Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

バッハ狂時代(その1)

2006年03月17日 07時42分43秒 | Weblog
 今日も終日法律事務所でアルバイトの予定。弁護士の先生が警察署の留置管理課や入管で被疑者・抑留者と接見・面会するのについていったりしているのだが、詳細は後日書くこととしたい。
 さて、最近、バーディーは比較的幸福な生活を送っているとは思うものの、自分に「音楽が足りない」と感じるときがある。私は、小学1年から3年までオルガンを習い、中学1年から2年までピアノを習っていた。体調を崩したことなどからピアノをやめて少したった頃、母がソニーのクラシックCD全集を購入したのが私にとって人生の転機ともいうべき出来事であった。なにしろ、それからというものは、寝てもさめてもCDを聞き、聞いた曲を下手なピアノでまねる毎日が続いたのである。夜10時を過ぎてもピアノを弾くのをやめない私を、何度も母がたしなめたものだった。夜8時を過ぎると真っ暗になるド田舎のことである。
 まずショパン、リストなどのピアノ曲から入り、さまざまな交響曲・室内楽・声楽を経て、最後にたどり着いたのがバッハのゴールドベルク変奏曲である。弾いているのはグレン・グールド。初めて聴いたのはある真夏の日のことだった。ヘッドフォンからは、ピアノの音の背後から、病人のうめき声のようなグールドのハミングが聞こえる。余りの不気味さに聴くのをやめ、それ以来、私はこのCDを忌み嫌うようになった。
 高校に入り下宿生活を送るようになると、もはやピアノを弾くことはできなくなった。部屋にピアノを置くことはできない。そんな中、なぜか、かつては触ろうともしなかったグールドを筆頭とするバッハのCDが、私の一番のお気に入りになってしまっていた。その理由はうまく説明できないが、宮城谷昌光さんが「クラシック私だけの名曲1001曲」の中で書いているように、当時必ずしも順調な生活を送っていたわけではない私が(宮城谷さんは、みずからがバッハに傾倒した時代のことを、「人生が私から剥がれ落ちていった時期」と表現している)、バッハの音楽(本物の音楽)しか受けつけなくなったことの証かもしれない。しかも、それは社会人になってからも続いた。…私は、この、始まりもなければ終わりもない、聴き終わるまでに1時間程度かかる曲を、少なくとも1000回は聴いているはずである。
 …そういえば、最近、相当長い間、この曲を聴いていない。どうりで「何かが足りない」と感じるはずだ。
 
                                             (つづく)
コメント
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