安倍晋三は歴史認識は歴史家に任せるべきだと言うなら、自分に都合がいい歴史認識をピーチクパーチク囀るな

2013-07-10 10:40:43 | Weblog



 7月4日参院選公示前日の7月3日日本記者クラブでの9党党首討論で安倍晋三は党首が他の党首に1分間の回答時間形式で質問する第1部が終えて、日本記者クラブ企画委員がそれぞれ代表質問者となってそれぞれのテーマで党首に質問する第2部で歴史認識について質問を受け、例の如くに歴史認識は歴史家に任せるべきだと言いながら、自分に都合のいい歴史認識は並べ立てるというご都合主義を遺憾なく発揮していた。

 勿論、その矛盾に安倍晋三自身は、それが彼の合理的認識性なのだろうが、気づいていない。 

 このことはブログに何回か書いてきたが、改めて取り上げてみる。

 質問者は日本記者クラブ企画委員の1人で、毎日新聞の論説委員とかの倉重篤郎。 

 倉重篤郎「歴史認識問題でズバリお聞きしたいと思います。第2次世界対戦で日本はね、朝鮮半島を植民地支配したのかどうか、これが第1点。

 もう1点はですね、中国大陸をですね、侵略したのかどうか、これが第2点ですね。

 これは政治家の言葉としてちょっと定義して頂ければ」

 安倍晋三「あの、オー、私は総理大臣で、政府の長ですね。えー、歴史というのはですね、様々な側面がありますし、えー、どう判断していくか、ということはですね、えー、これは相当の知恵、と見識が必要なわけでありますけれども、同時にですね、そういう判断、提示をしていく上に於いて、その判断・提示自体が政治問題、外交問題になっていくんですね。

 ですから、それは政治問題・外交問題になっていくということを前提に、それを計算しながら、歴史を読み解いていく、のは、私は間違っていると、思いますね。

 つまり、それはやはり基本的に歴史家に任せるべきだ。多くの方々から安倍さん、それは歴史に任せるべきだ、と言うご意見がなされています。

 だからこそ、私は歴史家に任せるべきだと、ずっと言ってきているわけであって(薄く笑う)、これからも、歴史家に任せていくべきだろうと、え、そう思います、今。

 例えば、総理大臣の私がですね、歴史はこうなんだという態度で謙虚ではない、歴史に対しては、いわば政治にかかる者が謙虚でなければならないと、こう思います」

 倉重篤郎「お言葉なんですけどね、歴史家に任せるべきは、歴史家の、歴史の事実のね、ディテールであってですね、歴史の総合的判断というのはまさに政治家がすべきだと思うんですね、私は。

 私は過去の例を見てもね、中曽根さんはちゃんとそういう判断をしてきたし、小泉さんも判断してきた。安倍さんは今のようなおっしゃる言い方でね、その判断を示さない。

 それはあっていいのではね、それは自信のなさの現れなのか、それとも、別のことがあるのか。如何でしょうか」

 安倍晋三「中曽根総理はそういう判断を総理大臣としてされていませんよ」

 倉重篤郎「侵略と植民地支配という判断をされています」

 安倍晋三「いや、されてませんよ、それは」

 倉重篤郎「過去の――」

 安倍晋三「いや、あの、総理大臣としての答弁としては、それはされていないと思います」

 倉重篤郎「答弁としてされています(声を強めて断定する)。え、まあ、それは水掛け論になりますけれども、歴史、まさに政治家がね、そういう歴史の判断をして、評価をして、そのことによって政治をうんと前に進める。政治的妥協をしていくっていうのは政治家の仕事、総理大臣の仕事じゃないかと、安倍さんは見えているんじゃないかと気がするんですが、如何でしょうか」

 安倍晋三「だから、今おっしゃったように妥協という言葉を使われますけれどもね、つまりそれは妥協ということを、いわゆる歴史をこういう形で弄んではならないと思って・・・るんですね。歴史に対して。

