Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

「父」の承継?(6)

2024年03月21日 06時30分00秒 | Weblog
(ティマイオスがソクラテスに対して)「宇宙を生み出した父は、それが動き生きていて、永遠なる神々の神殿になっているのを認めた時、喜んだ。そして上機嫌で、もっとよくモデルに似たものに仕上げようと考えた。そこで、モデルそのものは、永遠なる生きものなので、万有をもできるだけそのようなものに仕上げようとした。ところで、永遠であることがその生きものの本性だったが、生み出されたものに永遠と言う性質を完全に付与することはできなかった。それにもかかわらず、神は、永遠を写す何か動く似像を作ろうと考えて、宇宙を秩序づけるのと同時に、一つのうちに静止している永遠を写す、数に即して動く不滅のその似像を作った。
 この似像をわれわれは「時間」と名づけたのである。」(p54)
 「時間は宇宙と共に生成したのだが、それは両者が共に生み出されたように、いつか宇宙と時間の解体が起こるとすれば、その時、両者が共に解体するためでもある。そして、時間が永遠をモデルとして生じたのは、宇宙ができるだけそのモデルに似るためだったのである。モデルは全永遠にわたってあるものだが、他方、宇宙は全時間にわたって、終始、あったもの、あるもの、あるだろうものだからである。」(p56)

(アテナイからの客人)「人間の種族は、自然の恵みにより、ある意味では不死にあずかっており、ひとはすべて、その不死への欲求を、生まれながら、さまざまのかたちにおいて持っている。たとえば、名の知られた者となり、死後無名のまま横たわるまいとすることも、そうした不死への欲求である。したがって、人間の種族は、時間全体と同年齢のものであり、時間の全体とたえず歩みを共にしているし、将来もそうしつづけるであろう。それというのも、人間の種族は、次のような仕かたによって不死なものとなっているからである。つまり、つぎつぎと子供を残して、〔種族としての〕同一性を永遠に保ちながら、出産によって不死にあずかっているからである。」(p286)
 「以上を、結婚についての勧告の言葉としましょう。子孫を残し、つねに自分に代わって神に仕えるものを提供することによって、永遠のいのちに参与すべきだという先の言葉にあわせて。」(p372)

 「饗宴」や「パイドン」の時代(中期)からすると、最後期のプラトンは、まるで人が変わったかのようである。
 まず、「ティマイオス」では、「宇宙を生み出した父」が突然登場する。
 これが、かの有名な「デミウルゴス」である。
  「デミウルゴス」は男性であり、「父」である!
 また、「時間観」については、「永遠」の似像が「時間」であるという、とても分かりにくく矛盾めいた主張が出て来る(「永遠なる生きもの」という言葉に至っては、完全な矛盾というほかない:道具概念 VS. 道具概念(8))。
 これは、岸見先生によれば、
 「宇宙は一のうちに静止している永遠の性質を完全に付与されなかったので、それはまた時間がその中において現れる多という性質を併せ持たなければならない」(p55)
ということらしい。
 恐ろしいのは最後の言葉で、「宇宙」が解体する時に「時間」も解体する。
 そうすると、この「時間観」は、「直線的時間観」ではあるけれども、進歩史観であるとは限らず、「解体史観」にもなりうるということになる。
 「法律」に出て来る「アテナイからの客人」が述べる意見は、研究者がほぼ一致して認めるとおり、プラトンの意見と見てよいらしい(p801)。
 そして、そこでは、もはや「饗宴」でのディオティマやソクラテス、「パイドン」でのソクラテスが述べた死生観とはおよそ異なる死生観が登場する。
 まず、目立つのは、「種族」(要するに集団)という観点が唐突に出てくるところである。
 「種族」の概念については、本来は原典を確認すべきところなのだが、残念ながら私はギリシャ語が読めない。
 そこで、あくまで推測ではあるが、同じ巻(第四巻)の他の箇所(p251)で「ゴリュテュネ族」(「ゴリュテュス」は地名)が「種族」の一つとして挙げられている点に着目すれば、「種族」とは、おそらく「その社会構造に枝分節の性質を含む社会が単純にテリトリー区分の制度を作った場合のその組織」(部族社会と軍事化と精神分析)、すなわち「部族」の連合体というくらいの意味なのではないだろうか?
 しかも、これが、現世において、「同一性を保ちながら、・・・不死にあずか」るというのである(すると、「天界」は一体どこに行ったのだろうか?)。
 決定的なのは、最後のくだりで、私は「あっー!」と声をあげそうになった。
 「永遠のいのち」というフレーズが、パウロと同じだからではない(<第二の生命>中心主義)。
 プラトンがパウロの先駆者である点は、既に言い古されたことであり、今更驚くにあたらない。
 そうではなく、ここを読むと、プラトンが最晩年において、クーランジュが描写した古代ギリシャの土着宗教=竈神信仰に回帰してしまったように思えるからである。
 ここからプーチン大統領の「集合的霊魂不滅説」(永遠に無垢な・・・)までは、ほんの数歩の距離にありそうだ。
 プラトンも、部族社会の原理を超克することは出来なかったのだろうか?
 ・・・こういう風に見てくると、ヨーロッパの大部分や中国などは、「婚姻」を、
 「「直線的時間観」を前提として、「神」を起点とした「父」のシニフィエを承継する、あるいは、「父」のシニフィエを継承しながら「神」に接近・到達しようとするシステム
と位置づける文化圏と見ることが出来そうである。
 ところが、これと正反対の「婚姻システム」も成立しうる。
 その代表例が、ケルト文化である。
 
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「父」の承継?(5)

2024年03月20日 06時30分00秒 | Weblog
 古代ギリシャ人の「時間観」と言えば、ここはやはりプラトンの著作を追っていくのがよいだろう。
 但し、彼の「時間観」はどうやら一定ではなく、変遷しているように見える。

 (ディオティマがソクラテスに対し)「死から逃れられない生き物はすべて、このようなしかたで存続していく。神のように、あらゆる点で永遠に同一性を保つというやりかたではなく、老いて消え去りながら、自分に似た別の新しいものをあとに残していくというやりかたでな
 「ソクラテスよ、このようなやりかたで、死から逃れられない生き物は不死にあずかる。肉体であれなんであれ、すべての点でな。これに対して、不死なるものには、それとは別のやりかたがあるのだ。」(p142)

 ディオティマは、「生き物」は「自分に似た別の新しいものをあとに残していく」ことで「存続」(これも矛盾くさい表現だが)つまり「時間」の克服を図っていることを指摘する。
 言うまでもなく、これが婚姻システムの目的ということになるだろう。
 ここで、「永遠に同一性を保つ」やり方が否定されているところからすると、「時間」は回帰しないのだろう。
 すると、この思考は、「円環的時間観」ではなく、「直線的時間観」(進歩史観)を前提しているように思われる。

 「私たちはこの問題を、次のような仕方で考えてみよう。人間が死を迎えると、その魂は冥府で存在するのか、それともしないのかを問うのだ。
 さて、私たちが記憶する、古くからの言葉がある。曰く、『ここから彼の地に到ってそこにあり、再びこの地に来たりて、死んだ者たちから生まれる』。そして、もしこの通りなら、つまり、生きた者が死んだ者から生まれるのなら、私たちの魂は彼の地で存在する、ということ以外であり得ようか。
」(p66。命と壺(6)
 「いや、神と<生>の形相そのもの、そしてもしほかに不死なるものがあるとすればそれも、けっして滅びることはないと、全ての者から同意が得られると思う。」(p221)
 「他方で、敬虔な生き方をしたという点で特に優れていたと判定された人々は、まさに牢獄から解放されて自由の身となるように、大地の中のこの場所から解き放たれ、上方の正常な住処へと到って、大地の上方に住まいを定めるのである。この人々の中でも、知を愛し求める哲学によって十分に自らを浄め終えた者が、それ以後、肉体から完全に離れて生きるのであり、この地よりもずっと美しい住処に到るのだが、その土地のことをつまびらかに示すのは容易ではなく、今は十分な時間もない。」(p244~245) 

