明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



友人の中には、私が単に写真を使って日本画みたいな表現ができるようになった、と喜んでいると思っているのがいるが、やってる本人からすると、表現できる範囲が飛躍的に広がった、と考えている。まだ2作目なので何ともいえないのだが。 写真の身も蓋もないリアルさが邪魔になり、そのまま描いても鼻につくだけだ、と頭の中から取り出すのを断念したことはいくらでもある。極端なことをいえば、月岡芳年の血みどろの無惨絵は、西洋絵画の手法、写真ではやりようがないだろう。たかが筆で描いた鬼火と立体像の共演を果たしたぐらいでいえることはまだないが、虚実の案配をどうこうする余地が格段に広がった。まだ上手く言葉にならないが、いずれ私はこういうことをしようとしていたのか、と理解し、次は始めからこうするつもりでやっていたのだ、という顔をする。いつものパターンである。何だか良く判らないがやっていた、なんてバカみたいだからである。 本日、鏑木清方の師匠は水野年方だが、その師匠は月岡芳年だと知った。

HP

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