 それはすべて先人たちが積み上げてきたものです。今の政治の状況によってですね、えー、そこに私の都合で妥協していいもんではない、オー、思いますね。

 つまり、そういう妥協すること自体がですね、自分のことを本位で考えている結果になってしまう。つまり、そうではない強靭な精神が私は必要だと思います」 

 倉重篤郎「安倍さん、しつこいようですがね。安倍さんね、まさに村山談話が、閣議で(首を振って)、閣議ではない、決めたのは、言っているのはですね、そのー、植民地支配と侵略という言葉、まだ安倍さんは使われないけれども、そこだけどうなんですか、事実として」

 安倍晋三「あのー、えー、私は、えー、植民地支配、あるいは、えー、侵略をしていなかったということは言ってません。しかし、それを定義する立場にはない。ということを申し上げているわけであってですね、そういう謙虚さが私は必要だと思いますよ。

 今、例えば国際情勢だから、そういう意識をした方がうまくいくという考え方は私は間違っていると、オー、いうふうに思います。

 そうした誘惑に耐える、私は強靭な精神を政治家、つまり為政者は持たなければならないと、いうふうに考えております」

 倉重篤郎「(なにか言い、安倍が笑うが、聞き取れない。)靖国問題ですね、これは、まあ、歴史の延長線上の問題ですよね。

 かつて官房長官の頃はですね、あの、侵略的曖昧方式でですね、行ったか行かないか明らかにしない。しかし総理大臣ていうね、職責はそういうことは私は、許さないと思いますね。

 これは中曽根さんは1回行ったけど、やめた。橋下さんもやめた。小泉さんは引き続けた。明確な必要(?)と判断の人だと思います。8・15と秋季例大祭に対する姿勢を聞かせてください」

 安倍晋三「ま、これは今までも何回も言い続けておりますように、え、国のために戦い、命を落とした人たちのために祈り、そして、尊崇の念を表す。私はそれは当然なことなんだろうと、えー、思いますし、非難される謂れはないんだろうと、このように思います。

 そして靖国に、えー、眠っている、まさに兵士たち、国のために戦ったわけで、これはアーリントン墓地には南軍と北軍の兵士が眠っています。

 そこにいわゆる行って、えー、亡くなった兵士の冥福を祈る。大統領も祈りますね。しかし、それは南軍の兵士が眠っているからといって、奴隷制度を肯定するわけでは全くないわけであって、そこに眠っているのはそうした理念ではなくて、ただ国のために戦った兵士たちの魂なんだろうと、このように思います。

 これが私の基本的な考え方であって、えー、今、靖国問題についてですね、行く行かないということ、自体が、これは外交問題に発展していくわけでありますから、今そのことについて申し上げるつもりはありません」

 倉重篤郎「アーリントン墓地のケースをよく言われますけれども、あれは内戦であって、南北戦争という内戦であって、あの国の人達が葬られている。しかし、靖国はですね、中国との戦いであり、そこには日本の人しか埋葬されていない。ちょっと違うと思います」

 安倍晋三「それは全然、あのー、間違っていると思います。それはあの、アメリカのケビン・ドークという教授がですね、えー、13代であります。えー、教授が、彼自身はクリスチャンなんですが、えー、彼は、まあ、哲学論として述べているのであって、内戦、えー、あるいは外国との戦いとは関わりないということを彼ははっきりと言っています。

 まあ、そういうことではなくて、戦った兵士の魂に対してどういうことかということや、そこにいわば、、あー、戦争の目的、あるいは理念とは関わりがないということであろうと、このように思います。

 えー、ま、これはインドネシアのユドノ大統領と、お、まあ、これはもう随分前ですけども、お目にかかったときに、そういうお話をしたことが御座います。つまり、それを、内戦、外国との戦い、そのように矮小化するという姿勢はですね、根本的に私は間違っていると言わざるをえないと、えー、思います」

