明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



オイルプリントは祈ることが必要と書いたが、その気持ちが左右し、案外比喩でもない。インクを着けるのも剥がすのも、ブラシで叩くのは同じである。おそらく高速度撮影でもしない限り、見ていても違いが判らないだろう。着けようと思って叩くのと、剥がそうと思って叩くのでは、手先の神経に微妙に伝わるものである。これは丁度コックリさんが動いて欲しい、と思うことが微妙に指先に伝わる、ということに似ているかもしれない。できるようになってみると、テキストでは表現はなかなか難しく、過去に文献のみで再現に挑んだ難しさを改めて感じる。 その代わり知らない分、独自の手法となり、初めてネットの動画でブロムオイルの老作家が大きな剛毛ブラシを逆手に持ち、乱暴に叩いているのを見て仰天した。モノクロ印画紙を漂白してプリントするブロムオイルと違い、ゼラチン層の厚い石塚式オイルプリントでは剛毛ブラシであんなことをしたらゼラチンが破壊されてしまう。その代わり、画材店で容易に入手可能な染色用ブラシは、代用品のはずであったが、その毛先の柔らかさが功を奏し、最後の仕上げで触れるか触れないか、というフェザータッチのブラッシングで、コントラストが上がり微細な調子が現れる。石塚式独自の醍醐味は実はここにある。一人奮闘していた時は、ブラシの使用法には様々用語があるが、話し相手がいなければ用語など意味をなさないことに気付いて苦笑したものだが、今後ブラッシングの用法を伝えるには必要になってくるかもしれない。

「一角獣の変身-青木画廊クロニクル 1961~2016」刊行記念展Ⅰ
2017.05/20(土)~2017.06/02(金)
平日11:00~19:00 日祝12:00~18:00 5/28(日)休廊

HP

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自分の人形すらまだ自分で撮影していない頃、オイルプリント制作を始めた。本業の人形制作を放ったらかしにして、廃れた技法の再現に挑んだ。写真家になるつもりもなく、こんなことをしている場合ではない。と思いながら止められなかった。であるから画が出たら即止めようと決めていた。当時を知る友人は何を血迷ったか、と呆れるばかりであった。実際、ただやりたくてやっていたので画が出始めて封印した。それがそのうち自分の作品を自分で撮影するようになり、個展を開くようになった。だったらあれでやってみよう、と数年経って封印を解いた。 それ以来である。何か突き動かされ、やらずに居れない場合、性能に難がある表層の脳で判断するより、まずやってしまえ。人間も樹木と同様、自然物。内から湧き出る声を聴いておいて損はない。よって新たな手法により制作した三遊亭圓朝像も、私はいったい何をしようとしているのか、ブログを書きながら少しづつ検証しているわけである。 ゼラチンを厚く塗布した用紙を使う“石塚式オイルプリント”は、始めての人でも、おそらく子供でも画が出る。参加者の方々全員、それぞれのプリントを制作されていた。私はそのように画が出るには数年かかっている。もっとも、ピアノは誰でも音は出るが弾けるというのとは別、というところも体験していただいたろう。この技法を公開するのが、2000年にHPを立ち上げたそもそもの理由だが、それでも普及しない理由といえば、写真愛好家が写真制作を愛するのは、何を何グラム、何が何分によって起こる化学的変化の妙ではないだろうか。そう考えるとオイルプリントは写真技法の中では珍しい、写真的教養はあまり必要でないかわり、ひたすら完成を“祈る”ことが重要な技術である。



「一角獣の変身-青木画廊クロニクル 1961~2016」刊行記念展Ⅰ
2017.05/20(土)~2017.06/02(金)
平日11:00~19:00 日祝12:00~18:00 5/28(日)休廊

オイルプリントワークショップ
終了

2017年5月27日(土)13:00~
アトリエシャテーニュ・オルタナティブスタジオ
オイルプリントについてはHPをご覧下さい。
HP

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