 ソクラテスは、(肉体が)生きていたときと同じ魂が、(肉体の)死後は「冥府」(通常は「地中」であり、英雄アキレウスも例外ではない。特別な日(8))又は「上方の正常な住処」(仮に「天界」と名付けておく)で暮らし続けると述べる。
 つまり、魂が向かう先は「地中」と「天界」の二つがあり、「地中」に行くグループは再び肉体に宿って現世にリターン(輪廻)するが、「天界」に行くグループはそうでなく、そこで永生(解脱?)するらしい。
 何と、「知を愛し求める哲学によって十分に自らを浄め終えた者」=哲学者の魂は、(肉体の)死後、「天界」で永生するのである。
 これは、(輪廻説には限定されない)「個別的霊魂不滅説」であり、他の箇所と併せ読むと、
 「浄められた個別の魂は、「天界」において「「神」と<生>の形相そのもの」を実現(ないしそれと合一化)する
という理解のように思える。
 しかも、「「神」と<生>の形相の実現(ないしそれとの合一化)」という完成=終点を措定している点が極めて重要である。
 こうして見てくると、②も①と同様に、「直線的時間観」(進歩史観)を前提していると理解するのが自然な気がする。
 ・・・ところが、プラトンは、最後期に至って、①②の思考から大きな展開(というか変節?)を遂げたようである。
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「父」の承継?(4)

2024年03月19日 06時30分00秒 | Weblog
 ラフィトーの主著:Mœurs des sauvages américains, comparées aux mœurs des premiers temps は、浩瀚な書物だし、邦訳もないようなので、私にはとても読んでいる余裕はない。
 そこで、山室周平先生の論述(家族学説の成立期に関する問題点p17~19)から引用すると、彼は、アメリカ原住民の母権的習俗を発見し、そこに古代リュキアの「母権」との共通点を見いだしつつも、これを「珍奇なるもの」と評したようである。
 ここから、古代ギリシャ人(あるいはラフィトーのようなカトリック教徒)にとっての婚姻が、「母権」とはおよそ違うものであったということが分かるだろう。
 古代ギリシャ人にとっての「婚姻」とは、あくまで私見だが、
 「「父」のシニフィエを承継するためのシステム
であり(シニフィエなき社会)、これがこの種の社会の「原初の思考」の正体ではないかと思われる。
 古代ギリシャ人にとってのシニフィエは genea であり、これが「イデア=form」 を発現させると考えられていたようだ(イデアなき社会)。
 「子」は、「父」との関係ではいわばレフェランであるが、「父」と全く同一のフォルムをしている必要はなく(そのためにはクローン化の技術が必要になってしまう。)、「父」と似たフォルムを具えていればよい。
 このgenea の起点は「神」とされており、「神」は男性、つまり「父」だった!
 また、このシステムは一種の宗教でもあって、「「父」のシニフィエを承継する」ということは、「「父」と同じ宗教を承継する」ということを必然的に含んでいた。

  「・・・父祖の竈神は彼女の神である。この娘に対して隣家の若者が結婚を申しこんだとすると、娘にとっては、父の家をでて他家にはいるという以外に、別の重大な問題がある。それは、父祖の竈をすてて、夫の竈にいのらなければならないことである。彼女は宗教をかえて、他の儀式を実行し、別の祈りを口にしなければならない。少女時代の神とわかれて、未知の神の主権にしたがうことになる。彼女は、婚家の神を尊崇しながら、同時に実家の神を信奉しつづけようと希望することはできない。この宗教では、おなじ人物がふたつの竈と二系の祖先とをまつることをゆるさないのが、動かすことのできない鉄則であったからである。」(p79)

