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NSC(国家安全保障会議)設置法案に於ける文民統制形骸化の懸念をテーマとした《10月25日(金)衆議院本会議・玉城デニー生活の党幹事長代理質問全文》
2013年10月21日衆院予算委で塩崎恭久自民党議員がここ20年来、30年来の日本の企業の低迷と対比させて、日本ではベンチャー企業が育たない、アメリカのアップルとか、マイクロソフト、グーグル、フェイスブック、アマゾン等々のようにベンチャーから大きく育っていく例が日本では少ないと指摘していた。
当然、なぜ日本ではそうなのか、その原因を探らなければならないが、塩崎は日本の経済風土・経済文化だとするばかりで、本質的な原因を探りもせず、安倍晋三の答弁も原因に気を止めない、普段から口にしている抽象的な文言を振り回すばかりであった。
途中、省略する個所もあるが、録画したNHKの放送から文字に起こしてみた。年を取ると共に文字起こしがしんどくなり、省略箇所が増えることになる。その最終的な人生のすべての省略が死ということなのかもしれない。(余分な一言)
塩崎恭久「アベノミクスがやらなければならないことは、日本がこうまでにも競争力を失って、収益力を失ってしまった、その原因は何なのか。
多分それは風土とか、経済文化だとか、かなり根深い問題が問題がたくさんあって、これを解決しない限りは色々な対策をやっても、恐らく一時のもので終わってしまうだろうなあと思うわけであります。
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(低迷している企業を再生するには新陳代謝が必要であることを訴えてから)新陳代謝の典型は開業率も起業率も政府の方も倍にするのだと、欧米並みにするという話をしてますけども、やはり大事なのは、大事なことは雇用をつくることが我々としては大事なことで、勿論、雇用があれば所得を生む、それが生活水準を上げていくということになるわけで、実は企業もつくってから3年以内の企業というのが一番雇用をするんですね。
ですから、規制改革の話の中にもありましたけど、ベンチャー企業なども、さっきのような雇用形態(簡単には整理できない柔軟性のない雇用形態)も大変だろうなと思います。新しく企業を起こす、創業というのはとても大変だと思う。
ところが政府は今まで20年、30年ベンチャー、ベンチャーって言ってきました。しかしなぜか、本当に凄いベンチャーというのは出てこない。殆どというふうになっています。
一方でシリコンバレーというのは1年間に1万7千社が誕生して、そして1万2千社がなくなっていく。あるいはM&Aで合併する。結局ネット(正味)で5千社増えているという、まさにこれは新陳代謝が凄くいいということなので、やっぱり、こういう形に日本中していこうということが我々は大事なことなんじゃないかなあと思っている。
私たち自民党の中で、さっきの中間提言の中で、提案をするとあったときに敢えてベンチャーについてはワンチャプター特出しで、新陳代謝のプラスの面として取り上げたわけでございますが、そこの中の議論の結果は、なぜ今まで我々は20年、30年、ベンチャーと言っても、なかなかうまくいかなかったんだろうか。これは経産省の担当の人たちとも議論して結果としてですね、これは我々が提案したものですけども、切れ目のない、やっぱりサポートシステム、支援の仕組みというものがなければいけない、というのが私たちの結論だったと思うんです。
それも官が全部やるかというと、民がやるのを官が後ろからバックアップするとか、あるいは民だけでやるとか、何でもいいわけです。何しろ、途切れることなく、企業が生態系と同じように育っていくということが大事なので――。
(若いベンチャー起業家たちと食事したとき、政府がバーンとした成功例をつくって貰って助かった、野茂の大リーグ挑戦を持ち出して、大丈夫かなあと思ったが、成功して、松井秀喜やイチローが続いたといった例を示してから)
ドーンと成功する例があれば、日本人というのは割合いそれについて行くという、新しい道を行くということが結構ありますので、この点についても見習って頂いて、是非考えて頂きたいと思います」
安倍晋三「起業は日本経済活性化のカギだと思っています。日本再生戦略に於いても開業率100%台を目指すと、野心的な目標を掲げて、大きな柱として打ち出したところでございまして、起業支援は各省横断的な取組みが不可欠であると、私も考えています。
このため全閣僚がメンバーとなる経済再生本部や官邸に設置した産業競争力会議に於いて、成長戦略を重要な柱として起業支援を検討していきます。
ご指摘の点は極めて重要であると思いますので、今後共タテ割りに陥ることなく、我が国をベンチャー精神溢れる創業大国にするためにですね、政府全体で起業支援と取組んでいく体制について真摯に検討していく考えであります」
塩崎恭久「大変前向きなお言葉を頂いたので、心強くして、我々自民党サイドとしても、色々やっていきたいというふうに思っております。
