遠藤浩一・拓殖大学大学院教授が菅首相談話を批判している。《【首相談話】「史実無視、歴史を愚弄」遠藤浩一・拓殖大学大学院教授の話》(MSN産経/2010.8.11 08:40)
短い記事ゆえ、全文を参考引用してみる。
遠藤浩一「菅談話には『歴史に対して誠実に向き合いたい』と盛り込まれている。私はこの記述が一番ひっかかった。談話が体現するものは、むしろ逆ではないか。
終始、日本を一方的に痛みを与えた存在と位置づけ、韓国は痛められたという見方で描かれているが、併合によって韓国には日本国民の多くの血税が投入され、鉄道建設や治山治水、農業の技術指導、金融制度の導入などが行われた。こうした日本の統治によって民生は飛躍的に向上し、これが韓国の近代化の原動力になったという側面も否定できない」
こうした『事実』をなかったことにすること自体、歴史に対して不誠実な態度である。そしてこのような政治的にゆがんだ談話を出す目的が菅政権の延命にあるとするならば、それこそ歴史への愚弄(ぐろう)にほかならない」――
談話が「菅政権の延命にある」のかどうかは知らない。「歴史への愚弄」と言っているが、「歴史の評価は歴史家に任せるべき」とする安倍晋三の論理からすると、「愚弄」かどうかも歴史家に任せるべきだとなるが、少なくとも歴史の評価方法について保守派で統一しておくべきではないかと思う。
遠藤教授が言っていることは要するに日本は韓国のために良いことをたくさんした。悪いことばかりしたわけではないと、悪いことと良いことを相殺して、そこにプラスの良いことを見い出し、決して悪いばかりの植民地経営ではなかったと、善なる方向へと振り向けようとする意志からの戦前日本の擁護論であろう。
この手の主張を持ち出す政治家、文化人、知識人等々、かなりいる。
「日本国民の多くの血税」を「鉄道建設や治山治水、農業の技術指導、金融制度の導入」等に気張って投入したのはあくまでも朝鮮に於ける植民地経営の推進・進捗、円滑化を直接的な目的とした、いわば植民地経営から濡れ手に粟の利益を吸い上げる(少なくとも当初の希望はそうであったはずだ。)、あくまでも大日本帝国のためであり、朝鮮及び朝鮮国民の利益を直接の目的とした投入ではあるまい。
このことは強制連行に現れている。朝鮮及び朝鮮国民の利益を直接の目的としたなら、とても本人の意思を踏みにじった強制連行などできない。日本の利益のみを目的としていたから、人権無視の強制連行ができた。
韓国を植民地としたということは日本及び日本人を支配者の位置に置き、朝鮮及び朝鮮人を被支配の位置に貶めたことを意味する。この事実は重要である。
支配とは支配下に置く者を自己の意志に従わせることを言い、被支配とは自己を支配する者の意志に従わせることを言う。当然そこには支配から被支配に向かう様々な強制、束縛、規定の力が働くことになる。被支配側から言うと、様々な強制、束縛、規定の力を受けることになる。これらは日常生活にも及んでいる。
具体的には朝鮮人を日本の戦時体制に組み込むための植民地政策として打ち出した靖国神社参拝の強要、母国語である朝鮮語(ハングル)の使用禁止、日本語使用の強制、日本風の名前に強制的に改めさせた創氏改名等の各政策を含んだ「皇民化政策」を挙げることができる。
先祖代々から伝えられ、自己の血肉・精神としている宗教でもない外国の宗教の参拝を強制される。その強制はそのまま己の精神に対する強制、束縛、規定となって撥ね返ってきたはずである。
創氏改名の場合、『日本史広辞典』(三省堂)によると、〈1939(昭和14)11月朝鮮民事令改正によって公布、翌年2月施行。同年8月までに新しい氏名の届けをさせ、改名しない者には公的機関に採用しない、食糧配給から除外するなどの圧力をかけたために、期限内に全戸数の80%が届け出た。「内鮮一体」を提唱する南次郎朝鮮総督の政策の一つ。〉と出ている。
「内鮮一体」とは「一体」なる言葉が含意している対等性に反して、朝鮮の日本化、日本への吸収による支配的「一体」に過ぎない。当然そこには日本及び日本人による朝鮮及び朝鮮人に対する行動と精神に対する侵害が生じる。行動と精神に対する侵害とは彼らの精神の自由、行動の自由、尊厳を奪い、歪めることに他ならない。