 質問者が朝日新聞の星浩に変わって、集団的自衛権について質問する。 

 先ず倉重篤郎から日本は朝鮮半島を侵略したと認識しているのか、中国を侵略したと認識しているのかと安倍晋三自身の歴史認識を問い質した。

 対して安倍晋三は、「歴史というのはですね、様々な側面がありますし」と、自らの歴史認識ではなく、人それぞれの歴史に対する判断・解釈の違いを持ち出して、その違いを「どう判断していくかは相当の知恵と見識が必要」で、判断して提示していくこと自体が「外交問題になっていく」と、自らの歴史認識を話さない理由としている。

 一人の人間の歴史認識というのはその歴史に興味を持って以来自らが学習し、他者の学習も参考にして積み重ねてきた本人の判断・解釈であって、歴史がどのような側面を持つのかも本人の判断・解釈が決めることであって、その総合としてその人自身の歴史認識があるはずである。

 当然、本人の判断・解釈だから、他者の判断・解釈と異なる場合もある。例え異なったとしても、自らが判断・解釈した歴史認識が本人の行動を基本の所で制約することになる。特に中国や韓国に対する外交に影響を与えることにもなるし、国家観や憲法観にも現れることになる。

 いわば歴史に対する判断・解釈の違いは問題ではなく、あくまでも一国の首相の歴史に対する判断・解釈=歴史認識が問題であって、そうであるにも関わらず、安倍晋三は人それぞれの歴史に対する判断・解釈の違いを持ち出して質問をかわしたが、続いて「外交問題になっていく」と言うことによって逆に自らの歴史認識がどの辺にあるのかを告白している。

 このことは、さらに続けた次の発言も証明している。

 「政治問題・外交問題になっていくということを前提に、それを計算しながら、歴史を読み解いていく、のは、私は間違っている」

 言っていることの意味は、「政治問題・外交問題」になることを前以て計算して「歴史を読み解いていく」、いわば「政治問題・外交問題」にならないよう、それに歴史認識を合わせて自らの歴史認識を抑えるのは間違っていると言っている。

 一見、ごく当たり前のことを言っているように聞こえるが、裏を返すと、「政治問題・外交問題」になる安倍晋三の歴史認識だということで、ここで安倍晋三は自らの歴史認識を間接的に披露したことになる。だから、言えないし、言わない。

 勿論、自らの歴史認識を隠して、外国を含めた周囲の状況に合わせた歴史認識とすることは自らの歴史認識に対する自らの節度を自ら投げ捨てることになる。

 だとしたら、自らの歴史認識を正々堂々と明らかにすればいいものを、それをすると「政治問題・外交問題」になるからと、それもできない。

 このような自らの歴史認識を直接的には覆い隠すという心理状況は、「政治問題・外交問題になっていくということを前提に、それを計算しながら、歴史を読み解いていく」ことの間違いと、どれ程に違いがあるのだろうか。

 所詮ゴマ化しに過ぎない。そのゴマ化しの正当化のために持ち出したのが「歴史家に任せるべきだ」である。歴史認識とは歴史に対するその人それぞれの判断・解釈であって、そこに違いが生じる以上、歴史解釈の専門家である歴史家にしても、異なる判断・異なる解釈を持つことになって、歴史家全員が一致した歴史認識を打ち出すことができるわけではない。

 仮に歴史家が全員一致して安倍晋三が望む本人のものと同質の歴史認識を打ち出したと仮定したとしても、それを掲げた場合、「政治問題・外交問題」化することに変りはなく、「政治問題・外交問題」を「計算しながら」、自らの歴史認識を隠蔽する歴史の読み解きを行うことになるだろうことも変りはないはずだ。

 逆に歴史家たちが安倍晋三が望まない、中国侵略と朝鮮半島植民地化を認めた歴史認識を全員一致で打ち出した場合、自らの歴史認識を打ち捨て、その歴史認識に素直に従うだろうか。