次に先程申し上げた日本の経済文化とか風土とか、そういう根深い問題についても一緒に考えていこうというふうに思っておりまして、次に我々日本経済再生を考えるときに。答を出さなければいけない疑問というのがいくつかあると思います。
なぜ日本の企業というものはこの20年来、競争力を低下しながら、でも、何で生き延びてこられたんだろうか。
こういうさっきの新陳代謝が悪いということですよね、なぜこういうことが許されちゃうのか。これがやっぱり解決されないと、難しいんじゃないのかな。
もう一つは、なぜ日本には、例えば、あのアメリカのアップルとか、マイクロソフトとか、グーグルとか、フェイスブックとかですね、えー、色んな、アマゾンでもそうですが、色んな、やっぱりベンチャー企業から大きな企業なり、育っていく。日本は殆どできていく例がないんだろうか。
ということも大事なことで、これもやっぱり総理がおっしゃる新陳代謝のいい経済にするためにはやっぱりその原因には企業の文化・風土など根深いものを一つ一つ潰していかなければならない。
そのためのメニューとして日本経済再生本部、今甘利大臣の所で取り纏めて頂きましたけども、その中にも我々の中間提言にも入っているメニューがあって、これは先ずは規制改革、それから、金融機関改革というものも大事だと思います。
コーポレートガバナンス(企業の不正行為の防止と 競争力・収益力の向上を総合的に把え、長期的な企業価値の増大に向けた企業経営 の仕組み。企業統治とも訳される。)の改革、つまり企業が本気にならない限り、やっぱり何をやったってうまくいかない。
それから機関投資家改革・・・・・」(以下略)
塩崎は日本ではベンチャー企業が育たないのかと疑問を提示し、答を出さなければいけない問題としておきながら、この疑問に対する本質的な問題点を解こうともせず、このことも問題だが、政府が成功例をつくれば、後に続く形でベンチャー企業がさも育っていくかのようなことを発言したのに対して、右翼の軍国主義者安倍晋三は、「全閣僚がメンバーとなる経済再生本部や官邸に設置した産業競争力会議に於いて、成長戦略を重要な柱として起業支援を検討していきます」とか、「我が国をベンチャー精神溢れる創業大国にするためにですね、政府全体で起業支援と取組んでいく体制について真摯に検討していく考えであります」とか、既に何度も言っている、こうします、ああします等々の方針を繰返すだけの紋切り型の答弁で済ます単細胞振りを示すのみとなっている。
このようなアホな答弁しかできないようでは、右翼の軍国主義者安倍晋三にはトップの資格が実質的にあると言えるのだろうか。
このなぜは解かなければならない本質的な問題であるにも関わらず、解こうとする姿勢が塩崎ばかりか、安倍にもない。二度目の塩崎の質問に対する安倍晋三の答弁を聞いても仕方がないから、省略することにした。
塩崎に至っては右翼の軍国主義や安倍晋三のアホな答弁に対して「大変前向きなお言葉を頂いた」と前向きでも何でもない、具体性も何もない、体裁だけの空疎な言葉を持ち上げてさえいる。
塩崎は大リーグに挑戦した野茂や松井等を例にして、「ドーンと成功する例があれば、日本人というのは割合いそれについて行くという、新しい道を行くということが結構あります」 と言っているが、野茂も松井秀喜もイチローもそれぞれに優れた独自性を持っていた。野茂の成功は後に続く者を勇気づけただろうが、勇気だけでは解決する問題ではなく、あくまでも本人の資質が優れた独自性を持っているかどうかであって、先人の成功例自体が後に続く者の活躍・成功を保証するわけではない。
大リーグに挑戦して長続きしなかった日本のプロ野球選手の少なくない存在がこのことを証明している。
こういった経緯に対する認識もなく、成功例が解決策になるとする考えの甘さは如何ともし難い。
当然政府が「ドーンと成功する」模範例をつくり、その真似から入ったとしても、起業した企業自体が独自の経営方法・製品やサービスに関する独自の創造性を持たなければ、大きな企業への発展は難しいことになる。模範例とズレが生じるはずだ。
いわば起業した企業がその企業に特有な優れた独自性を如何に有効に発揮できるかどうかが世界的な大企業化への道であり、その点に本質的な問題があることになって、そのことを問題とせずに成功例をつくれだ、規制改革だ、金融機関改革だ、コーポレートガバナンス改革だと支援の仕組みに必要性を説いた上で、「企業が本気にならない限り」などと精神論を振り回すだけでは単細胞な履き違えとしか言い様がない。
要するに塩崎にしても右翼の安倍晋三にしても当てにならないことを言っているに過ぎない。
前々から日本人はモノづくりの才能は世界的に優れているが、独創性に欠けると言われていたし、日本人自身による指摘もあった。独創性とは創造性という点での最大の独自性を意味するはずである。
独創性の基本は知識である。それも自ら創り上げた知識でなければならない。それが最初は他人の知識の受け売りであっても、それを自身の知識に創り変えて、それを原資として自らの創造性で発展させていかなければ、独創性は生まれてこないはずだ。
