絶望の精神史(金子光晴)
金子光晴の詩には、なんとなくアナーキーな達観があり、好きだった。その延長上で買い求めたのが、当初カッパブックスから出版されたという「絶望の精神史」。
だが、内容はひどい。
「そばに比較対象物のない島国日本は・・・自分たちが、ほんとうに幸せなのか、不幸せなのかがわからなくなる」(p18)は、まあ、いいだろう。だが、これとて「イギリスはどうなんだ?」と反論されたらおしまいである。
大正に入り、著者は、「しみじみと、日本人に生まれたことをくやみ、丸い鼻、黄楊いろの肌に、とりかえしのつかない自己嫌悪をおぼえた」(p101)というが、ここにおいて正体が暴露された。何のことはない、自己嫌悪を日本人・日本社会に投射しているだけの話なのである。
その証拠に、著者は、関東大震災の際に「社会主義者が蜂起した」などというデマに動かされる人間を「日本人的」として批判するが、ハリケーン・カトリーナの時の暴動を見れば分かるとおり、こうした現象は世界中で見られるものだ。
著者の論法は、「日本はダメだからダメなんだ」と言うに尽きる。理詰めでものを考える人間には到底ついていけない。
それよりも、この本を読んでいると、金子光晴という人物に対する信用が揺らぐ。例えば、生まれたばかりの長男を妻の実家に預けて、妻と一緒に7年間の海外旅行に出るところ(p126)や、出島春光という画家が詐欺を実行しようとしたとき、それを止めないばかりか、片棒を担いだあげく、「10フランをよこせ」と取り分を求めるところ(p134)を読むと、この人の人間性が分かってしまう。
この人の書いた散文はもう読まないことにした。
金子光晴の詩には、なんとなくアナーキーな達観があり、好きだった。その延長上で買い求めたのが、当初カッパブックスから出版されたという「絶望の精神史」。
だが、内容はひどい。
「そばに比較対象物のない島国日本は・・・自分たちが、ほんとうに幸せなのか、不幸せなのかがわからなくなる」(p18)は、まあ、いいだろう。だが、これとて「イギリスはどうなんだ?」と反論されたらおしまいである。
大正に入り、著者は、「しみじみと、日本人に生まれたことをくやみ、丸い鼻、黄楊いろの肌に、とりかえしのつかない自己嫌悪をおぼえた」(p101)というが、ここにおいて正体が暴露された。何のことはない、自己嫌悪を日本人・日本社会に投射しているだけの話なのである。
その証拠に、著者は、関東大震災の際に「社会主義者が蜂起した」などというデマに動かされる人間を「日本人的」として批判するが、ハリケーン・カトリーナの時の暴動を見れば分かるとおり、こうした現象は世界中で見られるものだ。
著者の論法は、「日本はダメだからダメなんだ」と言うに尽きる。理詰めでものを考える人間には到底ついていけない。
それよりも、この本を読んでいると、金子光晴という人物に対する信用が揺らぐ。例えば、生まれたばかりの長男を妻の実家に預けて、妻と一緒に7年間の海外旅行に出るところ(p126)や、出島春光という画家が詐欺を実行しようとしたとき、それを止めないばかりか、片棒を担いだあげく、「10フランをよこせ」と取り分を求めるところ(p134)を読むと、この人の人間性が分かってしまう。
この人の書いた散文はもう読まないことにした。