 要するに歴史認識は「歴史家に任せるべきだ」は自身の歴史認識を韜晦するための狡猾な詭弁に過ぎない。「歴史に対しては、いわば政治にかかる者が謙虚でなければならない」などと、歴史に関わる自身の姿勢がさも謙虚であるかのように言っているが、謙虚どころか、逆に言葉のゴマ化しの能力に長けているだけのことでしかない。

 対して倉重篤郎は「歴史家に任せるべきは、歴史家の、歴史の事実のね、ディテールであってですね、歴史の総合的判断というのはまさに政治家がすべきだと思う」などと、問題点からズレたことを言っている。政治家がすべきだと言っている「歴史の総合的判断」にしても政治家それぞれの歴史認識に応じてそれぞれに異なるのだから、意味もない批判に過ぎない。

 絞るべき焦点はあくまでも安倍晋三自身の「歴史の総合的判断」であって、政治家一般のそれは関係ない。あくまでも一国のリーダーがどういった歴史認識に立脚して国の政治を行なっているのかが問題であって、歴史認識だけではなく、人間観、女性観、民族観等々が問題とされる。ドイツの政治家がヒトラー崇拝の歴史認識を持ったとしたら、国内的にも国外的にも許されるだろうか。

 だが、日本では侵略を否定したとしても、少なくとも国内的には許されている。国外的には許されないから、「政治問題・外交問題」となるからとひたすら隠す。

 倉重篤郎が中曽根康弘は「侵略と植民地支配という判断をされています」と言ったのに対して安倍晋三は否定しているが、「Wikipedia」には次の記述がある

 〈首相就任後、戦争に関しては1985年10月29日衆議院予算委員会での東中光雄委員との質疑応答において、皇国史観には賛成しない、東京裁判史観は正当ではない、対米英と対中対アジアで認識が異なる、国民の大多数は祖国防衛のために戦い、一部は反植民地主義、アジア解放のために戦ったと4点をあげた。

 さらに中国、アジアに対しては侵略戦争だったが、アメリカ、イギリスとは普通の戦争だった、中国、アジアには侵略、韓国には併合という帝国主義的行為を行ったので反省し詫びるべきと答えた。また政界引退後の新潮45のインタビューでは「帝国主義の膨張による侵略であった。」と述べるなど自由主義史観論者とは一線を画すタカ派らしからぬ歴史観を披露している。〉――

 で、「国会会議録検索システム」の1985年10月29日衆議院予算委員会質疑にアクセスしてみた。
  
 中曽根康弘「私は、いわゆる太平洋戦争、大東亜戦争とも言っておりますが、これはやるべからざる戦争であり間違った戦争である、そういうことを申しております。また、中国に対しては侵略の事実もあったということも言っております。これは変わっておりません」――

 但し、少なくとも10月29日衆議院予算委員会の質疑では、「皇国史観には賛成しない、東京裁判史観は正当ではない、対米英と対中対アジアで認識が異なる、国民の大多数は祖国防衛のために戦い、一部は反植民地主義、アジア解放のために戦った」とかの文言は存在しない。まさか削除したとは思えないが。

 また中国に対する侵略にしても、侵略だと全面的に認めたわけではなく、「侵略の事実もあった」と部分的に認めているに過ぎない。

 別の機会に韓国併合を帝国主義的行為だと述べているのかもしれないが。俄には信じることはできない。何しろ、「対米英と対中対アジアで認識が異なる、国民の大多数は祖国防衛のために戦い、一部は反植民地主義、アジア解放のために戦った」とする戦争観を日本の保守派の戦争正当化の常套手段としていて、常に戦争正当化への衝動を働かせいる関係から、中国に対して「侵略の事実もあった」と部分的にしか認めていないのと同じく、素直に認めているとは思えない。

