2010年3月当時、2009年9月に民主党に政権交代して鳩山政権となっていた。野党自民党の総裁は谷垣禎一。谷垣人気は低迷し4カ月先2010年7月の参院選挙は谷垣では勝てないと自民党内では谷垣降ろしの嵐が吹き荒れていた。
当時世論調査では、「次の首相にしたい政治家」として自民党の舛添要一が一位を占める人気を誇っていた。その一つ、2010年3月8日付の「JNN世論調査」を見てみる。
「総理大臣を任せたい国会議員」
自民舛添要一――13%(1位)
鳩山首相 ――8%(2位)
谷垣自民総裁 ――1%(その他大勢の中)
小泉進次郎 ――1%
2009年8月30日投票の総選挙で初当選したばかりの小泉進次郎が「JNN世論調査」では世論の首相就任願望に早くも顔を出し、谷垣自民党総裁と同じ1%だということは、親の七光りもあるだろうが、小泉進次郎が凄いのか、あくまでも1%は1%であって、谷垣総裁が情けない状態を示しているに過ぎないということなのか、まあ、後者に落ち着かせざるを得ないはずだ。
舛添要一の場合は現職首相の鳩山由紀夫を5%も離して13%の獲得だから、世論の舛添要一に対する期待度は相当なものだったと見なければならない。期待度は世論の見る目を表し、見る目に比例するはずだ。但し世論の見る目が期待の形を取るものの、見る目が期待した成果を結果とするとは限らないし、見る目が常に正しいとは限らない。
この点、非常に厄介である。
確かに安倍内閣を引き継いで2007年9月26日福田内閣発足と同時に任命された厚労相を麻生内閣でも再任されて様々に仕事を成し遂げたことが次の首相への期待度へとつながっていったのだろうが、舛添要一がこのとき世論をバックにだろう、自民党総裁になろうと様々に活動していたのに対して、その言動から、私自身は信用できない政治家のリストに入れていた。
この辺りのことは2010年3月9日の当ブログ記事――《「総理大臣を任せたい国会議員」の第1位を舛添と見る有権者の鑑識眼 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に書いたが、詳しいことは皆さんのその記事へのアクセスに任せるとして、舛添要一の信用できない言動だけを記事から焼き直しの形で取り上げて、ここに記してみたいと思う。
谷垣降ろしで動いていた与謝野馨元財務相が2010年3月10日発売月刊誌「文芸春秋」4月号掲載の論文で、夏の参院選前の谷垣禎一総裁ら執行部の刷新を求め、実現しない場合は新党結成も辞さないと“谷垣降し”に言及していることが報道された。
対してもう一方の谷垣降ろしの急先鋒たる舛添要一は3月1日の日本外国特派員協会講演で次のように発言している。
舛添要一「世論調査で民主党の支持率は自民党の2倍で致命的だ。この点を党内の良識派が考慮すれば、谷垣総裁を降ろす方向に動くだろう」(YOMIURI ONLINE)
「党内の良識派」に谷垣降ろしの方向へ向けたタガをはめようとした。良識があるなら、谷垣降ろしに動けと訴えた。
そして3月8日の国会内での対記者団発言。
舛添要一「小沢独裁民主党と違っ て、われわれは自由だ。切磋琢磨(せっさたくま)することが党が良くなることだ」(NIKKEI NET)
言論の自由を持ち出して、自らの党内批判・執行部批判を正当化した。
だが前年の2009年12月22日、都内で新刊「舛添メモ 厚労官僚との闘い752日」(小学館1260円)の出版記念講演では違った発言をしている。
舛添要一「仮に私が首相になったら閣僚の7割は民主党から選ぶ。自民党から欲しいのは3割だ。
誤解を恐れずに言うなら、今の自民党には小沢(一郎)さんよりももっとラジカルな(過激な)独裁者が必要。(総選挙で)負けたという危機感がなさ過ぎる」(スポーツ報知)
舛添がこの閣僚選出の条件で首相になるには一般的には自民党過半数割れ第一党、民主党との連立政権でなければならない。第一党でありながら、閣僚自民党3割、民主党7割では、まさしく独裁者の装いを打ち出さなければ、不可能となるだけではなく、自民党の派閥利害と一致するはずはない。
また、後半の発言にしても、自民党には小沢一郎氏よりも過激な独裁者が必要だと言って、その条件に当てはまる政治家を自分に擬(なぞら)えながら、2ヶ月後には「小沢独裁民主党と違っ て、われわれは自由だ。切磋琢磨(せっさたくま)することが党が良くなることだ」と、独裁者の必要性をどこかに放り出している。
一言で言うと、言葉に信用はできない。
上記当グログ記事には書いてないが、舛添要一は2010年3月17日、参院自民党のボス青木幹雄前参院議員会長と国会内の自民党控室で会談している。
そして9月1日夜、日本の政界の時代錯誤の黒幕森喜朗と会談、「ポスト麻生」の本命と見られていたにも関わらず9月28日投開票の自民党総裁選に出馬しない意向を伝えたとされている。
「ポスト麻生」本命視は世論の次の首相期待度も入っているはずである。だが、出馬断念を自分の方から伝えた。推測に過ぎないが、無派閥の舛添が森や青木といった派閥のボスたちに派閥利害と一致しないために推薦人集めの協力を得ることができず、逆に引導を渡されたと見る方が自然ではないだろうか。
但し出馬断念はこの記事で取り上げた舛添語録を自ら全てウソにすることになる。国民世論の期待度に対する裏切りでもある。
このウソ・裏切りにしても言葉の信用のなさを補強する糧としかならない。
自民党には「ラジカルな(過激な)独裁者が必要」と言った以上、「総裁選立候補を派閥のボスたちに邪魔された」ぐらいは言うべきだったろうし、言ってから離党すべきだったろう。
確かに1月14日の都知事選出馬記者会見では、「2020年の東京オリンピック・パラリンピッ クを、皆さんの力をあわせて史上最高のオリンピックにする思 いで取り組みたい」(MSN産経)などと勢いのいい言葉で立派なことを言っている。
誰もが立派な言葉を装うことはできる。その言葉が信用できる言葉かどうか、その信用度を測らなければならない。
今回の新都知事への期待度にしても高いものがあるが、言葉の信用度と秤にかけなければならない。
まさに“都民の判断”にかかっている。