夢千代日記

SHIMAちゃんの徒然日記・雑記

『マイ・バック・ページ』

2011年06月19日 11時39分41秒 | Weblog
 1969年、沢田は新聞社で週刊誌編集記者として働いていた。安田講堂で学生がたちこもった事件で機動隊は学生たちを排除。それを機に闘争は下火になる一方で、学生運動は全国に拡大していた。彼は、学生運動の活動家たちを追いかけていた。あるとき、沢田は“梅山”と名乗る男に接触する。梅山が率いるのは“赤邦軍”。それは本物の活動グループなのか、偽物なのか、沢田は疑いを持ちながらも彼に興味を持ってしまう。そして、そんなとき自衛隊の駐屯地で隊員が殺害されるニュースが沢田に届く。
 激動の時代に、翻弄された者たち。沢田が無くしたものは大きかった。マスコミとネタ元の関係が微妙だったり、情報が操作されようとしたり、真実を伝えることは難しい。情報は作られるものであることが、虚しい。
 当時主流だったカメラなどの小物類が“時代”を思わせる。原作は、映画評論、翻訳、エッセイなどで活躍する川本三郎のジャーナリスト時代のノンフィクション。川本三郎氏の映画評論はときに悲しみをたたえていたり、優しさが滲み出ていたりする。それは彼自身が、重い経験をしているからこその視点であり、言葉づかいが配慮されているのだろう。
 学生運動の時代から見て、今の時代はどう見えるのか…。
監督は、『リンダ リンダ リンダ』の山下敦弘。若き記者、沢田雅巳には妻夫木聡。赤邦軍のリーダーには松山ケンイチ。東大全共闘議長には長塚圭史、京大全共闘議長には山内圭哉。人気俳優や個性派俳優の共演が、作品の幅を広げていると言えよう。

『アジャストメント』

2011年06月16日 10時00分27秒 | Weblog
 自分の人生があらかじめ決められたもので、定められた道を生きるように操作されているものであれば、あなたならどうする?運命を変えるべく必死でもがくか、定められた道を行くか。とにかく、生きることそのものがタフではあるけれど、“人生は自分で切り開くもの”、それがこの映画のメッセージである。“ボーンシリーズ”のマット・デイモンが、またまた孤独な戦いを続ける。
 デヴィット・ノリスはスラム街に育ちながらも逆行に打ち勝ち、上院議員候補として選挙戦をリードしていたが、あるスキャンダルで落選してしまう。敗北宣言をしようと、トイレでセリフを練習していたところ、エリースという女性と知り合い、一瞬で恋に落ちるが、そのまま再会できなくなってしまう。しかし、エリースの助言で行った敗北宣言が効を奏し、全米一のベンチャー企業の役員として迎えられたデヴィットは、3年後、再び上院選の有力候補となる。
 そして、偶然のエリースとの再会。しかし、彼の行動を監視し、決められた運命に調整する謎の集団がいた。それは運命調整局。得体の知れない組織に自分の人生を調整されていると知ったデヴィットは、一人で組織に立ち向かう。組織は、執拗にデヴィットとエリースを引き離そうとする。それはなぜ?
 記憶を操作したり、記憶を消されて自分と違う人を生きさせられたり、最近のハリウッド映画はそんなテーマが多いなぁ。でもそこは考えず、一気に鑑賞しよう。上映時間は短めだ。
 人気SF作家、フィリップ・K・ディックの同名短編小説の映画化。デヴィットには、マット・デイモン。エリースにはエミリー・ブラント。監督は、ジョージ・ノルフィが務めている。