記事題名を「読み解く」としたが、それ程大層なものではない。ちょっとした暇つぶしと言った程度。悪しからず。
菅首相が参院選敗北後、首相の「知恵袋」とされる小野善康大阪大教授と会ったり、民間人初の駐中国大使に近く着任の伊藤忠商事元社長の丹羽宇一郎氏と会ったり、これは赴任に当たっての会談が主たる目的だろうが、小林良彰慶大教授、さらに宮台真司首都大学東京教授と会ったり、米倉経団連会長、さらに京セラの名誉会長で経営再建中の日本航空の会長も務める稲盛和夫と会ったり、次々と著名な識者と会談している。
これは「栄光浴」といった心理学的欲求が動機づけた活動ではないだろうかと、例の如く勘繰ったわけである。
「栄光浴」とは改めて言葉の意味を『社会心理学小事典』(有斐閣)から書き写すと、〈basking in reflected glory(反射された栄光に浴する) 高い評価を受けている個人・集団と自己との結びつきを強調することによって自己評価や他者からの評価を高めようとする方略。これは特に一時的に自尊心が低下している場合に生じる傾向がある。〉
〈他者からの評価を高める〉とは、一般的にはこういった立派な人とも知り合いなんだと周囲の人間に思わせることで、知り合いの立派な人間と同等の評価を自身も受けようとすることなのだろうが、菅首相の場合は他者からの評価を高めるというよりも、自分自身が自己評価を高めることに重点を置いた「栄光浴」なのかも知れない。
あるいは次々と著名な識者と会うことで、参院選敗北にも関わらず、精力的に動き回っている印象を与える狙いもあるのかもしれない。へこたれてなんかいない、その証拠がこれこれこのとおりの忙しさだ。識者と会って、今後の参考となる意見を交わしてねじれ国会に臨むべく満を持しているといったところを見せるために。
尤も参院選敗北のショックから居ても立ってもいられない、誰かと会うか何かをするかして時間を潰さないことには身が持たないから、誰彼なしに人と会っているということもあるかもしれない。
さらに勘繰ると、関係修復を願って自分から申し込んだ小沢前幹事長との会談が実現しない代償行為として、確実に会ってくれる著名な識者と次々会ったということもあるかもしれない。会ってくれる人間はいくらでもいるんだということを誇示して、小沢会談の未実現を無意味化する。
「栄光浴」なる心理学的衝動が〈特に一時的に自尊心が低下している場合に生じる傾向がある。〉という特徴を抱えているところに菅首相の現在の心境と心境が促す行動に当てはまりはしないだろうか。
菅首相は6月3日の鳩山前首相退陣を受けた代表選出馬記者会見でも、6月8日の首相就任記者会見でも、「普通のサラリーマンの息子」であることを強調していたが、裏を返すと、普通のサラリーマンの息子が総理大臣に上り詰めたことを誇示、自慢して、そこに一種の自己存在証明を置いていた。いわばたいした人間、たいした政治家ではないかと暗に誇っていた。
実際はあくまでも自身の能力の問題で、大金持ちの息子だろうが、ホームレスの息子だろうが、妾・愛人の類の息子だろうが(韓国の金大中元大統領は自叙伝で自分が妾の子であることを告白しているそうだ。)、あるいはハーフの息子だろうが関係ないことだが、そこは合理的判断能力を欠いているから、サラリーマンの息子であることに自身の能力の根拠を置いていたのだろう。
総理大臣という職業・身分に到達するにはかけ離れた(大体がかけ離れていると見ること自体が狂っている。)自身の職業的出自を誇りに誇っていた人間が選挙で大敗して、職業的出自が何の保証にもならないことに気づいて、自尊心が甚だしく傷つけられなかったことはあるまい。
首相就任後、内閣支持率が一気にV字回復して自信を深めていたが、その自信を選挙大敗で打ち砕かれて、執行部人事では小沢前幹事長に対して、「少なくとも暫くは静かにしていただいたほうがいい」と遠ざけ、小沢グループ排除に動いていながら、大敗が状況を一変させ、小沢前幹事長に関係修復を図る会談を自ら申し込み、しかし相手からは応じない仕打ちを受けて、ただでさえ痛めつけられていた自尊心をなお痛めつけられただろうことは想像に難くない。
要するに〈自尊心が低下〉〉状況にあった。そんな中での識者との相次ぐ会談である。
