明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

一日  


先日ツイッターで横尾忠則さんが、今年に入って制作風景や日常を追ったドキュメント映画がクランクインし、今日も撮影があったとつぶやいていた。この映画のプロデューサーは昨年まで同じマンションの一階下に住んでいたYさんである。 以前Yさんに、明日、元薔薇十字社の社主で、三島由紀夫が被写体の幻の写真集『男の死』の企画者内藤三津子さんにお会いすると話すと、Yさんは若い頃あるドキュメンタリーの仕事で横尾さんの助手をしたことがあり、『男の死』の中の1カット『聖セバスチャンの殉教』を参考に、三島のオマージュ作品を描いているのを側で見ていたという。しかも今日、何十年ぶりかで連絡をしたところだというのでさらに驚いた。その撮影が始まったわけである。 Yさんにはいろいろ手伝ってもらった。『中央公論Adagio』でいえば、植村直己のときは犬が横におり、その対比で植村の粘土で作った頭髪に違和感があるので、屋上に呼び出し髪をくしゃくしゃにした私の頭を撮ってもらって合成した。古今亭志ん生では、照明を担当してもらったし、円谷英二ではスタッフ役で登場してもらった。Yさんは十代の頃から映画の現場にいたし、小学生の時に円谷にファンレターを出したというからまさに適役であった。 しかし実際Yさんがいて本当に助かったことといえば、玄関の外で自転車の掃除をしていて電話が鳴り、部屋に入ったとたん自転車が倒れ、ドアを押さえて閉じ込められた時だったろう。YさんはYさんで酷い便秘になり、苦しんだあげく私を呼ぼうとしたらしい。それを聞いて私が“かき出し”ているところを想像してしまったが、薬を買ってきてもらおうとしただけであった。こんな話も映画の完成は先のことなのでかまわないであろう。スタッフロールでYさんの名前を見るのが今から楽しみである。

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