 倉重篤郎は「政治的妥協」をして、自らの歴史認識を抑えるべきではないか、そのことは自身分かっていることではないかと、妥協のススメを説いている。

 だが、安倍晋三は「政治問題・外交問題になっていくということを前提に、それを計算しながら、歴史を読み解いていく、のは、私は間違っている」と、自身とは異なる歴史認識で妥協することを既に拒否しているのである。

 倉重篤郎のこの質問に対する安倍晋三の答は当然である。「政治の状況」に応じて自分の「都合」で歴史認識で妥協することは「自分のことを本位で考えている結果になってしまう」と、自分本位となることを忌避、そのような自分本位が安倍晋三と同様の歴史認識を持つ仲間を裏切ることになることに懸念を示している。

 妥協したなら、裏切り者の謗りを受けることになるだろう。いわば同様の歴史認識を持つ同志たちの歴史認識をも背中に負っているということである。

 妥協しないための「強靭な精神」が必要だと言っているが、「強靭な精神」は歴史認識を隠すことにのみ費やされて、明らかにして、例え「政治問題・外交問題」になったとしても、国内的な相反する歴史認識とも外国の歴史認識とも堂々と渡り合うことに費やす「強靭な精神」とはなっていない。
 
 繰返しになるが、周囲の状況を「計算しながら、歴史を読み解いていく」ことはできない、自分本位の妥協はできないということは韓国を植民地支配したとは思っていない、中国を侵略したとは思っていないと自らの歴史認識を明らかにしたことと同じとなる。

 安倍晋三は「植民地支配、あるいは侵略をしていなかったということは言ってません」と言い、このことを常套句としているが、言わなかったことと認めることが同義語とならない以上、「言ってません」が直ちに「侵略した」と断言したことにはならないのだから、詭弁に過ぎない。

 いわば「侵略をしていなかった」とも言っていないし、「侵略した」とも言っていない、曖昧な状態に置くゴマカシを働いているに過ぎない。

 狡猾さだけが目立つ。

 安倍晋三の「例えば国際情勢だから、そういう意識をした方がうまくいくという考え方は私は間違っている」にしても、先に示した妥協への否定の繰返しに過ぎない。

 と同時に「国際情勢」が意識することを求めている歴史認識と自らの歴史認識が異なることの告白ともなっている。植民地支配とも侵略とも思っていないということである。

 かくかように安倍晋三は「歴史認識は歴史家に任せるべきだ」と言いながら、自らの言葉に矛盾して、間接的にだが、饒舌なまでに自らの歴史認識をピーチクパーチクと囀っている。

 言質さえ捕まえられなければいいと高を括っているのかもしれない。

 周囲の状況を「計算」したり、「意識」したり、あるいは自分本位で歴史認識に妥協することをあくまでも拒絶し、妥協への「誘惑に耐える、私は強靭な精神を政治家、つまり為政者は持たなければならない」と言うなら、自らの歴史認識を曖昧にするのではなく、逆に正々堂々と明らかにして、国内外から襲い掛かってくるどのような非難・困難にも挑戦し、撃ち勝っていこうとする姿勢を持つことこそ、「強靭な精神」と言えるのではないだろうか。

 だが、歴史認識を曖昧にする、あるいは隠すことを以って、「強靭な精神」だと言い、謙虚さだと言っている。

 質問が靖国神社参拝に移るが、答もいつもと同じである。

 「国のために戦い、命を落とした人たちのために祈り、そして、尊崇の念を表す。私はそれは当然なことなんだろうと」云々。

 そして靖国参拝の正当化理論としてアーリントン墓地を持ち出している。そこには南軍の兵士も眠っている、そこへ行って死者の冥福を祈るのは奴隷制度を肯定するためでも、そういった理念でもなく、「国のために戦った兵士たちの魂」を祈るためだと言っている。

