細野環境相が民主党代表選に出馬するのかしないのか。2012年9月7日03時05分発信の「YOMIURI ONLINE」は「細野氏、党代表選出馬の意向を首相に伝達へ」と題して記事を伝えているが、ほぼ同時間の2012年9月7日3時3分発信の「asahi.com」は「細野氏、出馬見送る意向 民主代表選 原発対策を優先」と題した記事となっている。
いずれか、今日中に判明することだろうが、細野氏にしても野田首相にしても次期民主党代表となる資格があるだろうか。
先ず細野氏の資格から見てみる。
細野氏は福島原発以後、首相補佐官兼政府・東電統合本部事務局長を務めていた。放射能被害から住民の生命を守る危機管理も重要な役目としていた。2011年5月2日の記者会見が細野氏の危機管理意識を見事炙り出していて、危機管理の適格性を物語ることになっている。
《政府・東京電力統合対策室合同記者会見》
細野補佐官「私自身この(SPEEDIの)5,000 件のシミュレーションが存在をしていたことを知りませんでしたし、またデータそのものについては見たことがございませんでした。
結果として、間違った情報を国民の皆さんにお伝えをしてしまったことに関しては、心よりおわびを申し上げたいと思います。その上で、更に御説明を申し上げますと、昨日夜そうしたデータがあるという報告を受けましたので、これは即時国民の皆さんにお知らせをすべきだろうと考えまして、本日こうして皆さんに報告をさせていただいているということでございます」
SPEEDIのデータの存在を見たことも聞いたこともないと言っている。そしてデータの未公表の理由を次に発言している。
細野補佐官「この5,000 件の中には様々なシミュレーションが含まれているわけでありますが、そうしたことを全て公開することによって、社会全体にパニックが起こることを懸念したというのが実態であります」
公表によって、「社会全体にパニックが起こることを懸念した」
懸念するにはSPEEDIのデータが「社会全体にパニックが起こる」ことが予想される程の放射能物質の拡散予測値を示していたことを知っていなければならない。
だが、細野氏はSPEEDIのデータの存在を見たことも聞いたこともないと逆のことを言っている。
如何なる情報の公表にしても、それが社会に与える影響を予測するにはその情報の内容を知っていなければならない。
内容を知らずして、情報公開した場合の社会に与える影響は予測不可能である。
もし細野氏がSPEEDIのデータの存在を見たことも聞いたこともないと言っていることが事実としたら、SPEEDIのデータ内容を知らないままに、その公表が「社会全体にパニックが起こる」と懸念したことになる。
発言自体の矛盾に気づかない合理的判断能力の欠如さえ示している。
細野氏は次いで、未公表を弁解している。
細野補佐官「ただ、私が改めて今日皆さんに申し上げたいことは、日本の国民というのは非常に冷静な国民でございまして、仮にそれが大変厳しい情報であっても、きちっとそれを皆さんに御説明をし、理解を求めればパニックを起こすことはないと考えております。従いまして、ここまで公表が遅くなったことにつきましては、本部の事務局長として心よりおわびを申し上げたいと思いますし、これからこうしたシミュレーションをした場合には、即時公開をして、国民の皆さんにもそれをしっかりと評価をしていただくことを約束申し上げたいと思います」――
日本の国民は冷静な国民で、正確な情報公開を手段とすればパニックを起こすことはないという認識を最初に持ってきて、初めて危機管理となる。
だが、最初に持ってくることはなかった。最初に持ってきたのは、「全て公開することによって、社会全体にパニックが起こる」という懸念であり、その結果の情報隠蔽であった。
情報隠蔽をしておきながら、日本の国民はパニックを起こすことはない冷静な国民だなどと後になってから言うのは取ってつけた後付けの口実に過ぎないことの証明としかならない。
この手順の間違いは危機管理能力の欠如そのものをも証明することになる。結果として住民は放射性物質の拡散方向とは知らずに北西方向に避難することになり、徒に放射能を浴びることとなった。
要するに日本国民はパニックを起こさない国民だと取ってつけることによって、SPEEDIの取り扱いに関わる政府の危機管理無能力の責任逃れを謀ったに過ぎない。
細野氏の発言自体が危機管理意識を全く欠いた発言となっているということである。
SPEEDIの公表によってパニックを予想したなら、そのパニックを可能な限り制御する方法を模索し、実行することも危機管理である。
例えば未公表のまま、放射能拡散方向である北西方向への住民避難の回避を図ることだってできたはずだ。
だが、公表もしなかった、北西方向への住民避難の回避も図らなかった。
どこに危機管理を見い出したらいいのだろうか。
住民の生命に対する危機管理能力を欠いた政治家が民主党代表としての資格を果たして有するのだろうか。
次に野田首相の民主党代表の資格。
野田首相は自らの政策とした消費税増税は衆院任期4年後の2014年以降だから、消費税増税は衆院任期の4年間は行わないとした2009年民主党総選挙マニフェストには違反しないとしてきた。
だが、消費税増税保安が成立した日の記者会見で次のように発言している。
野田首相「消費税を引き上げるということ、国民の皆様に御負担をお願いするということは、2009年の総選挙で私ども民主党は勝利をさせていただきましたけれども、そのときのマニフェストには明記してございません。記載しておりませんでした。このことについては、深く国民の皆様にこの機会を利用してお詫びをさせていただきたいと思います」
マフェストに書いてない消費税増税法を成立させたことの謝罪はマニフェスト違反であったことを認めたということであろう。
要するにこれまでのマニフェスト違反ではないという発言は強弁に過ぎなかった。
この強弁と謝罪の使い分けは、今後共、必要に応じて強弁と謝罪を使い分ける可能性を証明している。
だが、何よりもマニフェストは国民との契約である。また、マニフェストは国民との契約であると価値づけ、そのような強い認識を持ってこそ、いずれの政党も心して政策の構築に取り掛かることになる。
あるいは政権担当に向けた心構えをつくることができる。
国民との契約意識のないマニフェストでは選挙を戦う資格もなければ、当然、政権を担当する資格も失うことになる。
マニフェストに書いた政策で、できないものがあったなら、国民に説明して謝罪すればいいという考えは国民との契約でなければならないとするマニフェスト意識からすると、甘い認識としか言いようがない。
国民との契約であるという後退できない場所に自分たちを追い込んでこそ、しっかりとした決める政治が実行できるはずだ。
だが、野田首相は、野党時代、「マニフェスト、イギリスで始まりました。ルールがあるんです。書いてあることは命懸けで実行する。書いてないことはやらないんです。それがルールです」と言いながら、自ら国民との契約を破った。
契約破棄を免れるためには、増税前に衆議院を解散し、マニフェストに新たに消費税増税を掲げてから総選挙を戦い、増税を果たすべきだった。
国民との契約を破る政治家に果たして民主党の代表を務める資格があるだろうか。