菅首相に自衛隊制服組トップとの意見交換会での発言から改めて指導力欠如の潜在性をみた

2010-08-20 08:52:07 | Weblog

 菅首相が昨8月19日、自衛隊の統合・陸海空4幕僚長と首相官邸で初めて意見交換を行った。この実現は菅首相自身の発案ではなく、今月2日の衆院予算委員会で質問に立った自民党の石破元防衛相に「制服組から意見を聞いたことがあるのか」と聞かれて、首相が「機会を見つけて話を聞きたい」と答弁、実現の運びとなった追従性の意見交換会だそうだ。

 現役自衛隊制服組幹部とのこのような意見交換会が一国の指導者として安全保障面に於ける重大な必要事項であるなら、自発性からではなく、他人からこうしろと言われて行う追従性からの実現であること自体が、素直であるということよりも、自発性、あるいは能動性を基本条件とする指導力に微妙に関係してくる問題点となる。

 また、現役自衛隊制服組幹部の意見のみが常に絶対であるわけではないし、その意見が日本の安全保障のすべての問題を捕捉可能なわけではない。絶対、あるいは捕捉可能としたなら、軍に動かされ危険性を抱えることになる。

 防衛大臣が政務官や事務次官を交えて自衛隊幹部と意見交換を行い、そこに現れた問題点を防衛大臣を通して総理大臣に具申してもいいわけであるし、総理大臣はこのような経緯を踏んだ意見と防衛問題に関わる各識者との議論等と比較検証して、これらを参考材料に基本としている自らの防衛観、安全保障観に従って防衛大臣等を指揮監督して日本の安全保障政策を遂行することで自らの責任を履行可能とすることもできる点を考えると、他人からこうしろと言われて行う追従性自体が主体性の欠如そのものの証明となり、自発性、あるいは能動性は主体性が深く関わる資質であるゆえに、このことも指導力有無の問題となって撥ね返ってくる。

 参考のために「主体性」の言葉の意味を「大辞林」(三省堂)から引くと、「自分の意志・判断によって、みずから責任をもって行動する態度のあること」と出ている。まさしく指導力=リーダシップそのものを言い表している言葉の意味となっている。

 意見交換会を開いたという記事に触れたとき、主体性がないなというのが最初の印象だった。石破元防衛相の指摘に単純に従うのではなく、何か工夫した別の形で実現させ、そこに自分なりの独自性を演出する手もあったはずである。

 多分そこまで考える判断能力を欠いていたのだろう。言われたからやるでは、内閣のトップとしては余りにも隷属的である。

 この意見交換会でいくつかの記事が菅首相の総理大臣及び防衛大臣の役目に関わる認識不足を指摘している。

 《菅首相知らなかった?「大臣は自衛官じゃないんですよ」》asahi.com/2010年8月19日20時36分)

 最初は制服組幹部との意見交換会の前に北澤防衛大臣との雑談の中で飛び出した発言だそうだ。

 菅首相「ちょっと昨日予習をしたら、(防衛)大臣は自衛官じゃないんですよ」

 記事解説。〈憲法66条は「大臣は文民でなければならない」と規定しており、これを知らなかったかのような発言は、シビリアンコントロール(文民統制)への理解の浅さを露呈したと批判されそうだ。 〉・・・・

 次が本番の意見交換会での挨拶。

 菅首相「改めて法律を調べてみたら『総理大臣は、自衛隊の最高の指揮監督権を有する』と規定されており、そういう自覚を持って、皆さん方のご意見を拝聴し、役目を担っていきたい」

 記事解説。〈これまで、そうした自覚がなかったと受け取られかねない発言だ。 〉・・・・

 折木統幕長が意見交換会を終えたところで記者団に捕まって、一連の発言について聞かれる。多分、待ってましたとばかりに。

 折木統幕長「本当に冗談だと思う。指揮官としての立場は十分自覚されている上での話だと、私は認識している」

 「ちょっと昨日予習をしたら」、「改めて法律を調べてみたら」の言葉は鳩山前首相の「このことを学べば学ぶにつけて」を連想させた。

 沖縄の海兵隊は抑止力として沖縄に存在しなければならない理由にならないと思っていたが、「このことを学べば学ぶにつけて」抑止力維持のために必要であることに思い至ったといった趣旨の発言をして有名となった例の枕詞(まくらことば)である。

