〈大阪維新の会は23日、近く結成する新党「日本維新の会」に合流する国会議員らを対象とした2回目の公開討論会を大阪市内で開いた。〉で始まる記事――《維新が2回目の討論会 民自2議員が新たに参加 外交と安全保障テーマに》(日経電子版/2012/9/23 13:37)
新参加の自民議員とは今井雅人(比例東海)民主党衆議院議員と谷畑孝(比例近畿)自民党衆議院議員。
既に合流を決めている松野頼久民主党衆議院議員と松浪健太自民党衆議院議員、桜内文城みんなの党参議院議員が参加、計5人が公開討論に加わった。
前回参加した民主の石関貴史衆院議員、水戸将史参院議員、みんなの小熊慎司、上野宏史両参院議員は出席しなかったという。
前回討論会議論が低調で、批判が上がったことから、有識者サイドとしてジャーナリストの、時の人にはヨイショを専らとしている節操のない、あの田原総一朗が新たに参加したという。
自分を何様の絶対者だと思い込んでいる点は橋下徹市長との共通点かもしれない。
討論会のテーマは外交と安全保障。討論会を公開で行うことについての橋下氏の見解。
橋下徹市長「議論を公開で行うことで、後に『あのときにこう言っていただろう』と政治家の発言をチェックする場にしたい」
橋下氏が言わんとしたことは、政治家は発言に責任を持たなければならないということであるはずだ。
政治家の発言を公開することで直接的に、あるいはマスコミを通じで多くの人に記憶させることで、以前の発言と現在の発言に食い違いはないか、あるいは発言に責任を持った行動をしているかどうかのチェックの機能を持たせるということである。
政治家自身が発言の責任を負うのに対して負っているかどうか、責任のお目付け役(チェック役)を市民・国民に求めたと言うこともできる。
一旦口にした発言が後々までチェックを受けると言うことは、それだけ政治家の発言は重く、常に責任が伴うということを政治家は各自自省しなければならない。
例えて言うと、菅前首相の野党時代の「沖縄に海兵隊は要らない。米本土に帰って貰う」が、首相になると抑止論と地理的優位性を持ち出して沖縄海兵隊必要論に転換したのはチェックに引っかかる責任のなかった発言で、許されないということなのだろう。
あるいは野田首相の野党時代の発言、「マニフェスト、イギリスで始まりました。ルールがあるんです。書いてあることは命懸けで実行する。書いてないことはやらないんです。それがルールです」が、首相になったら、マニフェストに書いてなかった消費税増税に心血を注いだのは最初の発言に対する責任を全面放棄するもので、そういったことが頻繁に起こらないようにチェックしていくということなのだろう。
言い替えるなら、政治家の発言に責任という名の手枷・足枷をはめようという意図の発言だと言うことができる。
このような意図を持つこと自体、政治家の責任を持たない発言が垂れ流し状況にあることを裏返しているはずだ。
橋下市長は同じ9月23日の公開討論会で、沖縄の米軍普天間飛行場の移設問題について次のように発言している。
橋下徹市長「(沖縄県名護市辺野古以外の)代替案が僕にはない。(県内移設の場合には)維新の会として県民にお願いに行く」(毎日jp)
橋下氏の政治家としてのこの発言は、当然、後々までチェクを受けることになる。と同時に、以前の発言との整合性のチェックを受けなければならない。
受けずに、議論を公開することでそれぞれの発言に対するチェック機能を持たせると主張することは資格を失うことになる。
2009年11月30日朝、大阪府知事時代の橋下氏は個人的見解としながらも、記者団に普天間飛行場の移設先として関西国際空港への受入れを検討することを表明している。
当時鳩山首相は普天間の「国外最低でも県外」を模索して四苦八苦しながら迷走を繰返していた。
《在日米軍再編:普天間移設 移設先「関空も検討」 橋下・大阪府知事「個人的見解」》(毎日jp/2009年11月30日)
橋下大阪府知事「あくまで個人的な意見だが、政府から正式に話があれば、基本的に(議論を)受け入れる方向で検討していきたい」
記事。〈政府からの要請は「正式にはない」としながらも、嘉手納基地の騒音軽減対策としての訓練の一部受け入れも視野に、関空の軍民共用化や神戸空港の活用も検討事項に挙げた。〉・・・・・
政府から正式な話があったという報道はなかったが、それから2年約3カ月後の2012年2月23日。
《橋下市長「沖縄へあいさつに…」県外移設公約に》(YOMIURI ONLINE/2012年2月23日17時38分)
記事は冒頭、〈地域政党・大阪維新の会(代表=橋下徹大阪市長)は、次期衆院選の公約にあたる維新版「船中八策」に、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の県外移設を盛り込む方針を固めた。〉と書いている。
3月上旬までに公約の骨子を纏めて、橋下氏と幹事長の松井一郎・大阪府知事が沖縄県を訪問、県側に伝える方針だという。
但し一旦は2月14日公表の維新版「船中八策」たたき台の「外交・防衛」政策のうち普天間移設問題に関しては、普天間飛行場代替施設を辺野古岬とその隣接地域に移設するとした「2006年在日米軍再編ロードマップの履行」及び「同時に日本全体で沖縄負担の軽減を図る更なるロードマップの作成着手」云々と民主党とほぼ同じスタンスを取っていたが、「米軍再編のロードマップ(行程表)履行」を削除、「日本全体で沖縄の基地負担の軽減を図る新たなロードマップの作成に着手」と変更、「普天間は県外で分散移設」との文言を加える方向で検討を開始したのだという。
いわば2009年11月時点では、政府から正式な話があれば関空も普天間の移転先として議論するという個人的見解の姿勢を取り、それから2年約3カ月後の2012年2月14日時点では、普天間の辺野古移設へと個人的見解から一旦は後退したものの、その9日後の2012年2月23日時点では、普天間の県外移設を大阪維新の会の公約とする方針を掲げた。
それから約7カ月後の昨日、2012年9月23日になると、「(沖縄県名護市辺野古以外の)代替案が僕にはない」と、一旦は県外を公約とするとした方針をあっさりと撤回。
これらの発言の目まぐるしい変遷を見ると、どの発言に責任を求めたらいいのか、迷うことになる。
いわばチェックしようがなくなる。
他の政治家の発言に対して責任という名の手枷・足枷をはめるべく公開討論にチェック機能を持たせながら、自身は発言の責任から自他を区別して自由自在でいる。
このような結末を迎えたのは普天間の県外移設は殆ど不可能で、民主党が決めた既定路線を選択した方が無難だとの思惑が働いたとでも言うのだろうか。
だとすると、最初の発言を貫徹して責任を果たす行動意志さえ報道から見ることができなかったことも頷くことができる。
自身の発言に対しては自らチェック外に置き、自他を区別して責任の対象外としたということは橋下氏は自身を自らの発言に責任を持たなかった菅前首相や野田首相と同列の政治家に置いたことになるが、そのような意識からも自由自在に免れているに違いない。
何しろ天下の橋下徹であることを自任しているだろうから。
そのような自任は自身の才能の優越性を前提としているがゆえに自己無謬(=自己絶対性)と同じ境地を取りやすくなる。