さいたま市小6児童突然死に見る学校のAED使用責任

2012-09-29 06:25:38 | Weblog

 確か9月26日夜7時からのNHKニュースだったと思うが(記事は、「9月27日 7時2分」発信となっている。)、去年9月、さいたま市小学校の小6女子児童が1000メートルの長距離走練習でゴールしてから突然倒れた際、学校にAED(自動体外式除細動器)を備えていたにも関わらず使用しないまま11分後到着の救急搬送を待ち、翌日死亡させてしまった事故を取り上げていた。

 学校側は倒れた女子児童が苦しそうに喘ぐ様子ではあったが、微かながらに呼吸していると勘違いしたことを理由にAEDを使わなかったとしている。

 この呼吸と勘違いした喘ぎは「死戦期呼吸(喘ぎ呼吸)」(しせんきこきゅう)と言い、心停止が起こった直後にしゃくりあげるような、途切れ途切れに起きる呼吸のことだそうだ。

 ニュースは説明していなかったと思うが(パソコンを叩きながら聞いていたから、はっきりしない)、「生きるか死ぬかの境目」を意味する「死線」の状態を示す呼吸ということで、「死戦期の呼吸」――「死戦期呼吸」と名付けたのだと類推できる。

 AEDに専門家の女性なのだろう、「AEDは心臓ショックを与えて救命を図るばかりではなく、機器の使用が必要かどうかを確認し、音声で伝えてくれるから、音声の指示に従えば誰でも使える。例え救命できなくても、一般の人が責任を問われることはないので、積極的にAEDを使ってほしいと思います」といったような説明を結びにして次のニュースに移ったが、アナウンサーがその言葉に何となく納得できないような顔をしていた。

 多分、学校の教師と一般人との責任の区別がないことに納得がいかなかったのではないだろうか。私自身もその発言に納得がいかなかったので、「NHK NEWS WEB」記事――《AED積極使用を 学会が提言》(2011年9月27日 7時2分)で確かめてみた。

 記事は、さいたま市小学校小6女子児童のAED未使用のままの死を受けて、心臓が専門の医師で作る「日本不整脈学会」が9月26日、一般人向けの緊急提言を発表。
 
 8年前から一般人も使用可能。現在、公共施設を中心に30万台以上設置。

 提言は毎日180人以上が心臓が原因の突然死に見舞われ、そのうちの45%はAED使用で救命可能となること、人が突然倒れて反応がなく、普段どおりの呼吸が「ない」か「分からない」場合はすぐに心臓マッサージを始め、AEDが届いたら、電源を入れて、音声の指示に従うよう呼びかけているという。

 三田村秀雄日本不整脈学会理事「電気ショックが必要かどうかもAEDが判断し、音声で教えてくれる。また、例え救命できなくても、一般の人が責任を問われることはないので、積極的にAEDを使ってほしい」

 記事では発言主体が男性に変わっている。

 インターネットでさいたま市の小6女子児童の事故を伝えている記事がないか探したら、次の記事を探すことができた。《「呼吸と脈拍の確認に問題も」 長距離走練習中の小6女児死亡事故、さいたま市検証委が報告》MSN産経/201年2月27日 10時36分)

 記事題名で分かるように市教育委員会が検証委員会を設置して、AEDを使用しなかった学校の対応が適切であったか検証した。

 検証委は医師や救急救命士らで組織。昨年10月から計4回に亘って事故の検証や再発防止策を討議。

 検証委「正常な呼吸の有無の確認と脈拍の確認に問題があった可能性が推測される。

 人は死亡する前に通常とは異なるあえぐような呼吸をすることがあり、医療従事者でない教職員が正常な呼吸の有無を短時間で判断することは難しい。

 全教職員がAEDの使用など心肺蘇生法の技術向上に努めるべきだ」

 さらに検証委は、〈救急隊が到着するまで患者側に指示を出す消防局の通信司令員に対しても、異常な呼吸の聞き出し方に習熟する必要があると提言した。〉という。

 〈市教委は検証委の報告を受け、水泳中や長距離走後など、事故の状況別に対応した危機管理マニュアルを作成するほか、学校の安全や健康対策について年数回検証を行う検討会議を設置する方針。〉・・・・・

 桐淵博教育長「お子さんを元気に帰宅させられなかったことをおわびしたい。検証委の指摘を真摯に受け止めたい」

 死亡女児の父親「どのような呼吸だったか詳細な報告もなく、学校側の資料に基づいた検証が殆ど。報告結果には満足いかない」

 NHKがニュスで伝えていた専門家女性の「例え救命できなくても、一般の人が責任を問われることはない」は、医学に素人な個人がAEDを使って救命に至らなくても、素人であることを以って責任を問われない、あるいはAEDの能力を超えていたということで責任は問われないということであって、備え付けのAEDがありながら、適切な使用を図ったかどうかの責任は別問題であるはずだ。

 特に学校は生徒の生命(いのち)を預っている。常に適切な危機管理を求められているはずである。

 さいたま市の事故の場合、市教育委員会設置の検証委員会は、「医療従事者でない教職員が正常な呼吸の有無を短時間で判断することは難しい」と報告しているが、学校がAEDを備えている以上、危機管理上の義務から養護教諭は勿論、体育の先生、その他は講習を受けているはずだ。

 私自身も町内会の指示で何年か前に講習を受け、小さなカードの講習修了証を貰ったことがあるが、生徒の生命(いのち)を預っている学校の場合は一度の講習で終えるのではなく、常に頭に入れておくために年に何回か講習を受けて、それを毎年繰返す危機管理は必要であろう。

 地震による津波を想定して、高台に逃げる訓練ばかりではない。避難過程で救命措置が必要なケースをも想定しなければならないはずである。

 当然、教師はAED持参で児童・生徒と共に避難をしなければならないことになる。高台に逃げた。誰かが呼吸が苦しくなって倒れた。教師が学校にAEDを取りに戻った。津波に襲われて亡くなったでは漫才のネタにもならない。
 
 例え一回の講習であったとしても、死戦期呼吸(あえぎ呼吸)か自然な呼吸なのかの判断が突然倒れた場合の救命に於ける最大要注意事項となっていたはずで、当然、救命の現場に立った教職員は最初の判断を呼吸の種類に持っていかなければならないことになる。

 だが、死戦期呼吸(あえぎ呼吸)を苦しそうではあるが、微かながらに呼吸していると勘違いした。

 この勘違いを許すとしても、現在呼吸はしているものの、突然呼吸が止まるとかの万が一の容体の急変を考えて、備え付けの場所からAEDを持ってきて、いつでも使えるように身近に置いていたのだろうか。

 ただ単に救急車が1秒でも早く到着して、1秒でも早く病院に担ぎ込まれることを願いながら、その場に立ち尽くしていたのだろうか。

 検証委はそこまで検証したのだろうか。

 学校のいじめの危機管理が責任回避から機能不全に陥り、それが蔓延した状態となっていることを見てきている。児童・生徒の生命(いのち)を預かる学校が児童・生徒の救命の危機管理に於いても機能不全状態と言うことなら、学校の無責任体質はいつまでも直らず、児童・生徒ばかりか、保護者まで救われないことになる。

 教師は生命(いのち)の危機管理を背負っていることを自覚しなければならない。生命(いのち)とは物理的・生理的な面の活動のみを言うのではなく、精神的・心理的に十全に生きて在る状態をも含む。

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