松竹100周年記念作品。
原田マハの同名小説の映画化。原作は既読しており、映像化されるだろうと思って読んでいた→。
志村けんさんが主演されるはずだったが、撮影前に亡くなってしまい、沢田研二にキャストが変更された。
とても楽しみにしていた映画なのであるということを踏まえて、これは、山田洋次監督が思うところの古き良き時代の映画への思いが集結されたものなのであろうと考える。コロナ禍での映画や映画館の位置づけについても問いかけている。
小津安二郎監督や往年の女優へのオマージュもあり、昭和の時代の映画熱が溢れたもの。たくさんのものを詰め込んだ。
ただ、本当に原作とは違うのでがっかりすることも否めない。読んでいなければ、あの原作のラストはどこに行った??と思うことなく楽しめるかも。
ゴウ(沢田研二)はギャンブル好きで飲んだくれ。年金さえも手に入ればギャンブルで消えてしまい、借金は減っていかない。それを妻の淑子(宮本信子)や娘・歩(寺島しのぶ)が肩代わりしてきた。
二人と言い争ったゴウは行く当てがなく、「テアトル銀幕」に足を運ぶ。「テアトル銀幕」の支配人・テラシンは、ゴウが映画撮影スタッフだったころからの親友だ。
映画監督を夢見て助監督として忙しく働く円山郷直(通称ゴウ)。撮影所の近くには食堂があり、そこはスタッフのたまり場となっていた。
若き日のゴウは、食堂の娘・淑子や仲間の映像技師テラシン(小林稔侍)と青春の日々を生きていた。
やっと監督としての仕事が回ってきたゴウ。作品はゴウが大事に書いてきた「キネマの神様」である。しかし、緊張でお腹を壊した上に、こだわりの強いカメラワークなどでもめてしまい撮影ははかどらず。
そして、セットから転落し、怪我をおう。撮影は延期に。
しかし、ゴウは撮影所を辞め、「キネマの神様」は幻の作品となってしまう。
田舎に帰ることにしたゴウは、テラシンに淑子と付き合うことを勧めるが、淑子はゴウに付いていくことを決めていた。
孫・勇太(前田旺志郎)は引きこもり気味、自室でネットを活用して過ごす。だが、ゴウの若いころ監督するはずだった脚本を目にし、あることをゴウに話す。密かに、徒党を組みある計画を練る。
映画は、昭和の時代のゴウ、淑子、テラシンがいた時代と交互に進む。
その若いころを菅田将暉、永野芽郁、野田洋次郎が演じている。往年の大監督をリリー・フランキー、スター女優を北川景子が演じる。
沢田研二の若い時代を菅田将暉?とか、永野芽郁に昭和の雰囲気がないとは思うなかれ。そこを突っ込むと映画は成立しない。実際、ジュリーの頃の沢田研二はスタイル抜群で格好良かったということで。
ところで、『今夜、ロマンス劇場で』という映画をご存知だろうか。綾瀬はるかが銀幕の中の往年のスター、坂口健太郎がその映画に出ているスターが好きで、ある日、スクリーンからそのスターが飛び出してきて実際に恋をする話。
この『キネマの神様』では、それが、浮かんできて仕方がなかった。・・・しかし、鑑賞途中でたぶんこうなると気づいていた。
映画のラストは、そんなファンタジーである。
ご機嫌な現在のゴウがカラオケであの歌を歌う!それは、志村けんさんへ向けてのものであるのが見どころ、聴きどころである。さすがにここは、ジュリーなのである。歌がうまい!
そしてそしてだが、「テアトル銀幕」の常連客として片桐はいりが出演している。
彼女はとあるミニシアターで働いていた経験があり、有名になった現在もミニシアターに顔を出し、手伝う。
原作では、解説をつとめているほどだ。やっぱり、この映画でも常連客として一役買ったのだと思った。
デジタル化が進み、閉館を余儀なくされていく名画座。フィルム映画と映写機が回る音が醍醐味、と思うのはある一定の世代となったからだろうか。
原作はこの〝名画座〟という言葉がキーでもある。