昨24日の民放の朝の報道番組で結構な歳の、どちらかと言うと古手のコメンテーターだか政治評論家だか知らないが、小沢前幹事長は代表選に立候補しないだろうと御託宣していた。首相になった場合、「政治とカネ」の問題で野党の国会追及の攻勢に曝される、今秋検察審査会から2度目の議決が予定されていて、強制起訴となった場合の不利、国民の批判が強く、支持を得ることが難しいといったことを理由に挙げていた。
確かに野党は待ってましたとばかりに激しい追及に出るに違いない。世論調査での「政治とカネ」の問題で十分に説明を尽くしていないと考える80%から90%の国民意識を錦の御旗として攻め立てることは間違いない。
だが、秋に検察審査会の議決が出るまではこれまでの検察の取調べが不起訴と決定したことを理由に追及を回避できる。そして時間は流れ、秋のシーズンが幕開けして、検察審査会が起訴相当と議決して強制起訴に持ち込むことになったとしても、憲法75条が規定している「国務大臣は、その在任中、内閣総理大臣の同意がなければ、訴追されない」を最悪の場合利用できる。(〈党幹部は、小沢氏が出馬を検討するのは、検察審査会の機先を制する狙いもある、とみる。「首相になればそう簡単に訴追の判断はできなくなるからだ」と指摘。仮に強制起訴されても「国務大臣は、その在任中、内閣総理大臣の同意がなければ、訴追されない」との憲法75条を盾に訴追を阻むことも可能との見方もある。〉《民主代表選、高まる主戦論(その1) 小沢氏「9月勝負だ」》(毎日jp/2010年8月23日))
世論調査に於ける小沢内閣支持率は何ら期待していないだろう。0%であったとしても、覚悟しているはずだ。何しろ「政治とカネ」の問題で「説明不十分」と見る国民は80%から90%を越すに至っているのだから。最悪の支持率を前以て予定調和としているだろうし、予定調和としなければならない。ゼロベースから出発して、実績を上げて1%ずつ積み上げていくしかない。
その間国会での野党の追及とマスコミの小沢叩きの場内・場外乱闘が続くが、耐えるしかない。
だが、小沢はさすがだ、確かに豪腕だと唸らせ、すべての批判を沈黙させる、それができなくても、少なくとも唖然とさせてしばし言葉を失わせる奇策がないわけではない。普天間移設先を国外と決め、先の日米合意を破棄、アメリカと交渉に入ることを宣言する。アメリカ側も小沢一郎を日本の政界に於ける最大の実力者と見ている。国外決定に持ち込むことが復権の最大の足がかりとなるはずだ。
その上、参議院で新緑風会を含めた民主党106議席の過半数獲得122議席に不足する16議席を政治手腕を以って何が何でも獲得する。普天間を国外と宣言すれば、社民党の連立復帰は確実視できるし、社民の参院4議席と国民新党の3議席を合わせれば、後は9議席。
9議席をどうにかする手腕がないなら、豪腕の看板を降ろした方がいい。
岡田外相が8月20日に「起訴される可能性がある方が代表、首相になることには違和感を感じている」と発言して、小沢一郎立候補に異を唱えたのに対して、原口総務相が2日後のは22日に、「民主主義の原点を踏み外した発言をすべきではない。推定無罪の原則が民主主義の鉄則だ」と反撃のパンチ(以上「asahi.com」)。
このパンチに対して岡田外相がさらにパンチの応酬。
岡田外相「推定無罪は法律の問題だ。政治倫理の問題でどうなのか、次元の違う話だ」(YOMIURI ONLINE)
法律はすべての分野に関わる、あるいはすべての問題に関わる人間営為の善悪・是非に対する最終判断の役目を担っている。最終判断が冤罪という形で間違うこともあるが、他の判断、例えば政治上の判断や国民の認識や判断に優先する。
このことは政府の政策を不服として裁判に訴え、最終判断を裁判の決定に委ねる場合があることが証明している。政治倫理上疑わしいからと言って、そのことを以って疑惑を事実とすることはできない。疑惑は疑惑にとどまる。
国会各議院の国政調査権に基づいて証人喚問する場合でも、偽証の疑いがあったとしても、それを以て事実と看做して罰する権限は国会にはなく、勿論国民にもなく、出席委員の三分の二以上の賛成を以って議院証言法違反で告発、検察が取調べを行った上で偽証の事実を証明できるとした場合起訴、この段階でも事実の証明の可能性の存在であって、事実の決定ではなく、疑いにとどまっていて、最終判断は裁判に委ねられ、その判決を以って偽証が事実か疑いだけのことなのかの決定が下される。
いわば政治倫理の問題にしても、疑惑の最終的な判断は裁判が決定する。それまでは推定無罪の状況が維持される。岡田外相が言うように、“次元の違い”を以って決定することはできない。
だからと言って国民の疑いは晴れないだろう。だが、誰もその行動に制限を加えることはできないはずだ。