正義感ヅラした世界のマスコミが当初イラクのテロをジハードと正当化させ、イラクの治安回復を困難にさせた

2010-08-21 04:39:33 | Weblog

 
 2003年3月20日、イラク攻撃開始から7年5ヶ月、8月19日未明、隣国クウェートへ向けて最後の米戦闘部隊が撤退を完了した。《最後の米戦闘部隊、イラク撤退完了 オバマ政権計画通り》asahi.com/2010年8月19日11時9分)

 オバマ大統領(18日のフロリダ州マイアミでの政治集会)「(大統領就任から)今月末までに、計10万人の米兵をイラクから撤退させ、戦闘任務を終えることになる」

 クローリー米国務省次官補(NBCに)「歴史的な瞬間だ。我々は戦争を終えつつあるが、イラクでの任務は終わらない。我々は長期的な関与を続ける」

 残留米軍5万人はイラク軍の訓練などを主な任務とするという。

 〈イラク戦争で当時のブッシュ政権は増派を重ね、駐留米軍は一時17万人規模になった。アフガニスタンでのテロ組織掃討に力を入れるオバマ大統領は、就任以来、イラクからの撤退を進める一方、アフガン駐留米軍を約5万人増員した。イラクでの米軍の死者は開戦以来約4400人に達した。アフガンでの開戦以来の死者も今月、国際治安部隊を含め2千人を超えた。〉

 アメリカはサダム・フセイン独裁体制を葬り、イラクに民主主義をもたらすために多大な犠牲を払った。だが、民主主義獲得は未だ中途過程にある。

 これ程までに多くの犠牲を払い、イラク駐留が長期に亘り、治安回復が困難を極めたのはブッシュ前大統領がイラクを攻撃し、サダム・フセイン独裁体制を崩壊させた当初、反戦平和の正義感ヅラした世界の多くのマスコミが反米・反ブッシュの正当性を証明するために、それがアメリカの試みが失敗することで可能となるために、敵の敵であるイスラム原理主義過激派の指導者へのインタビューや彼らの主張を紙面に掲載・報道することで彼らがジハード、聖戦と名付けたテロとテロ集団の存在に正当化の口実を与えて跳梁跋扈を許したことが大きな原因となっていたはずだ。

 そのようなマスコミの活動はアメリカ軍のイラク駐留後も続けられた。反戦平和団体や反戦平和主義者を紙面に多く登場させ、アメリカのイラク攻撃と駐留に対する彼らの批判を載せることで間接的に批判し続けた。

 多分、彼ら反戦平和の正義感ヅラしたマスコミと反戦平和団体にとって、イラクはサダム・フセインの独裁体制であり続けた方がよかったのだろう。サダム・フセイン亡き後、二人の息子の内の一人が独裁体制を継承して、サダム・フセインの国民統治と同様にイラク国民の自由と人権を抑圧する国家であり続けた方がブッシュの攻撃よりも善と看做していたに違いない。

 その癖面と向かってサダム・フセイン独裁体制への支持表明は避けた。

 イラク攻撃時、人間の楯を志願してイラク入りした平和主義者もいた。彼らが守ろうとしたのは意図していようと意図していなかろうと、アメリカが攻撃するイラクだけではなく、イラクを守ることによってサダム・フセインのイラク国民に対する自由と人権の抑圧まで守ろうとしたのである。

 多くのイラク国民も犠牲となった。反戦平和の正義感ヅラした世界のマスコミがテロ正当化の口実を与えたために制御が利かなくなり、そのことによって犠牲者数を不必要に膨らませたはずだ。

 もし彼らマスコミがアメリカの攻撃は許せない、だが、それ以上にどのような口実を以てしてもテロは許せないとした断固たる態度を統一して取ったなら、これ程までに治安回復が長期に亘って困難を極めることはなかったろうし、アメリカ軍の犠牲にしてもイラク国民の犠牲にしても、これ程までに多く上ることはなかったに違いない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする