ニスモフェスティバルより帰還

予定通り、土曜日に福岡から羽田→神奈川まで移動し、DRM RZ34 nismoをピックアップ
さあ、湾岸線に乗って御殿場目指してゆきます。


スムーズに車は流れ、御殿場に到着すると洗車を済ませ、翌日のニスモフェスティバルに備え21時には消灯です。


去年は、ブース設営時には極寒かつ真っ暗だった記憶がありますが、今年は不思議と明るく温かい気がします。
ダウンコートまで持っていきましたが、全く必要を感じないほどのお天気なスタートとなりました。


SACLAMチームも合流し、マフラーと車両展示を行いました。
もう少し右だ。 角度はどうだ!と、配置決めは手間ですが、せっかくならカッコよく展示は行いたいものです。


テントから見る風景は、このような感じ。
今年も正面には大森ファクトリーさんが大きなブースで鎮座しており、名車中の名車であるBNR34 nismo Z-Tuneを1日中眺められているポジションに僕達はいます。


7時過ぎ頃より一般のお客さんは入場し、9時頃にもなると人で賑出します。
遊びに来てくれたお客さんに聞いたら、4時には長蛇の列で入場渋滞だったとのこと。 今年も多くの日産/ニスモファンで富士スピードウェイは埋め尽くされました。


デイトナブースにも沢山のお客様が遊びに来てくれて、終わってみれば1日中 誰かとお話をしていましたので、夕方には声が枯れていた・・・。
それに加えまさかの日差しが強く、12月の富士というのに日焼けしてしまいました。


16時 ニスモフェスティバルは閉会式と共に終了し、去年同様に大森ファクトリーさんの前で記念撮影を行い撤収です。


ある意味 僕は誰よりもニスモフェスティバルを楽しんでいます。
ガレージセールに行くわけでも、レジェンドドライバーのトークショーを見るわけでも、パレードランを見るわけでもなく、
ただブースにいて接客をし話をしているだけなのですが、自分がデイトナが日産/nismoの一員になっているような気がして、それがすごく嬉いのです。

僕は18歳で運転免許を取得し、初めて購入した愛車はGF31 レパードでした。
それからC33 ローレル そしてZ32 フェアレディZへ乗り換えたのが、おそらく29年前のことです。
そして、おそらく初めてNISMOの部品を購入したのは、Z32用のブレーキパットであったと記憶しています。
僕の人生において、常に日産/nismoは側にあるブランドでしたし、おそらくは僕が仕事をリタイアするまでは、僕から日産/nismoがなくなることはありません。
それは青春でもあったし、仕事でもあるし、これからも生涯を共にするパートナーであると言っても過言ではありません。

なにか自分が日産にできることはないか? なにか日産の役に立つことはできないか?
デイトナを応援してくださってる方は当然ながら 同じ気持ちで、日産/nismoを応援してくれる人たちを喜ばせることはできないか?
そう考えたときに、自分がホスト(日産/nismo)として、来場者の皆さまへ笑顔で応対すること。
それが、いま僕にできる日産/nismoへの恩返しでもあり、応援でもあり、自分の喜びでもあるのです。



« 明日から御殿... 音を楽しむ。 »