 これに対して倉重篤郎が北軍と南軍の戦いは内戦であって、靖国に眠る兵士は中国と戦った兵士だと異を唱えると、アメリカのケビン・ドークという教授を持ち出して、靖国参拝のさらなる正当化を謀っている。

 「彼は、まあ、哲学論として述べているのであって、内戦、えー、あるいは外国との戦いとは関わりないということを彼ははっきりと言っています。

 まあ、そういうことではなくて、戦った兵士の魂に対してどういうことかということや、そこにいわば、、あー、戦争の目的、あるいは理念とは関わりがないということであろうと、このように思います」

 要するに戦争の種類も目的も理論も問題ではないと言っている。問題としないことによって、内戦と外国との戦いの区別をつけることは矮小化だと批判可能となるのだが、戦争の種類も目的も理論も問題としないこと自体、あるいは内戦と外国との戦いを区別しないこと自体が既に侵略戦争を否定していることに当たり、朝鮮半島の植民地支配を否定していることになるのだが、国のために戦って亡くなった兵士自体の魂を祈るためだとケビン・ドークが言っているからと、その説を以って自らの靖国神社に対する歴史認識としている。

 戦争の種類も目的も理論も問題としないというのは外国と相互依存的に対峙しなければならない一国のリーダーとして乱暴な話である。

 ではなぜ昭和天皇にしても現天皇にしても、外国を訪問したり、外国首脳を宮中晩餐会に招いたときに先の大戦で多大の苦痛を与えたと謝罪しなければならないのだろう。

 靖国神社に祀ったときだけ、戦争の種類も目的も理論も問題としないで済むというのはご都合主義に過ぎる。
 
 安倍晋三は2006年7月20日初版の自著『美しい国へ』の74ページで、ケビン・ドーク米国ジョージタウン大学教授の言葉をやはり靖国神社正当化の理論として利用している。

 ケビン・ドーク「米国のアーリントン国立墓地の一部には、奴隷制度を擁護した南軍将兵が埋葬されている。小泉首相の靖国参拝反対の理屈に従えば、米国大統領が国立墓地に参拝することは、南軍将兵の霊を悼み、奴隷制度を正当化することになってしまう。しかし、大統領も国民も大多数はそうは考えない。南軍将兵が不名誉な目的のための戦いで死んだとみなしながらも、彼らの霊は追悼に値すると考えるのだ。日本の政府や国民が不名誉なことをしたかもしれない人びとを含めて戦争犠牲者の先人に弔意を表すのは自然であろう」――

 だとしても、死者となってそこに祀られることとなった戦争の歴史は消えることなく、死者一人ひとりが常に背景として抱えている。背景からは逃れることはできないはずだ。「魂」だけの問題、「霊」だけの問題にして片付けるとしたら、歴史認識とは無関係に、歴史そのものの否定となる。

 安倍晋三は自らは間接的に侵略戦争を否定し、韓国植民地化を否定する歴史認識をピーチクパーチクと囀りながら、靖国神社参拝を正当化するために、そのような戦争に関わって亡くなった兵士たちを「魂」の問題、「霊」だけの問題に矮小化する矛盾を働かせているに過ぎない。狡猾過ぎる陰謀極まりない企みである。

 当然、その戦争の歴史をそれぞれがどう認識するかの問題に突き当たる。自衛の戦争だと認識するのもいいだろう。植民地解放の戦争だと認識するのもいいだろう。所詮、人それぞれの判断・解釈が決定する歴史認識である。

 だが、特に日本のリーダーが日本の戦争という歴史をどう認識するのか、それが国家観や憲法観に影響を与えるとなると、国民にとって明らかにされなければならないリーダーの資質となる。

 歴史認識を明らかにすることも国民に対する重大な説明責任の一つに入るはずだ。

 だが、安倍晋三は間接的に歴史認識をピーチクパーチク囀るのみで、正直に明らかにしようとしない。

 ゴマ化しだけが目立つ安倍晋三の歴史認識に関わる答弁であった。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする