明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



演芸好きTさんと東銀座で待ち合わせ、歌舞伎座近くの『鳴神』にて煎茶。震災の影響で6時までの営業だそうだが、四番茶まで毎回味と香りのちがう味を楽しみ丁度三十分。
『シネマ落語』は前回に続き2回目。古今亭志ん朝『船徳』(昭和57年)絶好調。なんだかまだ生々しく。亡くなってもう焼かれちゃったんだなぁ、と妙な感慨がわく。金原亭馬生『臆病源兵衛』昭和54年)私は誰か一人といえば馬生師である。相変わらず楽しませてもらったが、残念ながら絶好調とはいいがたい。だいたいこれで私より年下というのが全く納得できない。三遊亭圓生『引越しの夢』(昭和45年)収録が古い分若くて色気もあり、さすがこの人でないと味わえない味がある。そして林家正蔵『中村仲蔵』(昭和47年)である。私の世代だと映画『妖怪百物語』(68)だが、彦六時代と違い、頬はピンクで目を剥くと照明が瞳に当たってギラリと光ってなんとも迫力がある。 歌舞伎役者の初代中村仲蔵が『忠臣蔵』五段目の定九郎をそれまでの山賊じみた姿から白塗りの浪人に、たまたま出合った着流しの侍をみて工夫して大当たりをするという話である。史実では四代目團十郎が発案したのを、五代目に「團十郎はそういうことはしないものだ」と却下され、それを聞いていた仲蔵が「やってみていいですか?」「いいよ」。みたいな話である。そしてこの定九郎は実際大当たりし、いまだにその型が残っている、というわけである。噺では、やってはみたけれど、客は唸ってばかりで、仲蔵てっきりしくじったと勘違いし、修行しなおす、と上方に行く道中、自分の定九郎を絶賛する声を聞き、師匠にも褒められ感謝までされる大団円。自分は大丈夫だから、と平然と送り出す妻も良い。 日ごろ常にアイディアを考え、何かと工夫しているつもりの表現者の端くれとしては、グッときて泣けてきた。幸いなことに今日は飲まないで帰るとTさん。銀座通りの駅までの道も、まったく回復しきれなかった私であった。

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