石原伸晃の「谷垣総裁を支えてきたが、谷垣氏を支えるために政治をやってきたのではない」の鈍な論理矛盾

2012-09-04 04:30:38 | Weblog

 石原伸晃自民党幹事長が9月2日、鹿児島市で講演。《石原伸晃氏、総裁選に意欲「谷垣氏を支えるために政治をやってきたのではない」》MSN産経/2012.9.2 17:35)

 石原伸晃「私は谷垣総裁を支えてきたが、谷垣氏を支えるために政治をやってきたのではない。日本を何とかしなければならないとの思いでやってきた」

 石原幹事長は一旦は谷垣総裁の再選支持を表明していた。しかし町村氏や石破氏、安倍晋三元首相の立候補の動きが谷垣再選待望の広がりとは逆方向の党内情勢と見て、自身も総裁選に名を連ねないことには総裁の位置につけているアピールとはならないと思ったのか、状況に応じては9月26日の自民党総裁選にチャンスをかける意欲が湧いてきたのかもしれない。

 当然、総裁選立候補の意欲を湧かせた時点で谷垣再選支持撤回の合理的な説明が必要になる。結果として、上記発言のように婉曲的な言い回しの谷垣再選支持撤回と同時に同じく婉曲的な言い回しの総裁選立候補意欲表明となったに違いない。

 だが、婉曲的なのはいいが、合理的な説明とはなっていない。

 石原幹事長は「政治をやってきた」のは「日本を何とかしなければならないとの思い」からだと言っている。

 その一方で、「谷垣総裁を支えてきた」

 ということは、谷垣総裁が日本を何とかしてくれると思って、谷垣総裁を支えてきたことになる。

 でなければ、「日本を何とかしなければならないとの思いでやってきた」ことと「谷垣総裁を支えてきた」ことが論理矛盾をきたす。

 谷垣総裁が日本を何とかするだけの能力のない政治家だったが、「谷垣総裁を支えてきた」では整合性を全く失う。谷垣総裁と共に「日本を何とかしなければならないとの思い」で党幹事長という重要な役職をこなしてきたはずで、単に名前のアピールのために党幹事長職を引き受けていたとしたら、「日本を何とかしなければならないとの思い」は奇麗事でしかなく、ウソになる。

 いわば、石原伸晃にとって谷垣総裁を支えることが日本を何とかする自らの政治であり、そうでなければならないはずだ。

 にも関わらず、「谷垣氏を支えるために政治をやってきたのではない」と自らの論理矛盾に気づかずに小賢しげに堂々と口にする。

 この頭の程度、鈍な合理性で果たして一党の総裁が務まるのだろうか。総裁の器とはとても見えないし、当然、日本の首相の器でもないということになる。

 何れにしても、ここに来て谷垣総裁を支えることができなくなったということは、谷垣総裁を介してではなく、自身が表舞台に立って自らの手で日本を何とかしようと思い立ったということであろう。このことも、そうでなければならない。

 このような心理の軌跡を描いたということは谷垣総裁が日本を何とかする器ではなかったと気づいたということでなければならない。

 少なくとも石原伸晃自身程には日本を何とかする器でなないと見做した。

 しかし谷垣総裁が日本を何とかする器ではないのは最初から分かっていたことである。

 例えば野田内閣支持率が低く、民主党の支持率も自民党支持率を下回っていて、自民党が政権に復帰するチャンスの政治状況到来となっていた。だとしたら、「社会保障と税の一体改革」が消費税増税率は民主党と同じ10%であっても、社会保障制度改革の中身は全然違うのだから、一体改革という、その一体性の点で賛成できないと、当初は消費増税法案否決・解散総選挙の構えを基本姿勢としていた公明党の協力を得て参院で否決すれば、簡単に解散を得ることができたはずだが、消費税増税という面倒なことは民主党政権で片付けてしまおうとよからぬ色気を出したのだろう、与野党協議に乗ったものの、解散を条件とした3党合意でも解散させることができず、谷垣・野田会談で早期解散を要求、「近いうちに信を問う」という当てにもならない言質を取っただけで、「近いうちに」がいつのことか確約と程遠い約束となり、「国民の生活が第一」以下の野党参院提出の、議会制民主主義の点から3党合意反対、消費税増税反対の問責決議に自民党が賛成するという自己否定までやらかす戦術の間違いを犯したのは解散を焦る余りの軽挙妄動としか言いようがない。

 谷垣総裁は政治家としてこの程度の戦術家であった。

 問題は、「谷垣総裁を支えてきた」と言えば聞こえはいいが、石原幹事長が党幹事長として谷垣総裁の戦術に付き合い、共同演出してきたということである。

 要するに政治家の器という点で、似た者同士ということではないか。

 この点からも自民党総裁の器ではないし、一国の首相の器ではとても程遠いということになる。

 何はともあれ、石原幹事長が、「日本を何とかしなければならないとの思いで」政治を「やってきた」ことと、幹事長として「谷垣総裁を支えてきた」ことが、「谷垣氏を支えるために政治をやってきたのではない」こととどうつながるのか、合理的な整合性を持った自身による意味づけを国民に対する説明として求められる。

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