一般的には日本の場合、公式的な体系的知識の取得は学校教育によって授かることから始まる。そのような形式を基本的としている。だが、日本の教育は教師が伝える知識・情報を児童・生徒が丸の形で体系的に暗記する暗記教育――いわば教師の知識・情報をモノマネする教育となっていて、児童・生徒それぞれが自身の発想を訓練する教育とはなっていない。
教師が伝える知識・情報に対して自身の発想を付け加える余地のない教育の場ではそれらの知識・情報を自身の知識情報に創り変えていくことは難しく、当然、そこに創造性の発展は期待できないことになって、なかなか独創性は生まれてこないことになる。
教育の成果にしても如何に多くの知識・情報を正確に暗記しているかによって評価されることになる。
当然のことだが、日々の正確な暗記の訓練、その積み重ねによって否応もなしに児童・生徒を知識・情報に対してモノマネ思考型の人間に育てていくことになる。
このモノマネ思考が日本の製造業のモノづくりを発展させた原動力であるはずだ。モノづくりの見本があって、その見本のモノマネから入り、それを改良・発展させる能力を日本のモノづくりは基本としている。
塩崎が「日本ではベンチャー企業が育たない」と言っている本質的原因が日本の教育にあるとしたなら、長い時間がかかるかもしれないが、日本の教育を知識・情報のモノマネでしかない暗記教育からベンチャー企業が育つような、児童・生徒の発想を訓練し、成長させていくような教育へと変えてモノマネ思考から脱却させ、独創性を思考型とするよう、方向転換を図らなければならないはずだ。
だが、右翼の軍国主義者安倍晋三も塩崎も教育の転換ではなく、様々な規制改革を日本に於けるベンチャー企業育成の要点だと見做す履き違えから抜け出せないでいる。
この履き違えは大学入試制度改革でも見て取ることができる。
次の記事が伝えているところによると、「大学が求める人材像と入学者選抜が評価している能力とのギャップが生じている」ことから、政府の教育再生実行会議(座長・鎌田薫早稲田大総長)が10月11日(2013年)に会合を開き、大学入試制度改革の提言素案を委員に示したという。
《教育の質や人材育成考慮 大学入試改革の提言素案》(日経電子版/2013/10/12 1:42)
現在の大学入試センター試験に代わる新共通テストと高校生の学習到達度を確かめる基礎学力テストの2種類を創設するのが柱だとしている。
だが、この「高校生の学習到達度を確かめる基礎学力テスト」というのは、日本の教育が暗記教育を構造としている以上、暗記知識の正確さとその量を確かめる儀式であることに変りはないはずだ。
思考能力を確かめるにしても、暗記知識の範囲内の思考能力を試すことはできるだろうが、児童・生徒それぞれの発想を訓練することから始まって独創性を育む教育とはなっていないことを前提としなければならない。
大学に於ける人材選抜の儀式がその程度のものでよしとするなら、塩崎等が「日本ではベンチャー企業が育たない」と、その独創性の欠如を嘆くのは整合性を失うことになる。
日本でもアップルやマイクロソフト、グーグル、フェイスブック等々の世界に冠たる知的産業を育てたいというなら、大学入試制度そのものが問題ではなく、日本の教育そのものに問題点があることに留意して、自分たちの履き違えを是正しなければならない。
教育再生実行会議冒頭の右翼の軍国主義者安倍晋三の挨拶。
安倍晋三「能力や意欲を多面的、総合的に評価し判定する方向に転換する必要がある」――
尤もらしい発言に聞こるが、多くの識者や教育評論家等が既に何度も言い、使い古された言葉を再び持ち出したに過ぎない。
大体が暗記教育によって独創性とは無縁のモノマネ思考を育てておいて、「多面的、総合的に評価し判定」できるような「能力や意欲」を備えていることに関しては限界があることに気づきもしない。限界があるからこそ、日本では見るべきベンチャー企業が育たないということであろう。
また、入試制度そのものを問題として「大学が求める人材像と入学者選抜が評価している能力とのギャップが生じている」としているが、大学が求める人材が高校にゴロゴロしていたなら、少しぐらい入試の方法が間違っていても、求める人材は否応もなしに大学に転がり込んでくるはずだ。
だが、「ギャップが生じている」、いわば転がり込んでこないということは、入試制度ではなく、高校までの日本の教育自体に問題があると見做さなければならないはずだ。
当然、少しぐらい入試制度を改革しても、選抜した人材にさしたる変わりはないことになる。
下村博文等々の日本の教育を問題とせずに入試制度を問題視する履き違えは客観的認識能力の欠如の提示以外の何ものでもなく、教育行政に携わる人材の客観的認識能力欠如は滑稽な逆説そのものだが、当然、下村博文にしても、その客観的認識能力欠如が災いして、なぜ日本ではベンチャー企業が育たないのか、その根本的原因に気づく目を持たないことになる。
右翼の軍国主義者安倍晋三や塩崎の履き違え同様に入試制度改革に於ける下村博文等の履き違えを正さない限り、少なくともマイクロソフトやグーグル、アップル、フェイスブック等の創業者並みの独創性を持った人材の日本での育成は難しいだろう。
それとも当方の履き違えに過ぎないのだろうか。