朝鮮及び朝鮮人の精神の自由の奪取、行動の自由の奪取、尊厳の奪取の上に、「日本国民の多くの血税が投入され、鉄道建設や治山治水、農業の技術指導、金融制度の導入などが行われた」のである。
その事実を見ずして、「こうした日本の統治によって民生は飛躍的に向上し、これが韓国の近代化の原動力になったという側面も否定できない」と、日本による朝鮮植民地化の正当性を言う。
1945年8月敗戦の前年、1944年当時の朝鮮及び朝鮮人の民生(人民の生活、人民の生計)が飛躍的に向上していない証拠を示す記事がある。《朝鮮人 強制連行示す公文書 外務省外交史料館「目に余るものある」》(朝日新聞/1998年2月28日)
〈アジア・太平洋戦争末期に、植民地だった朝鮮半島から日本へ動員された朝鮮人に対して、拉致同然の連行が繰返されていたことを示す旧内務省の公文書が、外務省外交史料館から発見された。「強制連行」についてはこれまで、被害者の証言が中心で、その実態が公式に裏付けられたのは初めてと見られる。
水野直樹・京都大学助教授が発見、整理した。28日、「朝鮮人強制連行真相調査団」を主催して千葉市で開かれるシンポジウムで発表される。
問題の文書は、内務省嘱託員が朝鮮半島内の食料や労務の供出状況について調査を命じられ、1944年7月31日付で内務省管理局に報告した「復命書」。
その中で、動員された朝鮮人の家庭について「実に惨憺(さんたん)たる目に余るものがあるといっても過言ではない」と述べ、動員の方法に関しては、事前に知らせると逃亡してしまうため、「夜襲、誘出、その他各種の方策を講じて人質的掠奪(りゃくだつ)拉致の事例が多くなる」と分析。朝鮮人の民情に悪影響を及ぼし家計収入がなくなる家が続出した、などの実情を訴えている。また、留守家族の様子について、突然の死因不明の死亡電報が来て「家庭に対して言う言葉を知らないほど気の毒な状態」と記している。
水野助教授によると、植民地に関する42年以降の大半の内務省文書は、自治省の倉庫にあると言われながら、存在は明らかにされていないという。「植民地の実態を明らかにするためにも一連の内務省文書の公開を急ぐべきではないか」と指摘する。
今回、水野教授らが集めた資料を東京都内の出版社が復刻出版しようとしている。だが、外交史料館は「外務省に著作権がある」と不許可にした。>――
調査を命じられた日本人が直接目にした朝鮮人の「民生」である。彼らが精神の自由も行動の自由も朝鮮人としての尊厳も奪われていた様子のみが浮かぶ。彼らにとって、「日本国民の多くの血税が投入され、鉄道建設や治山治水、農業の技術指導、金融制度の導入などが行われた」ことがどれ程に役立っていたというのだろうか。1945年終戦の前年の「民生」だから、終戦まで続き、さらに戦後まで続いたこことは確かであろう
多分、民生が飛躍的に向上したのは日本人と結びついて日本人と共に同国人の朝鮮人に対して搾取を働いた一部朝鮮人といったところではなかったのではないか。
日本及び日本人によって惨憺たる被害を受けたまま、日本の韓国に対する戦争賠償やベトナム戦争特需等によって韓国が近代化し、経済発展を遂げたことに伴って自らの生活の向上を得る前に死亡した朝鮮人が多くいたに違いない。
例えばカネのある男が若い女を愛人とし、豪華なマンションに住まわせ、高価な衣服を好きなだけ買わせ、宝石やブランド品で身を飾らせ、贅沢な食事を保証するような民生の向上を一般の朝鮮人生活者にまで広げていたとしても、若い愛人の行動を監視し、束縛し、精神の自由・行動の自由を奪っていたなら、どれ程に意味のある生活だろうか。意味のないことに異議申し立てをした場合、男は俺が稼いだたくさんのカネを「投入」し、今までのお前の贅沢な暮らしが成り立ってきたのだと自分を正当化するのと同じ構造の遠藤浩一・拓殖大学大学院教授の韓国植民地化正当の主張となっている。
日本の植民地政策、侵略戦争は対象国の国民が人間らしく生きる道を閉ざしたのである。閉ざし、悲惨な人間状態に追いやった。そこに視線を置かないまま、国と国同士が双方共に国家益(=国益)のみに価値を置き、個人補償の請求権放棄だといった個人に関わる価値・権利を無視して条約を締結した。