小沢一郎生活の党代表の党首討論質問で安倍晋三が憲法改正によって日本をどのような国家としたいのか判明

2013-07-04 12:07:07 | Weblog

 参院選7月4日公示前日の7月3日、午後1時から3時まで、9党党首討論が日本記者クラブで行われた。

 ここで小沢一郎生活の党代表が自民党の「日本国憲法改正草案」(2013年4月27日決定)を取り上げて安倍晋三に質問している。

 発言はNHK総合テレビ番組から。

 小沢一郎生活の党代表「質問にまだ誰も触れておりませんので、憲法の問題について触れたいと思います。

 9条については賛否あるとして、総理のお考えやら、何やら時々、えー、風の便りに聞きますけれども、もう一つ自民党案にはですね、97条の削除ということがあります。

 この97条ちゅうのは基本的人権は永久の権利として与えられたものだということが、あー、規定されておるものです。けれども、これを自民党案は削除になっておりますけれども、これはどういうふうなお考えなのか、どういう憲法にしようとしているのか、どういう日本社会にしようとしているのか、総理のお考えをお聞きしたいと思います」

 安倍晋三「あのー、今逐条的に聞かれても、我が党の案を持っておりませんが、97条はですね、削除して別の項目にですね、(笑いを漏らす)統合させたんだろうと、いうふうに思います。

 えー、の、後程ですね、自民党の原案を調査して頂きたい、このように思います」――

 一回切りづつの一方通行の質疑答弁形式となっているから、小沢一郎生活の党代表は反論できず、唇をきつく結んで顔を二度左右に振るしかなかったのだろう。多分、そんないいい加減な答弁はあり得ないと抗議の意思表示をしたはずだ。

 安倍晋三の発言が意味するところは、「『自民党日本国憲法改正草案』が手元にないから、はっきりしたことは言えない、97条は削除して別の項目に統合したのではないのかと推測しているが、小沢さんの方から後程原案を調査して欲しい」というもので、自身が総裁を務める政党が発表した憲法改正草案でもあるのだから、重要な改正箇所は把握していなければならないはずなのに把握していないというのは非常に無責任な発言以外の何ものでもない。

 現日本国憲法は占領軍がつくった憲法だ、日本人自身の手によるではないからと、盛んに憲法改正を口にしていながら、「基本的人権」という国民にとって重大な権利に関わる改正の要点を正確に押さえていない無責任も付け加えなければならない。

 さらに、削除したなら、削除した理由、統合したというなら、統合した理由があるはずで、当然、統合したなら、削除前以上の国民の利益となる内容となっていなければならないはずで、そういった諸々の説明を行わない無責任も指摘しなければならない。

 無責任は安倍晋三の持ち前だと言うなら、それまでだが。

 では、「自民党日本国憲法改正草案」の97条と「現日本国憲法」の97条、そして両方の「基本的人権」に触れているその他の条項を見て、どの条項に統合したのか確かめてみる。

 自民党の草案は、「日本国憲法改正草案」に拠った。  

 先ず、「現日本国憲法」の97条。

 〈第10章 最高法規

 第97条 基本的人権の本質

 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。 〉――

 小沢一郎生活の党代表が言っているとおりに、「基本的人権は永久の権利として信託された」と謳っている。

 この場合の「信託」の意味は、「信頼して、政治などに任せること」(『大辞林』三省堂)であろう。

 当然、〈永久の権利として国家権力に信託されたものだから、その信託は永久に変えてはならない。〉という強い決意を国家権力に要求していることになる。

 国家権力が信託を永久に変えないことによって、基本的人権の不侵犯の永久性は保障されることになる。

 「自民党日本国憲法改正草案」では1章増えていて、「第11章 最高法規」となっていて、〔削除〕の文字が記述されている。それに変わるものとして、「第11章 憲法の最高法規性等」が新設され、「現日本国憲法」第98条の「この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。

 2 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。」を、「第101条」としてそっくり受け継いでいる。

