DAYTONAの2022年 まもなくスタートします。


あけましておめでとうございます。 本年もよろしくお願いいたします。

今年の冬季休暇はいかがだったでしょうか? 街や駅にもたくさんの人だかりで、去年よりも賑わいがあったかのように思います。
僕も県外から帰ってきた友達と年末に会って食事をしたり、少しだけお酒を飲みに出かけたりと日常とは違う休暇を過ごすことができました。
また福岡に建設途中の商業施設内の実物大ガンダムを見に行ったり、メンタルトレーニングの一環としてゴルフを習いに行ったりと、新しい何かを感じた休暇でもありました。
通常業務は明日からですが、本日は昼過ぎからメール等のチェックを行い、徐々に普段の生活へとリズムをシフトしていっています。
新しい1年の幕開けです。

車は僕の揺りかご。


コロナ過(コロナか)とは、2019年末からの新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の流行による災難や危機的状況のこと(Wikipedia抜粋)
自宅にいる時間が明らかに長くなり、最初のうちはYoutubeを始めとするインターネットを用いての娯楽ないしニュースを見る時間を過ごしていたけど、この最近はそれら情報に少し飽きてきた、というよりYoutuberからの発信に対する関心が薄れ始めてしまい、今では好きなアーチストのLIVE映像を楽しんだり、恥ずかしながらも10年以上前のビデオOPTIONを見たりとYoutubeの使い方もこの半年で変化しました。
と、同時に先月から"新聞"をとるようになり、明らかに時代と逆行しながらも、毎朝5時30に起床し新聞を広げ今更ながらに活字の面白さに夢中になっています。 
今の社会情勢では"コロナ"に関するネガティブな情報が非常に多く、大企業はこれまでにない赤字を出し悲鳴を上げている様子が紙面より伝わり、それはYoutubeから配信される”誰々がスーパーカーを納車されました! イェーイ!”的な日本とは全く対局にあるような情報を読みながらも、どちらも”今”であることを考えると非常に複雑な思いが胸に残ります。 
それは時間を余し自分と向き合う事が多くなり、それは時には自分の嫌な部分を明らかに浮き彫りにしてしまう瞬間もあり苦しい場面も正直あります。 
そんな時、僕は部屋で落ち着いて読書したり、馴染みのBARでお酒を飲んだりして気を紛らわしたりもますが、最も好きな時間は好きな車に乗り込み好きな音楽を聞きながら、あてもなく夜の街や高速道路をドライブし、その時間だけは何も考えずに"無"になる事で心と体をリセットしています。 

それはそれで、良かったと思えた日。


"Stay Home"は一つの過去の時代であったかのように、6月に入ると一気に人の流れがこれまでと同じようになり、ショッピングモールやその道中までもが混雑している状況に、静まり返っていた公園での散歩がどこか懐かしくさえも思えてきたりします。 今日の画像は、その静かだった大公園で伸び伸びと体を動かしたこと。 今に思えば、ある程度の自由が失われた反面、お金を使うこともなく仲間と集まるわけでもなかった1日は、まるで少年期にタイムスリップしたかのように、天気の良い芝生の上で汗をかき運動したことは楽しい時間であったことに違いはありません。

もちろん、COVID-19というこれまで誰も経験しなかった未知のウィルスとの戦いや抑制は良い時間ではなかったけど、僕が想定していたGW後の感染者数の増加は全くと言っていいほど当てが外れ意外と静かに推移している環境には、政府主導のコントロール下における成果を評価すべきなのでしょう。
とは言え、問題は解決したわけでもなく、そのリスクは常にあるわけですから、僕は今でも極力不要不急の外出を控えるように心がけています。

緊急事態宣言解除。


福岡県の緊急事態宣言は解除され、特定の業種を除き福岡の商業は再開される見通しとなります。
そのような明るいニュースや、コロナ疲れからか世界各国でのイベント再開などの情報に目が行き、反面いまもなお深刻な状況が伝わっていないような気がします。
これらは決して問題が解決されたということではないので、やはりこれからも油断すること無く十分に気をつけながらも経済を再開させてゆく必要もあるわけです。

