国土交通省が今年4月現在で都道府県や市区町村管理の長さ15メートル以上の橋、約14万4000箇所について点検や補修の状況を調査したところ、そのうち約41%に当たる5万8000箇所余りの橋は老朽化や災害の影響で自治体が今後、何らかの補修が必要なことが分かったと次の記事が伝えている。
《橋の老朽化 40%余補修必要》(NHK NEWS WEB/2013年7月2日 12時34分)
危険性があるとして通行止めや通行車両の重量制限等の規制を行なっている橋が1381箇所。
この1381箇所は5年前と比べて1.7倍だそうだ。
要するに何らかの補修が必要であるにも関わらず補修が進んでいない橋が日本全国で5万8000箇所にものぼり、さらに当初計画した通りの役目を果たさなくなった橋が日本全国で1381箇所もあって、役目を果たさなくなったまま放置されていて、中には上流とか下流に新規の橋を建設している箇所もあるだろうが、にも関わらず、通行規制の橋が年々増えてきた数字だということは、橋の付け替え工事があったとしても、維持・管理に全く以って手が回らない状況にあることを示していることになる。
手が回っていなければ、今後も増えていくことになり、記事が書いているように、〈通行が規制されている橋のうちの半数近くは建設から50年以上経っていて、今後、年数が経つにつれて規制の対象が増えるおそれがあります。〉という状況に当然、立ち至ることになる。
橋を建設するにはしたが、いわばインフラ整備の行政は機能させることができたが、維持・管理の行政は機能させることができなかった行政の無能力を物語ることになる。
この自治体の行政無能力は国の行政無能力を反映した相互関係にあるはずである。国が発注主体の国道にかかる橋は国管理の橋と自治体管理の橋がある。例え補修が必要な橋の中に国道にかかる橋が一つも含まれていなかったとしても、そうであるなら尚更、国の維持・管理の行政は地方にも伝わって、地方も自らが管理する橋に対してそれなりに維持・管理の行政を機能させたはずだからだ。
自治体の行政無能力が国の行政無能力を反映した相互関係にあることは中央自動車道笹子トンネルの死者まで出した天井板崩落事故が証明している。直接的管理は工事主体の中日本高速道路株式会社が行なっていたとしても、国発注の工事であり、適切な管理を行なっているか監督する責任は国土交通省という国にある。
ところが中日本高速道路株式会社は満足な検査を行っていなかったという。国交省の監督が行き届いていなかったことになる。インフラ整備に関わる維持・管理の国の行政を機能させることができなかった無能力を示す事例の一つであろう。
このような行政無能力は予算というカネの問題だけではない。NHK総合テレビ2013年1月31日放送のNHKクローズアップ現代『問われる“維持管理” ~笹子トンネル事故の波紋~』は国も地方も維持・管理の思想(=発想)そのものがなかったことを伝えている。
当然、国に維持・管理の思想がなかったことを受け継いだ地方の維持・管理の無思想であり、国の維持・管理に関わる行政無能力を反映させた地方の行政無能力という関係にあることになる。
笹子トンネルは高度経済成長期の1970年代(昭和40年代)に建設。当時のトンネル工事の責任者だった周佐光衛氏の発言を伝えている。
周佐光衛トンネル工事責任者「社会資本を安く切り上げようというのが基本にありましたからね、少しでも。
このときはもうメンテナンスということは全く無かったですね、考えは」
車の排気ガスを通すための換気用のトンネルを掘る方法はコストがかかるために、天井を作って、天井内に排気ガスを通すよりコストのかからない構造となったという。
コストをより必要としない建設の思想(=発想)はあったが、維持・管理の思想(発想)は最初から持っていなかった。これも国のインフラ整備に関わる思想を受け継いだ工事主体の思想であり、国の発注段階でそういった思想を備えていなかった行政無能力を受けた工事主体の行政無能力であり、完成後も国の監督に反映していた、中日本高速道路株式会社の維持・管理の行政無能力ということであろう。
地方が橋の建設に使った設計図を殆ど残していないという事実は国がインフラ整備に関わる維持・管理の思想(発想)を最初から持っていなかったからこそ、それを受け継いだ地方の対応ということであろう。
要するに設計図は橋の建設に必要不可欠だが、補修という維持・管理の思想(発想)を欠いていたから、補修するときに必要になるという考えは全くなく、建設終了後必要ないものとして破棄されたということであるはずだ。
番組は補修工事に設計図が必要になった山梨県の橋を紹介している。設計図復元に3カ月、費用は約1500万円。
建設当時に持たなければならない維持・管理の思想(発想)をインフラ全体が老朽化の時代を迎えてから慌てて身につける。何という行政無能力なのだろう。
モノづくりの才能は長けていても、維持・管理等に備えるソフト面の才能を欠いていた。
根本祐二東洋大学教授「日本のインフラは1960年代、70年代に集中して整備をされて、今それが40年、50年経過して、集中的に老朽化をしているということです。
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今あるものを、単純に更新していくという費用が一番分かりやすいんですけれども、数年前に私が計算したところでは、現状あるものを現状の規模で更新をするだけでも、年間8.1兆円。これ50年間続けないといけない」
維持・管理の思想(発想)を建設当時から備えていたなら、公共施設を無闇矢鱈と建設することを控え、真に必要か、必要ではないか、ムダか、ムダでないか、厳しく峻別して、計画的な建設を心がけたはずだ。
当然、カネのムダも省くことができただろう。
この国と地方が相互反映させている行政の無能力は自民党政治が最大の責任を抱えているはずだ。政治がインフラ整備に深く関わっているからなのは断るまでもない。自民党大物議員は地元利益誘導で幾つもの道路や橋を造らせてきた。
自公政権は今頃になって国民の命と暮らしを守る防災・減災と言っているが、火災の備えもしないのに火災が起きてから、やれ消火だ何だと騒ぐのと同じで、維持・管理に必要な時間と必要なカネをかけてこずに不必要なカネのムダと不必要なムダな時間をかけることの責任を先ずは自覚しなければならないはずだ。
自覚しないままであったなら、行政無能力は別の場面で繰返されることになるだろう。
いや、既に繰返されているかもしれない。