 要するに憲法第10章で、憲法は如何なる法律にも優る「最高法規」だと謳った上で、そうである以上、人間が生まれながらに持っているとされている国民の基本的人権は如何なる場合も〈永久の権利だから、永久に変えてはならない。〉と規制して、国家権力に信託された権利として保障するよう要求した強い決意が省略したことになる。 

 勿論、安倍晋三が言うように別の項目に統合したというなら問題はない。統合せずに削除で片付けたなら、他の条文でも謳っている基本的人権を97条で憲法は最高法規だからと断った上で、改めてその不侵犯の永久性を謳い、国家権力に信託された重大な権利として保障するよう要求した、言ってみれば二重の縛りをかけた意味を失う。

 要するに前の条文で基本的人権を国民の権利として謳っているからと言って、削除してもいいということにならない。それ程にも国民の権利としての基本的人権を保障することは重要だということである。

 安倍晋三が言っているとおりに別の項目に統合してあるのか、「自民党日本国憲法改正草案」から「基本的人権」の文字が入っている条文を探してみた。

 先ず最初に「自民党日本国憲法改正草案」の「前文」に基本的人権の文字が記述されている。

 基本的人権を記述した箇所のみを抜粋する

 〈日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。〉

 この場合の「基本的人権」は国家権力による基本的人権の保障を謳っているわけではない。国民個人個人がお互いに基本的人権を尊重しましょうと謳っているに過ぎない。

 「現日本国憲法」前文には「基本的人権」の文字はない。

 次に「自民党日本国憲法改正草案」は「第3章 国民の権利及び義務 第11条 基本的人権の享有 」で次のように触れている。〈国民は、全ての基本的人権を享有する。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利である。〉

 そして第12条を「国民の責務」と題して、〈この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力により、保持されなければならない。国民は、これを濫用してはならず、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない。〉と国民の側を規定している。

 特に、〈常に公益及び公の秩序に反してはならない。〉と国民を規定している点は時代的価値感や国家権力が抱える価値感によって「公益」にしても「公の秩序」にしても、異なる姿を取ることがあるから、国家権力の恣意によって規制される危険性を抱えることになる。

 例えば同性婚や夫婦別姓、離婚に関する考え方、結婚という形を取らない男女同棲の形を取った共同生活に対する考え方・価値づけは保守層程、拒否感が強い。当然、これらを「公益及び公の秩序に反し」た男女関係と把えて、基本的人権の濫用と見做し、禁止する法律を作らない保証はないことになる。

 「現日本国憲法 第3章 国民の権利及び義務 第11条」は、〈国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。〉となっていて、最後の〈現在及び将来の国民に与へられる。〉という保障が「自民党日本国憲法改正草案」では抜けている。 

 このことについて安倍晋三は2013年5月14日の参議院予算委員会で次のように発言している。

 安倍晋三「一般にいわゆる天賦人権説とは、基本的人権は国家から与えられるものではなく、人が生まれながらにして持つ人間の本来享有すべき天賦の権利であるという自然法的な考え方でもありまして、この思想はルソーなどの十八世紀の啓蒙思想家により主張されていたところでございます。アメリカの独立宣言やフランスの人権宣言、さらには日本国憲法に表れていると、このように言われております。

 他方、宗教思想が深く浸透している国においては、基本的人権は神から与えられたというような解釈をする国もあると言われているところでありまして、我が国の現行憲法においても、『基本的人権は、』『現在及び将来の国民に与へられる。』と受け身の表現が使われているところから、このような国の考え方と同様であると誤解されることがないように、『基本的人権は、侵すことのできない永久の権利である。』という書きぶりに改正することとしたところでございます」――

 確かに「基本的人権は国家から与えられるもの」ではないが、国家(権力)が保障する権利である。北朝鮮やその他の独裁国家は独裁権力が保証しないために国民の基本的人権が侵害され、自由の抑圧を受けることになっている。

