最近、ほとんど合成ばかりなのでレンズの味、などということとは無縁である。味というのは特にレンズのボケ方に収差の残った特徴があり、ということだろうが、撮影場所、拡大率が異なる画像を合成する場合、この味が邪魔になるのである。そこに居るかのようにしなければならないのに、描写が合わなくなる。よって複雑な合成になればなるほど、味とは無縁なレンズを使うことになる。頭に浮かんだ画を再現するためには、それを妨害する物は、すべて排除しなければならない。『それが例えオフクロでもな!』(byフレッド・ブラッシー)。ただそれはレンズを通して撮影する以上、また妙なレンズを集めてきた私としては、薄ら寂しいことではあった。ところが泉鏡花描く所の妖怪は、普段は1メートルに満たないくらいな姿だが、どうやら大きさを(小さい方に)自在に変えられるらしい。これはどういうことかというと、私が制作している30センチ弱くらいな妖怪を、例えば岩陰やら草むらなどに配置し、実物大として撮影ができるということである。となれば、妖怪を撮るに相応しいレンズというものがあるだろう。特に梅雨時の、ドンヨリした季節が舞台となれば、わざわざ低コントラストなレンズで、さらにドンヨリ撮るのも良いだろう。何しろ妖怪である。若い女性を撮るには躊躇するような変態的描写のレンズ、母を撮ったのに、本人に見せられなかった描写のレンズだってある。妖怪でも撮らない限り使う気になれない、嫌な描写のレンズも使いようということになる。妖怪を撮る幸せ。そんなものも私にはあるのである。
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