 日本の「イエ」も宗教なのだが、
 「シニフィエはあった方が望ましいですが、必須ではありません。「フォルム」が似ていなくても、「気」が同じでなくても構いません。但し、うちの「名」=「苗字・屋号」(家業とその表章)は必ず承継してもらいますよ!
という特殊なものである。
 「シニフィエ不要」というのはルールの大幅な緩和であるように思えるが、「「名」は必須」というのであれば、少なくとも職業選択の自由を放棄しなければならないことになる。
 これは「優しい」のだろうか、それとも、「厳しい」のだろうか?
 ・・・ところで、ここまでのところで、既に2つの大きな問題が立ち現れてきている。
 一つは、「承継」という言葉から明らかなとおり、当該社会の「婚姻」が前提としている「時間観」はどういうものかという問題であり、もう一つは、当該社会において「承継」されるべきシニフィエは「父」のものでなければならないのか、逆に、「母」のものでなければならないのか、それとも、いずれのものであってもよいのか、という問題である。
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「父」の承継?(3)

2024年03月18日 06時30分00秒 | Weblog
(ラフィトー(Joseph-François Lafitau)の言葉の引用)
"・・・parmi ces coutumes, l y en avait de générales, fondées sur les premières idées que les pères des peuples avaiesnt transmises à leurs enfants et qui s'étaient conservées chez la plupart presque sans altération, ou du moins sans une altération fort sensible malgré leur distance et leur peu de communication."(p186~187)
(・・・それらの習俗の中には、普遍的なもの、人々の父たちが子どもたちに伝えてきた原初の思考に基づくものがあった。しかも、それらは、(異なる国々や地域の間の)距離や交流の乏しさにもかかわらず、殆ど何らの差異もなく、あるいは少なくとも強く感じられる差異が一つもないのである。)(私訳につき誤訳あるかも)

 ラフィトー(1681―1746)は、日本ではあまり知られていないが、アメリカ・インディアン(イロコイ)の神話・習俗と古代ギリシアの文化とを歴史民族学的に比較研究した フランスの民俗学者であり、古代史学と社会人類学とを結び付けた極めて重要な人物である。
 上に引用した部分で注目すべきは、ラフィトーの指摘の内容そのものではなく、彼が行なった言葉の使い方である。
 具体的には、「習俗」(これはもちろん婚姻ルールを含む)は、「父たち」から「子どもたち」に伝えられるというところである。
 私見では、ここでラフィトーは、無意識的にかもしれないが、「習俗」に関する自身の決定的な思考をあらわにしている。
 それは、(ちょっと乱暴な要約だが)
 「婚姻ルールを含む習俗は、「父」を承継する機能を果たしている
というものである。
 ラフィトーの思考は、
 「習俗がそっくりそのまま承継されるためには、承継する主体(「父たち」と「子どもたち」)も「承継」されなければならない
という前提としているはずだからである。
 原初の思考が承継されていくというのに、承継する主体が承継されないというのは背理だからである。
 ここで重要なのは、「原初の思考」とは何であるか、「父」とは何であるか、また両者はどんな関係にあるか、という問題である。
 
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「父」の承継?(2)

