夢千代日記

SHIMAちゃんの徒然日記・雑記

「ふしぎ駄菓子屋 銭天堂」

2024年12月14日 18時31分23秒 | Weblog
全世界累計発行部数1000万部を突破した「ふしぎ駄菓子屋 銭天堂」シリ

ーズ。2013年に刊行された廣崎玲子作、jyajyaの絵による大ヒットシリーズ

は、子どもたちの心を動かし現在も大人気継続刊行中である。

新米教師の等々力小太郎(大橋和也)は、赴任した小学校でふしぎな駄菓子屋

の噂を生徒たちから聞く。その店の名は「銭天堂」。生徒によると、ものまね

がうまくなったり、テストの点数が上がっているという。

店を訪れると店主の紅子(天海祐希)がいて、ぴったりのお菓子を選んでくれ

るという。ただ、食べ方や使い方を間違えると大変なことになる。やがて、小

太郎が片思いをする友人・陽子(伊原六花)までもが銭天堂で買った駄菓子を

食べてしまうが、人に認められたいというその思いが暴走する。

小太郎は密かに銭天堂を探すが、別の店「たたりめ堂」の存在に気づく。その

店には、不気味に笑う店主・よどみ(上白石萌音)がいた。人の恨みや嫉妬

を好物にしていた。

願いがかなう駄菓子を手に入れ、願いが叶ったとしてもそれはある意味一瞬だ

けのこと。それをどう継続するのかは、結局は自分次第である。駄菓子はきっ

かけでしかないということをさりげなく示す物語。

令和の子どもたちが訪れる昭和感あふれる駄菓子屋。そのお菓子のネーミング

のおもしろさとわかりやすさにクスクスする。

天海祐希は恰幅良い装い。言葉も「ござんす」口調でいつもとは違う役柄だ。

一方、上白石萌音はラストに名前が出るエンドロール。この映画では、バラエ

ティでよく使われる上“黒”石萌音が満載の出演。かわいさも、けなげさも一切

なし。

この役柄に上白石萌音をキャスティングした人は、黒い部分をよくわかってい

るなあと思う。映画の中では、どのように紅子さんにやっつけられ、退場とな

るのかお楽しみに。少しホラーさもあるのだが、監督が中田秀夫だからかもし

れない。

そして、主演はこの人ではないかというほど奮闘していた大橋和也に注目

を、、、と書くまでもなく出番が多い。

当方は原作は未読。以前の職場に置いてあり、おもしろいから読んでと勧めら

れていたのに、読まないままだった。映画化されると聞き、ちょっと後悔。

が、映画は映画として十分に楽しめるのでぜひ。映画を観て気になる人は原作

を手にしてもいい。

国立国際美術館 コレクション展「彼女の肖像」 ⑤

2024年12月14日 08時05分14秒 | Weblog
第5章 個人と国家
 第二次世界大戦後、冷戦下のアジアでは、朝鮮戦争が勃発しました。アメリカ占領下の日本には多数の米軍施設が置かれ、基地を経由して兵士たちが戦場へと送られました。本章では、国家の引いた境界線が女子たちにもたらした現実と、その中で生きる人々の姿や痕跡を見ていきます。

   

 敗戦後、基地の置かれた横須賀には、米軍向けの歓楽街が準備され、そこで働く女子たちが集められました。10代を横須賀で過ごした石内都は、キャバレーやバーなどの立ち並ぶ基地の通りは、「横須賀ではなくアメリカ」であり、衣類手はいけないと聞かされ育ちます。一度横須賀を離れた石内はカメラを
持って基地の近くの街並みを撮影しに戻り、1981年に、通りにあった元キャバレーを会場に写真展を開きました。米兵向けの慰安施設の神奈川県での第一号となった呉楽荘が取り壊される前の様子も撮影しています。
(章解説より抜粋)

            
この写真はどのように見えるだろうか。離れて撮影した原作の写真を撮影すると、花々が咲いて綺麗に見える。だが、その写真をズームすると
                ↓

          
 赤い花だと思っていたのは、      こちらはピタリと揃えられた
 赤い服を着て白い花を持って      プラカード。
 手を挙げている女性たち。 
この写真のタイトルは「ピョンヤン」、アンドレス・グルスキーの作品である。昔、テレビのニュースで見た記憶あり?
 アンドレス・グルスキーは、2007年に北朝鮮の平壌で行われたアリラン祭を撮影に訪れました。この国家規模のマスゲームを実現するためには数万人の国民が動員されます。グルスキーはスティッチング(画像合成)の技術によって、目を見張るようなスぺクタルを構成する女性たち一人ひとりの顔にピントを合わせ、国家という共同体を形づくる個人の存在を浮かびあがらせています。
(章解説より抜粋)  

また、動画なので撮影を控えたが、山城知佳子は沖縄出身。
山城知佳子の多くの初期作品の多くには、自身の姿が登場します。亀甲墓の周りを黒衣で弾みながら踊る姿から一転して、金網で隔たれた土地の回りを淡々と歩く足取りは重く、金網の奥に見える墓の側には近寄ることができません。海岸線を超えて海まで続く有刺鉄線という、ひときわ場違いな「境界線」は、現在まで続く沖縄の困難を物語ります。(章解説より抜粋)
先祖代々の墓が米軍基地の中にある人たちの思いはどこに、、、

そして、撮影が付加な石川真生の作品
沖縄は1972年まで占領下におかれ、基地面積はほとんど変わらず、一部は増設されます。沖縄で生まれ育った石川真生は、米兵を撮影するため、1975年から77年にかけて基地の近くのコザや金武町の黒人向けバーで働きました。しかし、石川のカメラはやがて、同僚である女性たちに惹きつけられるようになります。米兵の男性たちと心を通わせ、働き、逞しく暮らす沖縄の女性たちの写真は、石川から彼女らに捧げられた賛歌です。(章解説より抜粋)
*ぜひ見てほしい。開催後半から作品が交換されている