 今更ながらの「学べば学ぶにつけて」の余りの遅さ、余りの時宜不適合に首相としての資質に大いなる疑問符をつけることとなった。

 《菅首相:自衛隊4幕僚長と会談 民主政権で初めて》毎日jp/2010年8月19日 21時25分)

 どのような意見を拝聴したのか、その一端を記事は触れている。 

 〈首相は「制服組の皆さんと意見交換する機会が少なく、国会でも指摘された」と会談に至った経緯を説明。PKO(国連平和維持活動)や国際緊急援助隊の派遣手続きなどに関心を示し、「最高指揮官の私と現場の最高幹部が頻繁にこういう機会を持つのは非常に有意義だ」と語った。〉

 〈PKO(国連平和維持活動)や国際緊急援助隊の派遣手続き〉等がわざわざ時間を割いて会談をセットし、制服組トップに直接尋ねなければならない問題なのだろうか。派遣先現地に飛んで、各隊員が直接肌に触れたり、見聞きしたりした活動の状況、あるいは困難性、地元治安状況等を聞くことの方がより有意義であろう。なぜなら、現地で活動する隊員以外には知り得ない、第三者から聞いた場合は間接情報と化す、現地の知識・情報だからだ。

 問題発言。

 菅首相「昨日予習したら防衛相は自衛官ではないそうだ」

 菅首相「改めて法律を調べたら首相は自衛隊の最高の指揮監督権を有すると規定されている」

 記事解説。〈認識不足ともとられかねない発言をしたため、会談終了後に折木幕僚長が「冗談で、指揮官の立場は十分自覚されている」とフォローする一幕もあった。【横田愛】〉・・・・

 《「防衛大臣は自衛官ではないんですね」と首相》YOMIURI ONLINE/2010年8月19日20時35分)

 菅首相(同席した北澤防衛相に)「昨日予習したら、大臣は自衛官ではないんですね」

 菅首相(意見交換会の席で)「改めて調べてみたら、首相は自衛隊の最高の指揮監督権を有している」

 記事解説。〈首相の発言について折木氏は記者団に、「冗談だと思う。(首相は)最高指揮官なので、意見交換が出来たことは非常に意義があり、大変ありがたい」と述べたが、政府内からは「首相は文民統制を理解していないのではないか」との声も出た。憲法は66条で「国務大臣は文民でなければならない」としている。〉・・・・

 改めて法律を調べてみたら、内閣総理大臣が就任と同時に自動的に自衛隊の最高の指揮監督権者となることを知った。自衛隊を管轄する防衛省の長として自衛隊を直接指揮・監督する防衛大臣も自衛隊と直接結びつく何らかの役職を自動的に割り当てられると勘違いして、昨日予習してみたが、そんなことはないことを知ったといったところではないだろうか。

 副総理時代の2009年10月25日に当時の鳩山首相の代理として神奈川県相模湾で行われた海上自衛隊観艦式に出席している。自衛隊の最高の指揮監督権者である内閣総理大臣の代理出席だという認識ではなく、単に首相の代理といった認識で出席していたことになる。

 いずれにしても「総理大臣は、自衛隊の最高の指揮監督権を有する」と規定していたことと、「大臣は文民でなければならない」とする憲法66条の規定を前以て心得ていなかった認識不足は内閣の長たる総理大臣の指導力に深く関わってくる。基本的認識は合理的判断能力発動の基礎を成す認識である。基本的認識が不足していて、そこから合理的判断を発動させようとも、不備を伴うからだ。

 総理大臣に就任と同時に国民の生命・財産と国土を外敵から守る軍事的手段としての自衛隊3軍の最高指揮官をも担ったという責任の重大さの自覚を持たないままの安全保障に関わる認識の構築は総理大臣としての役目上の義務、底の浅い通り一遍の構築で終わりかねない。

 指導力とは関係ない要素である、1年前後で首相をコロコロ代えることの日本の政治の不手際を避ける理由で首相を選択すべきなのか、例え1年前後で首相がコロコロ代ることになろうとも、純粋に指導力を基準として首相を選ぶべきなのか、国民もそこに自覚を置いて見守るべきではないだろうか。

 殆んどの世論調査が菅内閣支持少数派、続投支持多数派のねじれ現象を起している。不支持の大部分を実行力の欠如、あるいは指導力の欠如が占めている。1年前後で首相をコロコロ交代させることの忌避感が指導力とは関係なしに続投支持の理由となっている。

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