2024年03月17日 06時30分00秒 | Weblog
 判決は、憲法24条1項が定める婚姻を「人と人との自由な結びつき」(を含む)と定義した上で、「性的指向及び同性間の婚姻の「自由」」を、権利性までは認められないものの「重要な法的利益」であると捉えている(p2の26行目~p3の4行目)。
 これに対し、「性的指向及び同性間の婚姻の「自由」」を正面から権利として構成する方法もあるが、判決は、「憲法 24条は文言上異性間の婚姻を定め、これに基づいて制定された各種の法令、社会の状況等」(p2の11~12行目)を踏まえると、憲法13条が保障する人格権には含まれないと判断した。
 この判示部分に対しては、おそらく憲法学者などから批判が出るだろう。
 他方、夫婦が一応「団体」であること、また、婚姻関係の成立によって権利だけでなく義務(民法752条の同居・協力・扶助義務)も発生することに着目すれば、団体法の分野における議論が参考になるかもしれない。
 それは、「権利能力なき社団」に関する議論である。
 つまり、当該個人ではなく、当該カップルについて、ある種の(疑似)法主体性を認めるかどうかという問題として捉えることも出来そうなのである。
 もっとも、このアプローチは、個人を超える(疑似)法主体を観念する点でもともと筋が悪い上に、テキストとしての憲法条文から、夫婦を「団体」の一種とみてその(疑似)法主体性を導き出すのは無理だろう。
 結局のところ、出発点に戻ってみると、原告らが求めているのは、自身らが「法律婚の夫婦と同等の扱いを受けること」だろう。
 そうすると、憲法14条の平等原則違反で行くのが自然であり、それで十分だったのかもしれない(もちろん、憲法13条に基づく権利として正面から認める道もあったことは前述のとおり)。
 ところで、札幌高裁は、憲法24条1項が定める婚姻を「人と人との自由な結びつき」(を含む)と解釈することによって、結論を導き出したわけだが、こうした”拡張解釈”は、社会人類学者の目には相当奇異なものと映るはずである。
 社会人類学的な意味の「婚姻」は、決して「人と人との自由な結びつき」などではないからである。
  
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「父」の承継?(1)

2024年03月16日 06時30分00秒 | Weblog
 「まず、憲法24条1項は、「婚姻の自由」を保障している条文であると判断しました(もっとも、ここは、もう少し、ロジックを深めることが必要かもですね。自由権という意味での自由ではないでしょうから)。
 そのうえで、同項は、同性婚をする自由も保障していると明言しました。・・・
 まあ、憲法24条違反の判断は、「自由」というところに、若干手当てが必要な気がしますが、
 しかし、そこにこだわらず、台湾みたいに、憲法14条違反だけでいけばいいようにも思います。
 或いは、こないだのトランスジェンダー最高裁大法廷決定のように、憲法13条でいくとか。

 画期的な判決であるが、いまだに「憲法24条1項の「両性」とは、男性と女性をいう。」、「憲法24条1項の「夫婦」は男性と女性をいう。」などという根拠で、「同性婚は憲法が禁止している」と主張する論者を見かける。
 確かに、英文では”both sexes”、”husband and wife” とあるので、そのような主張が出て来るのかもしれないが、同性婚の禁止をこの条文から導き出すのは、憲法解釈としては成り立たないだろう(そもそも「両当事者」とでもしておけば、こういう議論は出て来ないのだが・・・)。
 同条項の趣旨は、主として、「家長制度の否定」にあるからである。

 「では同性婚を認める法律を、という声が上がったとき、議論の場によく持ち出されるのが憲法第24条第1項の「婚姻は、両性の合意にのみ基づいて成立[する]」という条文です。
 これを、同性婚を法的に認めることに消極的な現在の政府や与党は、「『両性』とは二つの性、つまり男性と女性のことだから、憲法は異性カップルに対象を限定しており、同性カップルは除外されている」と解釈するのですが、私を含め多くの憲法学者、民法学者、法律家たちはそれは間違いとする立場をとっています。理由として挙げられるのは、この条文の目的が「家長制度の否定」であること。戦前は原則として婚姻に家長(多くの場合父親)の同意が必要で、どんなに結婚を望む二人であっても、父親が認めない限り夫婦にはなれなかったんですね。戦後、憲法は「愛し合う二人の双方が望んでいれば、たとえ親が反対していても結婚して良い」ということを定め、それを否定しています。

