に優れた人物ではないが、自分の行動について「此の世のなごり、夜もなごり、死にに行く身をたとふれば、あだしが原の道の霜、一足づつに消えて行く、夢の夢こそあはれなれ」というところでは、どの王様にも負けないほど沽券がある。道行までの徳兵衛はみじめであって、われわれの尊敬を買わないが、寂滅為楽を悟った徳兵衛は歩きながら背が高くなる。」(前掲p172)

 ナビゲーターのいとうせいこうさんによれば、近松は、「お初はいわば観音様として、一人の人間(徳兵衛)を救ったのだ」と述べていたというが、私もこれに賛同する。
 仮にお初が存在しない設定だったとすれば、徳兵衛は、「結納金の詐取」と「万座の中での恥」(準拠集団内における地位喪失)に対する代償として、九平次を刀で斬り殺すという、歌舞伎ではおなじみの展開になっていたかもしれない。
 ところが、追い詰められた徳兵衛は、彼に寄り添うお初がいたことによって、いわば救済されたのである。
 もっとも、殺人は回避出来たとはいえ、「結納金」=「叔父への恩」を返せなかった代償として、二人は命を捧げることなった。
 死ぬ直前の徳兵衛は、
 「我幼少にて誠の父母に離れ。叔父といひ 親方の 苦労となりて人となり。恩も送らずこのまゝに。亡き跡までもとやかくと。御難儀かけん 勿体なや・・・罪を許して下されかし
と明確に自死(心中)の理由を述べており、結局レシプロシテ原理に捕まってしまったのである。
 これは、叔父に対する関係では「死んでお詫びする」という疑似ポトラッチであるが、お初が敢えて九平次の目の前で「心中」の意思を表明したことから分かるように、九平次に対する関係では彼を一生「二人を死なせてしまって申し訳ない」という心情に陥れるための純正ポトラッチである。
 このように、近松が描いたのは、二面的な性格をもつ「ポトラッチとしての自殺」だった。
 以上を総合すると、「曾根崎心中」のポトラッチ・カウント(人命=5ポイントとする)は、10.0(★★★★★★★★★★)となる。 
 なお、今更言うまでも無いが、「曾根崎心中」は実話に基づく作品である。
 二人に合掌。
 

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