ドアの上に乗る女神パラス(アテナ)の胸像。その上に止まる鴉。撮影現場の室内光と外光が混じり合う話にならない光線状態を、赤々と暖炉の火が照らす室内に変えた。ほとんど腕力にものいわせたような作業である。先日の撮影後、Sと一緒に焼き肉ランチを食べながら、あんなメチャクチャな条件の撮影で、何故平気で焼き肉を食べているのだ。と不思議がってしまったくらいである。これはひとえに4年続いた『中央公論アダージョ』のおかげである。都営地下鉄の駅周辺を背景に、という条件であったが、特集人物にちなんだ画になる名所でもあれば良いが、ほとんどそんな条件はなく、頓知で切り抜ける他はない場合さえあった。以来、悪条件でもめげることはなくなった。頓知が必要ない分、今回は楽である。 暖炉の火ということで光りの向きが決まり、パラス像にも同じ向きの光を当てた。明日にでも画面に参加予定のエドガー・ポーにも、当てる光が決まったことになる。ポーは手前に、つまり最も暖炉に近い設定なので、光の強さ、角度などそれなりに変えることになる。 私の場合、数字は聴いているそばから忘れてしまうが、おかげで空いたスペースにどうでも良い事が記憶されている。例えば高校の友人の家に遊びに行き、2階の窓を開けた友人の背後に見える天井の様子など。実にどうでも良い。しかしこんな記憶が役に立っている。これが観察してやろう、と入って来る記憶はどういうわけだか使い道がない。つまり私は常にボンヤリしていないとならないのである。 自分で書いていて、怠け者のいい訳にしか感じられない本日のブログであった。
※世田谷文学館にて展示中
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