 要は基本的人権の保障は国家権力の意志にかかっていることになる。いくら憲法が基本的人権を保障しても、国家権力が強権的に憲法を停止する場合もある。

 だからこそ、絶対の保障はないとしても、「現日本国憲法」は〈永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる〉と国家権力を規制した。

 安倍晋三は賢くも、「現日本国憲法」は基本的人権を国家から受け身の形で国民に与えられる権利として表現していると勘違いした。
 
 国家権力の保障にかかっている基本的人権だからこそ、「現日本国憲法」は「第3章 国民の権利及び義務 第11条」の基本的人権に関わる規定を受ける形で引き続いて、「第10章 第97条」で、基本的人権は〈現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。 〉と、基本的人権を国民の永久の権利として国家権力に信託されたものだと、国家権力の保障に二重の縛りをかけた、あるいはダメ押しをし、より絶対的保障へと近づけようとした。

 当然、安易に削除してはならない国家権力の保障ということになる。

 次に「自民党日本国憲法改正草案」で「基本的人権」という文字が出てくるのは、「現日本国憲法」にはない、新設の「緊急事態の宣言の効果」と題した「第99条 3項」、〈緊急事態の宣言が発せられた場合には、何人も、法律の定めるところにより、当該宣言に係る事態において国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せられる国その他公の機関の指示に従わなければならない。この場合においても、第14条、第18条、第19条、第21条その他の基本的人権に関する規定は、最大限に尊重されなければならない〉という箇所で、第14条以下は「基本的人権」の文字は使っていないが、基本的人権に相当する人間の平等や行動の自由、さらには思想及び良心の自由、信教の自由等の国民の権利に対する国家権力の保障を謳っている条文ではあるものの、「第99条 3項」自体は保障とは逆の、緊急事態発生の場合の基本的人権の制限の可能性の文脈で規定した条文であって、正確には基本的人権に対する国家権力の保障を求めた条文ではない。

 そして最後に出てくるのが、「現日本国憲法 第10章 最高法規 97条」の、〈この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。 〉の条文であって、「自民党日本国憲法改正草案」では削除されているという次第である。

 安倍晋三が言うように削除して別の項目に統合した跡を窺うこともできない。

 大体からして、「現日本国憲法 第3章 国民の権利及び義務 第11条」の、〈この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。〉の文言を国家権力に対する保障しなければならない規制だと認識することができずに、国家から受け身の形で国民に与えられる権利として表現されていると勘違いし、そのように認識していることと言い、党首討論での小沢一郎生活の党代表の質問に対する安倍晋三の答弁で分かるように、第97条の、〈この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。 〉という規定を、基本的人権は国民の永久の権利として国家権力に信託され、国家権力が保障する権利だと解釈し、認識する言葉を一言も発していないことと言い、基本的人権は永久に国民に付与され、侵すことのできない権利として国家権力に信託された国民の権利であって、そのことを国家権力が保障しなければならないということを明確に認識していないことになる。

 だからこそ、第97条を削除できた。別の項目に統合したと言いながら、どこにも統合した跡を見い出すことができない。

 国民が持つべき基本的人権は国家権力の保障にかかっているという認識を、だからこそ憲法に規定しなければならないのだが、規定しているにも関わらず、明確に頭に描いていない不認識は、口では「広く世界を俯瞰して、自由、民主主義、基本的人権、法の支配といった基本的な価値に立脚した戦略的な外交を大胆に展開します」などと欠かすことはできない重大な価値の一つとして基本的人権を言っていても、本質的には国民個人個人の基本的人権に対する意識が低く、機会あるごとに「強い日本を取り戻す」と言っていることからして、元々国家主義者である安倍晋三の国民個人よりも国家優先の国家主義者であることが、党首討論での小沢一郎生活の党代表の憲法に関わる質問に対するその答弁でも、図らずも露わになったということであるはずである。

 本人は明確には意識していないだろうが、憲法改正によって国家優先の国家主義的な日本国家を目指そうとしているということである。


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