Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

天と我

2011年11月20日 08時59分05秒 | Weblog
 「カタバシス」所収の「夏目漱石『それから』が投げかけ続ける問題」を読む前提作業として「それから」を読む。確か中学時代に読んだきりで、映画も見たような記憶があるが、内容はほとんど忘れてしまっている。
 まあ、さすがに小説の中に「社会」が息づいている。日本だけでなく、当時の世界大の出来事が背景に浮かんでくる。例えば、
「何故働かないって、僕が悪いんじゃない。つまり世の中が悪いのだ・・・日本は西洋から借金をしなければ、到底立ち行かない国だ。それでいて、一等国を任じている・・・」
 村上春樹氏の小説とは好対照である。
 ひとつ、目が点になるほど驚いたのは、主人公の代助が、友人の妻である美千代に惹かれる余り、父や兄らが強引に推し進める縁談を断ろうと考えているところ(新潮文庫版p211)。
「彼は美千代と自分の関係を、天意によって・・・発酵させることの社会的危険を承知していた。・・・彼は又反対に、美千代と永遠の隔離をを想像してみた。その時は天意に従う代わりに、自己の意志に殉ずる人にならなければ済まなかった。彼はその手段として、父や兄嫁から勧められていた結婚に思い至った」
 ここで重要だと思うのは、自己と社会との相克が明確に捉えられていないことである。代助は、天と社会を対立するものとして把握しておききながら、「天意」に従わないとすれば、「自己の意思」に殉ずるしかないという風に、自己と社会がいつの間にか同化している。「天」はもちろん「エス」を、「社会」は、「父」とあるところから明らかに「超自我」を、それぞれあらわしていることからすれば、自我が確立しないまま成人した人間だったのではないかと思われる。実際、代助は、父に対して違和感を抱きながら、明確に反抗したことが一度もないらしい。
 そして、この代助の性格こそが、ストーリー展開の機動力となるのである。
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名乗らない

2011年11月19日 09時04分33秒 | Weblog
 司法研修所では、検察教官室に入るときはかならず所属と名前を言うよう指導された。さもないと「名を名乗れ」と言われるそうである。
 だが、実務では違うようで、公判担当検事・事務官がいったい誰なのか、弁護人に告げられないことがある。さすがに東京地検では、記録開示の際に担当部署が告げられることが大半だが、事務官がうっかりして連絡を忘れることもある。
 先日、ある事件で、公判担当検事を調べようとして電話したら、捜査担当検事が「これから検索するので、しばらく時間がほしい」と言ってきた。記録が全くないので、捜査担当検事ですら、公判担当検事が誰か分からないのだそうだ。数分後、連絡がきた。
 そして、担当検事の事務官に電話すると、案の定、記録開示の連絡を失念していたそうな・・・。
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高いか安いか

2011年11月18日 08時07分46秒 | Weblog
弁護士報酬 3億円超 神奈川県の独自課税訴訟
 日弁連の報酬基準は廃止されているから、自治体が報酬を「その弁護士事務所の規定を参考に決めた」としてもただちに違法というわけではない。ただ、旧日弁連報酬基準は現実には多くの事務所で使用されており、これが一つの目安となっているし、自治体が弁護士に委任する際には、複数の事務所の報酬基準を比較検討することもあってよいはずだ。
 個人的な感覚で言えば、やはり高すぎる。訴額だけで報酬を決めるやり方にはなんとなく違和感がある。
 適切な比喩ではないかもしれないが、例えば、銀行の融資で言えば、日本最大手の企業に10億円を融資するための審査手続きより、ベンチャービジネスに1000万円を融資する手続きの方が手間がかかる。弁護士報酬も、訴額より「手間賃」的な要素を重視すべき場合の方がむしろ多いと思う。
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9回2死

2011年11月17日 08時11分49秒 | Weblog
6回無死満塁斬り!森福“江夏の伝説”とダブる11球
 秋山監督は、王さんが育てたチームを引き継いだという点を考慮しても、良い監督だと思う。
 だが、監督は高校時代、甲子園に出ていない。県大会の(確か)決勝では、リードされた9回2死の場面で、当時の高校の監督がアウトカウントを間違えて、なんとスクイズのサインを出したのである。もちろん試合は終了。
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DIPファイナンス

2011年11月16日 09時47分03秒 | Weblog
DIPファイナンスとは(日本政策投資銀行のHPより)

 DIP貸付は、再建型の債務整理で活躍する貸付形態であり、企業の「ゴーイング・コンサーン・バリュー」(継続企業価値)を維持することを目的とする。
 従来、金融機関は、清算型の債務整理を念頭においていたため、民事再生中の企業に対し融資を行うのではなく、条件変更(返済期限の延長や返済額の低減などによる返済条件の緩和)で対応していた。だが、これではやがて破産に至ることは必至なので、アメリカから輸入されたのがDIP貸付である。
 この制度は、(木庭教授が言うところの)占有原則とマッチする。債務者に占有を維持させることは、政治システムの基本原則だからである。
 それにしても、「占有」の明確な定義は、分かりませんなあ。サヴィニーも断念したくらいだから、仕方ないのかもしれんが。
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倒産解除特約と占有原則