ただ最も怖いのは、これから先 今までのような誰もが世界中を飛び回るような生活は簡単に戻ってこないだろうと予測がつくこと。
例えば対面の制限を逆手にオンラインミーティングのシステムZOOM等が注目を浴び、オンラインミーティングが非常に身近になって「会う必要がない」事が当たり前になってしまうこと。
新型商品の発表などはARを使い、世界中のどこにいても臨場感を感じて情報を得ることができることなど。 何が”今まで”で何を”未来”と捉えるのか、僕は非常に困惑しています。
今まではオンラインやAIですべてをコントロールできると思っていたのが、COVID-19の問題で人類は恐ろしいほどの抑制で自由と経済を奪われ、収束(してはいないと思っていますが)の兆しが見えてきた頃には、今度は更に人類は先を行っている現状に、正直僕は追いついていないのです。 それが約3,4ヶ月での出来事なわけですから、それが怖いです。

ともあれ、GW後に増加すると思われていた福岡の新規感染者数は蓋を開けると0の日もあるほど落ち着いて入る状況に、今はただ素直に喜ぶべきなのかもしれません。
今宵のモヒートを楽しみに、さあ出社のために身支度を始めます。



青いりんご


ある日、大阪に住む知人から1枚の写真が送られてきました。
場所は大阪市北区中之島のある"こども本の森" 
日本を代表する建築家「安藤忠雄」が大阪市へ寄贈した図書館を背面から見た絵ですが、そこに巨大なリンゴ展示されているそうです。
COVID-19の影響で今年3月に開館を予定されていた施設は無期限延期されていることもあり、普段は白い布に包まれ姿が見えないようですが、偶然にもその姿を見ることができたとのことで撮影し送ってくれました。

"青いりんご"と題されたおおきなオブジェは、青春のシンボルとしてデザインされたものです。
「目指すは甘く実った赤リンゴではない。未熟で酸っぱくとも明日への希望へ満ち溢れた青りんごの精神」

同じオブジェは兵庫県立美術館に既に飾られており、阪神・淡路大震災からの文化復興の象徴として開館した同所の設計を氏が手掛けたことや、第2展示等を兵庫県へ寄贈した事など。
もちろん"こども本の森"とは開館するストーリーは異なるのですが、大きな時代変動の再スタートとして立ち上がること、そして青いりんご。 荒波にもまれてそして立ち上がっていく行く時は偶然とはいえ、一致する事もあり「希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる」と、青いりんごを語る安藤忠雄の覚悟とも勇気ともとれるメッセージのあるオブジェが、まさかこのタイミングで現れるとは。 僕にとっては寒気がするほど震え上がるストーリーです。

特定警戒が解かれた時には、真っ先に"青いりんご"を見に行きたいと思いながらも、「もっとアップの画像を送ってくれ!」と知人へリクエストして後日送られてきた写真は・・・。

残念ながら開演を待つべく普段と同じ姿へマスキングされていました。
しかしこれは「事態が収拾した際に自分の目で見なさい」とのメッセージであると僕は受け取りました。

荷物が何も届かない・・・。


COVID-19は当初、中国国内の伝染病的な捉え方をされていましたが、あれよあれよという間にその症状は世界中へと広がり、本日現在で163カ国 述べ26万人へと感染が広がり約1万人が亡くなっています。
僕たちがいる福岡県でもつい先日新たな感染者が発表され5名となっています。 
それよりも驚くのはアメリカ合衆国カリフォルニア州で全面外出禁止令が発令され、約4000万人(九州全土の人口でも1200万人 東京都の人口で920万人 )が必要以外の外出をしないように義務つけされているのです。
お願いではなく法律ですので、当然ながら守らない場合には罰則があります。
同じようにイリノイ州、ニューヨーク州も同様の制限がかけられ、実に7000万人(日本の人口が1.2億人ですので約60%)の経済がストップしています。
当然ながら、私達の扱うパーツ類はカリフォルニアなくしては話にならないものも多く、またその前後より既に輸出規制がかかっていましたから、3月上旬に出荷された荷物が未だにアメリカ国内の空港でトランジット待ちという自体にもなっています。 中国からの荷物も同様に止まっていますので、中国製ではないにしても中国製の部品を使っているパーツなどはアッセンブリ化することが出来ませんので、事実上ストップしているのと同じことです。
なんとなく日本国内においては事態の収束を感じさせる動きがありますが、近年他国からの供給に頼ってきた(物もお金も)私達の生活は当然ながら他国あってのものですので、仮に受け入れ先の安全が整ったとしてもそう簡単に事態は収拾するはずもなく、少なくとも僕は海外からの出荷番号を随時チェックしながら見えない敵との戦いが開戦しています。