 そして、憲法24条1項・2項は、夫婦の「同等の権利」と両性の「本質的平等」、すなわち「夫婦間の不平等(夫>妻)の否定」も明言している。
 こうした条文の趣旨からすれば、ひとまずは、「憲法24条1項は、婚姻における家長の介入や婚姻当事者間の不平等を禁止する趣旨のものではあるが、同性婚を否定する趣旨のものではない」という解釈が出来ることになる。
 ところが、札幌高裁判決は、上記解釈からさらに踏み込んで、憲法24条1項は、「人と人との間の自由な結びつき」である「婚姻」を同性間にも保障したものであると判示した。
 ここで、「自由」という文言を用いたところに問題がある点は、岡口判事も指摘するとおりである。
 「自由」(権)は、第一義的には、国家に対する妨害排除請求権を意味しているが、原告らは国家から何らかの「妨害」を受けていたというわけではなさそうだからである。
 また、憲法24条の趣旨は、前述のとおり、旧来の「イエ制度」における戸主の権利や男女差別を否定するところにあるのであり、直接権利を発生させるという趣旨までは含んでいないと解するのが自然だろう。
 確かに、判決文は、「権利」という表現を慎重に避け、「自由」という言葉でクリアーしようとしている。
 いずれにせよ、本判決は、「自由」を根拠づけるために相当無理をしたという印象を受ける。
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アンチ「<第二の生命>中心主義」

2024年03月15日 06時30分00秒 | Weblog
レスピーギ/リュートのための古風な舞曲とアリア 第2組曲
オルフ/世俗カンタータ『カルミナ・ブラーナ』*

 この会場はステージがさほど広くないため、予想したとおり、合唱団は2階席前方に陣取るスタイルだが、これはコロナ禍の最中であれば絶対に考えられない。
 飛沫が下のオーケストラの団員さんに飛びまくっているはずだからである。
 メインの「カルミナ・ブラーナ」が始める前、休憩時間が15分から20分に延長となったというアナウンスが流れた。
 これに対し、私は(職業柄か)「危ない!」と感じた。
 というのは、世田谷ジュニア合唱団にはおそらく小・中学生が含まれているところ、児童合唱団が「演劇子役」に該当するとしても、労基法上は21時までしか就業できないからである(根拠規定は61条5項・2項、平成16年11月22日 基発第1122001号)。
 心配して時計を見ていたところ、終演はギリギリ20時59分であり、この辺は主催者が考えていたのだろう。
 「カルミナ・ブラーナ」の歌詞は、冒涜的なものを多く含んでいるが、私がいちばん冒涜的だと思うのは、「11. 胸の中は滾っている」のラストである。

"magid quam salutis, mortuus in anima curam gero cutis."
救いなんざ放っておけ。どうせ魂が破滅するなら 体だけでも磨いておくぜ。

 これはどう見ても、パウロ以降の主流派キリスト教の、「霊のいのち」(永遠の生命)=<第二の生命>中心主義の否定である。
 キリスト教関係者は、この曲を忌々しい思いで聴いているのかもしれない。
 

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ショパン・コンクールの覇者(6)

2024年03月14日 06時30分00秒 | Weblog
モーツァルト
 交響曲第35番 ニ長調 K.385 「ハフナー」
ショパン
《ドン・ジョヴァンニ》の「お手をどうぞ」による変奏曲 変ロ長調 op. 2
 *川口成彦(ピアノ)
藤倉大
 Bridging Realms for fortepiano
(第2回ショパン国際ピリオド楽器コンクール委嘱作品/日本初演)
 *ユリアンナ・アヴデーエワ(ピアノ)
ショパン
 アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ op.22
 *ユリアンナ・アヴデーエワ(ピアノ)
ショパン
 ピアノ協奏曲第2番 ヘ短調 op.21
 ※ アンコール曲 前奏曲雨だれ
 *トマシュ・リッテル(ピアノ)

