先日神楽坂で会ったTさんが女流作家のNさんに会ったとメールをいただいた。その方は『中央公論Adagio』を毎号楽しみにしていただいていたそうで、都内にはめったに行かないので沿線在住の友達に確保してもらっていたそうである。『特に賢治は良かったと。残っている写真がみんなうつむいている中、顔を上げている賢治サンに初めて会えて嬉しかった』。といっていただいた。私にとって、これは全く冥利に尽きるご意見である。 有名人で、特に残された写真が少ない場合、そのイメージから逃れられない人は多い。例えば長生きした人物でも、若い時代の写真が有名だと、いくつまで生きたんだ、といったところで、そこから一歩もでられなかったりする。たしかに宮澤賢治は、コーチの教えに忠実なボクサーのように常に顎をひいている。それがいかにも賢治らしくはあるのだが、それをあえて下から撮ることは最初に決めていた。平面と違い立体は一度作ってしまえば何処からでも撮れる。残された写真と同じように撮れば安全だろうが、ならば私がわざわざ手掛ける意味がない。覚悟のうえである。 そういった意味で、私がもっとも意地を張ったのが松尾芭蕉号である。弟子達が師匠の肖像画を残しているというのに、全国そこら中にいい加減な爺ィ像を乱造しゃがって、と三人の弟子の肖像画のみを参考に作った。なので芭蕉に関しては、イメージと違うといわれる度、あんたらの無念を晴らしたぞ、と逆に喜ぶ、という珍しい作品となった。 (賢治、芭蕉それぞれ画像下部に制作時の葛藤をまとめてあります)
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