明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



三島由紀夫自決、日本が受けた衝撃 (中川右介著)を読む。120人に及ぶ人たちの昭和45年の11月25日、いわゆる三島事件当日の体験が時系列順に並べられている。初めて読んだ話として、後にNHK会長になる島桂次の死の前年に出版された回想録には、当日サンデー毎日の徳岡孝夫とともに、市ヶ谷会館で三島からの封筒を受け取ったNHK記者の伊達宗克が、前日の24日に『NHKの責任者の方に』と書いた手紙を持ってきて、それには“私の行動がまげられて伝えられると困るので肉声を正確に伝えてほしい”と書かれており、そのため翌日NHKは三島の演説を撮影することができたという。伊達は「お疑いなら、ここから電話をいれましょう」と言った、とまで書かれている。リアルに語られているが、準備の時間がそれだけあったとしたら撮影はともかく、演説をすべて録音したのが文化放送だけだった、ということはないはずで、眉唾物の話しであろう。 驚いたのが、三島と二度しか面識のない村田英雄とのエピソード。三島はあの日、11時15分前後にトヨペットに乗って市ヶ谷に向かうが、その直前、村田英雄の留守宅に電話をかけ、公演のため岐阜にでかけていることを家人に聞くと、岐阜にまでわざわざ電話をかけ、十年連続紅白歌合戦の出場決定のお祝いを伝えようとしたらしい。まだ村田は到着していなかったが。それが出発の凡そ15分前というから、呆れるばかりの律儀さというか、もうヘンである。 本書には各界の人々の当日の衝撃が語られているわけだが、割腹による自決だけだったら、これほどではなかったろう。やはりあの介錯方である。

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by k_ishizuka on Twitter



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