安倍晋三は靖国を参拝してこそ人格の統一を果たすことができ、参拝しなければ人格の分裂を自らに強いる

2013-10-19 07:04:33 | Weblog

 

 安倍首相「私の基本的な考え方として、国のために命を捧げた英霊に対して国のリーダーが尊崇の念を表する、これは当然のことだろうと思いますし、各国のリーダーが行っていることだろう、こう思っています。

その中で、前回の第一次安倍内閣に於いて参拝できなかったことは、私自身は痛恨の極みだった、このように思っております」(2013年2月7日衆議院予算員会)

 「前回の第一次安倍内閣に於いて参拝できなかったことは、私自身は痛恨の極みだった」と言っておきながら、2012年12月26日首相就任後、4月21日から23日の春の例大祭に於いても参拝を見送って真榊奉納に代え、本命とすべき8月15日の敗戦の日も参拝を見送って、自民党総裁名の玉串料を収めている。

 そして今回、10月17日から20日までの秋季例大祭の初日10月17日に、やはり参拝を、「内閣総理大臣 安倍晋三」名の真榊奉納に代えた。

 すべて中国・韓国の反発を考慮しての参拝見送りであり、当然、その参拝の見送りは第1次安倍内閣で参拝しなかったことが「痛恨の極み」という強い後悔の念を誘った程に総理大臣としての立場での参拝成就への思いが強烈であるだけに、その参拝成就の思いへの精神の抑圧が働いて、総理大臣として参拝する想像裡の自分と参拝を見送る現実の自分との葛藤が本人の中で渦巻いて然るべきである。

 いわば総理大臣の立場で参拝する安倍晋三こそがホンモノの人格(=ホンモノの自分)ということになって、参拝せずに真榊奉納に代えて済ますのはニセモノの人格を抱えることになって、本人にとってはニセモノの安倍晋三ということになり、その両者の葛藤である。

 総理大臣としての参拝を現実世界で達成させて「痛恨の極み」という強い後悔の念を晴らしてこそ激しいカタルシス(精神の浄化)を得て、多分勝ち誇り、安倍晋三は自らの人格を統一することができ、真榊奉納は参拝成就の思いを抑圧する分、ある種の人格の分裂を自らに強い続けることになる。

 2005年5月2日、小泉内閣時代の自民党幹事長代理だった安倍晋三はワシントンのシンクタンク「ブルッキングス研究所」で次のように講演。

 安倍晋三(中国が小泉首相の靖国神社参拝の中止を求めていることについて)「小泉首相の次の首相も靖国神社に参拝するべきだ。国のために戦った方に尊敬の念を表することはリーダーの責務だ」――

 安倍晋三にとって参拝成就への強烈な思いを抑圧することになるニセモノの安倍晋三を演じて、人格の分裂を自らに強いるのはさぞかし辛いことだろう。参拝してこそホンモノの安倍晋三となることができる。その思いは強いはずである。

 今年(2013年)8月6日、原爆投下の日の広島市記者会見――

 安倍晋三「国の内外を問わず、国のために戦って尊い命を犠牲にした方々に対し、手を合わせてご冥福をお祈りし、尊崇の念を表する気持ちは持ち続けていきたい。その気持ちに全く変わりはなく、参拝についての私の思いは変わっていない」(NHK NEWS WEB

 「国のために戦って尊い命を犠牲にした」と、その行為を正義としているが、正義とすることはその正義を向けた対象である戦前の天皇を絶対的支配者と位置づけた軍国的帝国主義国家をも正義としていることになり、安倍晋三以下、靖国参拝論者たちは戦没者への追悼の思いを通して、あるいは実際の追悼を通して、戦前日本国家を正義の国家と肯定し、侵略戦争を否定する参拝行為、あるいは真榊奉納だということを見抜かなければならない。

 安倍晋三が総理大臣の立場で靖国参拝を実現することによって果たすことのできる自らの人格の統一 ――ホンモノの自分であることの確立は、同時に戦前日本国家肯定の象徴的儀式の確立をも意味するはずである。

 中国と韓国が、安倍晋三が直接の参拝を見送って代えた真榊奉納に対しても批判の声を上げた。例えそれが真榊奉納であっても、戦前日本国家肯定・侵略戦争否定の行為だと見抜いているからだろう。

 最後に安倍晋三の真榊奉納についての加藤官房副長官の発言を取り上げる。

 加藤官房副長官「国の内外を問わず、国のために戦って尊い命を犠牲にした方々に対して手を合わせ、ご冥福をお祈りし、尊崇の念を表することは当然のことと考えている。私人としての行動なので、政府として特段見解を申し上げる事柄ではない」

 記者「私費で真榊を奉納したのか」

 加藤官房副長官「公費で支出したとは承知していない」(NHK NEWS WEB

 例え私費であったとしても、安倍晋三は「内閣総理大臣 安倍晋三」名で真榊を奉納している。「内閣総理大臣 安倍晋三」として真榊奉納という公的な行動をしたことになるはずだが、それを「私人としての行動」だと言う。

 こういったゴマ化しが平然と横行している。

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