国家主義者安倍晋三の国家主義的子分下村文科相の土曜事業活用発言の素晴らしさに感じる疑問と胡散臭さ

2013-07-08 05:33:24 | Weblog



 国家主義者安倍晋三の国家主義的子分の下村博文文科相が6月28日の閣議後記者会見で小・中・高の「土曜授業」が現状以上に各自治体の教育委員会の判断で取り組みやすくできるよう、必要な省令の改正を目指す考えを示したという。

 《下村大臣 土曜授業へ省令改正目指す》NHK NEWS WEB/2013年6月28日 21時22分)

 下村「子どもたちの健やかな成長のためにも、土曜日の教育環境を豊かなものにする必要がある。これまで以上に各自治体の教育委員会の判断で『土曜授業』に取り組みやすくできるよう必要な省令の改正を目指したい。

 具体的な制度設計は、ことし4月の『全国学力テスト』に合わせて行った児童・生徒の土曜日の過ごし方に関する調査結果や、中教審=中央教育審議会の議論も踏まえて検討していきたい」

 下村は「土曜授業」活用の目的を、「子どもたちの健やかな成長のため」であり、そのためには「土曜日の教育環境を豊かなものにする必要がある」としている。

 そして具体的設計は4月の「児童・生徒の土曜日の過ごし方に関する調査結果」と中教審の議論を待つとしている。

 だが、下村は4月10日(2013年)の衆院予算委員会で、「日本青少年研究所」による日・米・中・韓の『4ヶ国の中高校生意識調査』を取り上げて、4カ国の中で日本の中高生が「自分はダメな人間と思う」率が一番高く、「よく疲れていると感じる」中高生も多いと嘆ている。

 下村「(このような中高生が)それがそのまま大人になったとしたら、日本社会でも7割以上がですね、自分がダメな人間だと思う国にですね、活力が生まれるはずがないわけでございまして、そういう意味で、学校教育の本質的な意味としてですね、やっぱり一人一人の子どもたちが、あの、自分に対して自信を持ってですね、自分は素晴らしい人間であると、そして自分という存在がさらに能力を引き出して、教育によって引き出して、そして社会に貢献できる、自分という人間がいることによって、周りの(人に)喜んで貰う、そういう一人一人を養成するということが教育の役割であるというふうに思います」――

 要するに教育の力によって「自分はダメな人間と思う」意識を払拭、自信を植え付け、植え付けることで疲れない精神を養い、能力・可能性を自らの力で引き出していく、そこを出発点とする生徒をやしなわなければならないと言っている。

 それが教育の役割だと公言した。

 当然、中高生の日常的な教育環境自体、日本の教育を所管する文科省の大臣として、「日本青少年研究所」の『4ヶ国の中高校生意識調査』を知った時点以降、それが安倍内閣で文科相を仰せつかる前なら、文科相に就任した時点以降、上記線に添った意識教育が可能となる教育の場へと変えていくことに取り掛かったはずだ。

 もし取り掛っていなかったとしたら、不作為・怠慢以外の何ものでもない。国会で嘆いたことがウソになる。

 だとすると、当然、「土曜授業」活用にしても、一個の人間として自信をつけ、自らの可能性・能力を信じることができ、そこを人生の出発点とすることのできる生徒へと高めていく、月曜から金曜日まで用意した教育環境を土曜日にも提供することで事足りるはずだ。

 だが、具体的設計は4月の「児童・生徒の土曜日の過ごし方に関する調査結果」と中教審の議論を待つとしている。

 国会や記者会見の発言は全て素晴らしいことを言っている。だが、素晴らしい発言通りに実行しているのかというと、疑問と胡散臭さを感じないわけにはいかない。

 参考までに――

 2013年4月22日記事―― 《下村博文の、これでよく文科相を務めていられるなと思う検証精神なき認識能力 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》

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