Pleyel 1845 owned by Emma Akiyama

 二人目の「ショパン・コンクールの覇者」は、2018年に開催された第1回「ショパン国際ピリオド楽器コンクール」の優勝者:トマシュ・リッテル である。
 二日目は、彼がショパンのピアノ協奏曲第2番を弾く。
 つい先日もブルース・リウが日本ツアーで演奏していた曲だが(ショパン・コンクールの覇者(3))、ピリオド楽器での演奏を聴くのは私もこれが初めてである。
 HIP(Historically informed performance 歴史的情報に基づく演奏) が彼の特色らしいが、コンクール本選でも第2番を選んだそうである(川口成彦さんも)。
 ピアノ独奏が始まるや否や、別の世界が現れたような感じで、後は快感に浸るだけの時間となる。
 「あっという間に音が減衰する」プレイエルが、彼の手にかかると実に滑らかに”歌う”のである。
 彼いわく、
 「基本的にはピリオドだから、モダンだからということを演奏中は考えていません。作曲家の書いたものを、楽器を通して語るということに集中しています。あくまでも演奏を通してオーセンティックな表現を届けたいのです。」(パンフレットより)
 2楽章は、ショパンが音楽学校で出会ったソプラノのコンスタンツ・グワドコフスカのことを想って作曲したというから、その思いを表現することになるのだろう。
 その意味では、トマシュ・リッテルの演奏は模範的であり、何度も聴きたくなるくらいである。
(ただ、2楽章は途中で暗転して激しい調子になるので、朝の目覚めの音楽(眠くならないクライスレリアーナ)には使えないのが残念。)
 川口成彦さんは、私見では、「世界一気持ちよさそうに演奏するピアニスト」で、私も年に1度は生で聴きたくなる。
 今回も完璧な演奏で、後ろで聴いている18世紀オーケストラのフルート奏者やオーボエ奏者などは、終始ニコニコしながら川口さんの演奏に魅入っていた。
 個人的には、川口さんにも、「ショパン・コンクールの覇者」という称号を贈りたいところである。
 
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ショパン・コンクールの覇者(5)

2024年03月13日 06時30分00秒 | Weblog
モーツァルト
 交響曲第40番 ト短調 K.550
藤倉大
 Bridging Realms for fortepiano
(第2回ショパン国際ピリオド楽器コンクール委嘱作品/日本初演)
 *川口成彦(ピアノ)
ショパン
 ポーランドの歌による幻想曲 op.13
 *川口成彦(ピアノ)
ショパン
 演奏会用ロンド「クラコヴィアク」 op.14
 *トマシュ・リッテル(ピアノ)
ショパン
 ピアノ協奏曲第1番 ホ短調 op.11
 *ユリアンナ・アヴデーエワ(ピアノ)
 
Pleyel 1843 owned by Takagiklavier

 「19世紀の作品をピリオド楽器で演奏する」というコンセプトのリサイタルで、私などは涎を流してしまうコンサートである。
 だが、会場の選択が悩ましい。
 というのも、ショパンが愛用していた19世紀のプレイエルは、響きが繊細なため、大きな(特に縦に長い)ホールには向かないからである(私見だが、おおむね前から15列目くらいが限界であるような気がする。)。
 おそらく、東京文化会館の小ホールのような、比較的小さくて横に長い会場が向いているのだが、東京文化会館だとステージが小さいためにオーケストラを収容できないという問題がある。
 オペラシティのコンサート・ホールに着いてみると、案の定、1階後方には空席が目立つ代わりに、前方の席は、1階(但し、両端を除く。)だけでなく、2階と3階もおおむね埋まっている。
 やはり、皆さん古楽器のことをよく分かっていらっしゃるのである。
 ところで、今回のコンサートには、2人の「ショパン・コンクールの覇者」が出演する。
 一人目は、2010年の優勝者であるユリアンナ・アヴデーエワである。
 初日は彼女がショパンのピアノ協奏曲第1番を弾く。
 定番中の定番だが、ピリオド楽器での演奏を聴くのは私もこれが初めてである。
 1楽章が始まると、若干の違和感を感じる場面があった。
 この演奏の前に、フォルテピアノ専門のピアニスト2人(川口成彦さんとトマシュ・リッテルさん)の演奏を聴いているだけに、アヴデーエワとの違いが際立つのである。
 どういうことかというと、「音を響かせよう」とする彼女の意志を、プレイエルが頑強に拒んでいるように思えたのである。
 全くの素人考えなので間違っているかもしれないが、19世紀版のプレイエルは、「大きな音を響かせる」のには向いていないばかりか、そのような演奏をしようとすると、たちまち機嫌を損ねてしまうのではないか?
 ちなみに、ショパンによるピアノ協奏曲第2番の初演は次のようなものだった。

 「強靭なタッチで聴衆を圧倒するのではなく、ニュアンスに富んだ繊細な響きで聴かせるタイプのものだった。よって、オーケストラとの共演では「音が小さい。もっと元気に弾くべき」との批評も受けた。」(公演プログラムより)

 思うに、ピアニストは、時として「強靭なタッチで聴衆を圧倒しよう」としてしまうことがある。
 音楽に限らず、あらゆる芸術の根源には「マハトへの意志」(”Der Wille zur Macht”)があるからなのだろう。
 だが、どうやらショパン(及び当時のフォルテピアノ)は、それがあからさまに出てしまうのを嫌ったようである。
 もっとも、2楽章に入ると、「強靭なタッチ」は不要なためか、アヴデーエワの演奏は実に心地よい感じになり、3楽章では完全にプレイエルとの折り合いがついて音が滑らかになった。
 このあたりは、さすが「ショパン・コンクールの覇者」というべきか?
 
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英才教育と卒業後の進路

2024年03月12日 06時30分00秒 | Weblog
  「第19期生6名は、2024年3月で2年間の研修を修了し、プロのバレエダンサーへの道を進みます。
 修了公演となる今回の「エトワールへの道程」では、『眠れる森の美女』第3幕抜粋、カィェターノ・ソト振付『Conrazoncorazon』などクラシックバレエの人気作から海外現代作品まで多彩なプログラムで上演、第19期生が主要な役を務めます。
 それぞれの課題に真摯に向き合い様々な経験を重ねてきた研修生が、研修の集大成として披露する舞台にどうぞご期待ください。

 毎年恒例の卒業公演。
 修了生がコメント中に泣き出してしまう場面が続出するので、そのたびに観客も胸が締め付けられる気持ちがしているだろう(もっとも、私自身は卒業式で泣いたことは一度もない。)。
 第19期生は6名ということで、やはり「狭き門」という印象である。
 身体を使う芸術であるバレエは、スポーツ全般がそうであるように、幼いころから始める方が有利である。
 「鉄は熱いうちに打て」ということで、プロになる人は、3~5歳で習い始めていた人が多い。
 プロ養成を目的とする新国立劇場の研修所の場合、「予科」過程があり(飛び入学)、「入所時に15歳または16歳」が条件とされている。
 このことから、「義務教育を終えたらすぐにプロとしての訓練を始めるのが望ましい」という発想が垣間見える。 
 だが、採用数が「若干名」というのは、税金で運営されている機関であることもあるが、わが国でプロとして食っていけるのはごく少数であるという業界事情を反映したものかもしれない。
 「英才教育」といっても、結局のところ、「卒業後、職にありつけるか?」という観点から逆算して定員が定められているのかもしれない。
 ところで、同様の公的な教育機関としてすぐ思いつくのは、JRAの競馬学校である。
 というか、ここの騎手過程を卒業していなければまず中央競馬の騎手にはなれないという点で、この教育機関はかつての陸軍幼年学校のような性格を持っている(カタリーナ、スケープゴート、フィロクテーテース(1))。
 こちらの方は、現在10名程度を募集しているのだが、卒業者名簿を見ると、かつては13名が卒業した年(1997年、13期生)もあったのに、近年は10名未満で推移しており、増えてはいない。
 やはり、外国人騎手や地方競馬の騎手の参入で、卒業後の仕事が増えていない(むしろ減っている)という字状が、この背景にあるのではないだろうか?
 ・・・そういえば、同様のことが、法曹界についても言えるような気がしてきた・・・。
 
コメント
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