勿論、何らかの助言を得たい目的もあったろう。その中に窮地を脱出する知恵が含まれていないかといった期待もあったに違いない。人生の窮地に立たされた者が占いに縋るように。
《民主が有識者呼び敗因分析》(MSN産経/2010.7.25 19:22)
7月〈25日、公邸に小林良彰慶応大教授(政治学)と宮台真司首都大学東京教授(社会学)を招き、参院選での民主党大敗の原因分析を聞いた。〉――
名目は「敗因分析」である。
小林慶大教授(消費税発言)「議論の出し方に、もう少し工夫があったのではないか」
宮台首都大学東京教授「国民の強い関心がどこにあるのかを適切に把握できなかった場合に敗北しがち」
そして、〈「国民の支持をより多く獲得できるようなメッセージの作り方」について持論を述べたという。〉
《首相 政権運営への意欲伝える》(NHK/10年7月28日 5時9分)
菅首相は7月27日夜、京セラの名誉会長で経営再建中の日本航空の会長も務める稲盛和夫氏と会談。
稲盛会長「菅総理大臣には、『日本のためによいことなのか悪いことなのか』という基準で、大所高所に立った判断を行ってほしい。とにかく頑張ろう」
菅首相「国民が夢と希望を持てるような政権運営を行いたい。そのために一生懸命頑張っていきたい」
〈稲盛会長は民主党の有力な支援者で、小沢前幹事長や前原国土交通大臣とも親交があることで知られており、菅総理大臣としては、稲盛会長の理解と協力を取り付けることで、みずからの政権運営への求心力を高めたいというねらいがあるものとみられます。〉――
両会談とも、実際の会話の中身は知りようがない。すべて会談後に記者に語った言葉である。
参院選挙の結果、大敗の事実はもはや覆しようがない。それを会談という形で識者から「敗因分析」して貰う。どれ程当面の役に立つのだろうか。最重要、喫緊の課題はねじれ国会という最悪の不利な状況下、如何に政権運営していくかにあるはずだ。
今後の役に立てるなら、何人かの識者に異なる視点から研究の形で敗因を分析して貰って、論文に仕上げて提供を受け、それを参考材料として作成者と敗因について質疑応答する方が遥かに役立つはずだ。
だが、左程役に立つとは思えない会談の形にした。
稲盛会長との会談は稲盛会長の〈理解と協力を取り付けることで、自らの政権運営への求心力を高めたいというねらいがあるものとみられ〉るということだが、その理解と協力がねじれ国会運営に果してどれ程の求心力となって働くというのだろうか。
要するに会談の殆んどはセレモニー的意味合いを持っていたはずだ。社会的に著名な識者と会うことが先ずは第一の目的だった。
あれ程誇っていた「サラリーマンの息子」であることが政権運営の能力証明に何ら役に立たず、自尊心がいたく傷つけられ、低下状況にあった。社会的に著名な識者と会うことで、低下した自尊心を修復し、正常心を回復した上に「サラリーマンの息子」を誇った頃の自信タップりを取り戻す手段にしたいと少なくとも期待していたはずだ。
民主党支持の、積極的支持だけではなく、消極的支持であっても、会うことを快く引き受けてくれた識者なら、儀礼上からも励ましの言葉をかける。励ましを受けることが、自分自身がまだ見捨てられていないことの評価となる。見捨てた者に誰が励ましの言葉をかけるだろうか。
一般国民の世論調査での菅首相の評価は菅首相を見捨てている者が上回っている。「次期首相にふさわしい人物」の世論調査でも渡辺喜美みんなの党代表に僅かながらであっても抜かれ、支持しない理由が「政策に期待が持てないから」とか、「実行力がないから」と能力否定の散々な評価となっていて、とても励ましの評価とはなっていない。
識者と会うことで励ましを受け、それを自身がまだ見捨てられていない評価とすることで、他者からは失いつつある自己評価を自ら高めようとした。そんじょそこらの人間の励まし、評価ではない。社会的地位と社会的名声を獲得した著名な識者の確かな力を持った励ましであり、当然自己の評価とし得る。確かな人間からの励ましという評価を得ることで、それを自身の評価とする「栄光浴」の心理的動機が無意識下に働いた会談ではなかったろうか。
そのために菅首相は著名な識者の追っかけと化す一時的な症状を呈したとも言える。