明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



三体同時に仕上げに入る。一体は上半身だけだが、他の2体も足下までは写らないので靴は後回しにする。 三体目のマント姿のエドガー・ポーは、まだどういう画にするか決まっていない。全身作ってあるので、いっそのこと外へ持って行って手持ち撮影してみようか、と考えないでもない。撮影候補地も2、3浮かんでいる。 片手に人形を国定忠次の刀のように捧げ持ち、片手にカメラの“名月赤城山撮法”。かつて金沢まで出かけて泉鏡花を撮影したように、慣れているはずの方法も、デジカメに転向してから一度も実行したことがない。 私がイメージしていたのは、ある作家が向こうから歩いて来て、たまたまカメラを持っていた人物が出会い頭にシャッターを切った。そんな感じである。被写体はピクリとも動かない。その分、三脚立てて待っていた、となってはならず、多少のピンボケ、ブレなどはかまわない。ただし意図的にやってはならない。使うのはマニュアルレンズであり、片手が塞がっているのでピントは固定、シャッタースピードは15分の一秒。その範囲で頑張って撮る。この心がけがリアルさを呼ぶ。 撮影はリズム良く進めなければならず、一カ所の背景に固執して、シャッターを切り続けるのも良い結果はでない。というより街中で人形とカメラを両手で持っての撮影は非常に恥ずかしく、はやくここから立ち去りたい。と常に葛藤している。これがまた、決して新聞社のカメラマンや、かつての名カメラマンが作家の了解の元に撮影したのではなく、たまたまカメラを持っていた文芸ファンが突然作家に遭遇した感、が出るのではないか。つまり部屋に閉じこもって作っているうちは良いが、街中にまで持ち出してしまってすいません。という人間が撮ると、結果こうなる訳である。

※世田谷文学館にて展示中

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