2011年11月15日 08時23分21秒 | Weblog
最高裁平成20年12月16日判決
(いわゆるフルペイアウト方式によるファイナンス・リース契約中の,ユーザーについて民事再生手続開始の申立てがあったことを契約の解除事由とする旨の特約は,無効である)

 非典型担保において、債務者が破産手続開始等を行った際には、契約は催告なくして解除可能であるとするいわゆる「倒産解除特約」が付されることが多い。こうした特約は、言うまでもなく「私的実行」を目的とするものであるため、破産・再生法や執行手続の潜脱ではないかとの指摘があり、有効性が疑われてきた。
 破産・再生や執行において、「占有原則」が貫徹されるべきであることは、木庭教授が「ローマ法案内」や「現代日本法へのカタバシス」ほかにおいて強調するところであり、この観点からすると、上記判決は歓迎すべきものということになる(「カタバシス」183~189ページ)。
 付言すると、契約一般について倒産解除条項を無効とする裁判例は見当たらない。上記最高裁判例の射程が非典型担保以外の契約にも及ぶか否か(ただし、賃貸借については無効とした最高裁判決あり。)は不明と言える。
 
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「表見法理」という病

2011年11月14日 08時58分26秒 | Weblog
現代日本法へのカタバシス
 7800円とちと高いが、法律家であれば「ローマ法案内」と併せて購入することをお薦めする。
 木庭先生の見解を、ちょっとだけ一般人にも分かりやすく書かれたもの(「大衆へのカタバシス?」)で、現代日本法(というよりは日本社会)の病理を描いたものとしては最高傑作と言ってよいと思う。
 例えば、日本の裁判実務は、そもそも表見法理が機能する前提条件であるbona fidesを決定的に欠くうえ、表見法理がなじまない「不動産取引」において、表件代理の成立を容易に認める傾向がある。だが、この際、「代理人」の背信性は全く考慮されず、第三者の「善意」(これ自体、bona fidesの誤訳・誤輸入)は緩やかに解され、これに「実印」や「白紙委任状」という慣習が油を注ぐ(p118)。
 いや、実は、裁判例をちょっと見ただけでも、不動産取引以外にも、「代理人」が絡む「表見法理」の適用場面は多々存在し、「代理人」の背信性が殆ど顧慮されないという不思議な現象が見られる。
 ・・・病巣は深いようだ。
 
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修羅場の場数

2011年11月13日 09時04分45秒 | Weblog
「清武君に謝罪を求めます」渡辺恒雄球団会長が反論
 二人の主張を読み比べると、清武代表の準備不足が浮き彫りになる。ことを構えるならもう少し慎重にやるべきだと思う。
 やはり、争点の設定が良くない。「人権侵害」などという概念を安易に持ち出すべきではなかった。高い年俸をもらっている球団のコーチに対して、一般庶民が同情することは考えにくく、「人権侵害」という言葉が空回りしている。
 「コンプライアンス」も藪蛇で、人事機密を暴露することで自らが忠実義務違反を犯してしまった。
 いずれにせよ、修羅場を踏んだ数の違いが、勝負を決したように思われる。
 清武氏は、謝罪しなければ解任されることになるだろう。
 
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コップの中の嵐

2011年11月12日 09時07分50秒 | Weblog
批判会見なぜ?清武代表の声明文「翻意を求めたが聞き入れられず」
 内定した人事をトップが覆すことは、企業社会ではたまにあることである。ちなみに、バーディーがもといた会社では、ある天下りの役員が、人事担当役員でもないにもかかわらず、プロパーの役員が内定した人事に介入してよくひっくり返していた。
 外部の人間にとってみれば、岡崎ヘッドコーチを気の毒と思うかもしれないけれど、企業組織内の人事など所詮「コップの中の嵐」である。ヘッドコーチへの留任は「内定」に過ぎないし、降格されても岡崎氏が職を失うわけでもない。
 むしろ清武氏は、球団内部の機密情報を外に漏らし、渡辺氏に対する名誉棄損的な発言を行ってしまった。その責任はどうなるのだろうか。
 
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儒教文化

2011年11月11日 07時55分55秒 | Weblog
大手証券OBの社外取締役が助言の疑い オリンパス損失隠し
 この記事のとおりだとすると、社外取締役が職責を果たしていない可能性がある。
 もともと日本企業では、不祥事を隠そうとする傾向が強いが、その背景には、儒教文化があるのではないかと思う。例えば、「論語」の「子は父の為に隠す」:
 「父は子のために隠し、子は父のために隠す。直その中にあり
 だから、「正直」な前社長は解任されたわけだ。


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