戦前の日本軍及び日本軍兵士の方が規模・凶悪性で遥かに上回る形の現代インドでの集団レイプの蘇り

2014-01-18 10:16:20 | Weblog



      《生活の党PR》

      《1月19日(日) 小沢一郎代表『日曜討論』(NHK)出演のご案内》

      日 時:平成25年1月19日(日)9:00~10:50
      小沢一郎代表出演時間は10:35頃から     

 1月14日(2014年)、インドのニューデリーで滞在先ホテルまでの道に迷い、尋ねたデンマーク人女性旅行者(51)を人目のつかない場所に誘い込み、集団でレイプする事件が起きた。「MSN産経」記事によると、警察は事件に関与した疑いで15人を拘束したと地元メディアの報道として伝えている。

 記事はさらにインド政府が2012年末にニューデリーで起きたレイプ殺害事件を機に性犯罪を厳罰化したが、AP通信によると、首都とその郊外での2013年1~10月発生レイプ事件は、12年1年間の2倍近くに増加したと伝えているという。

 インターネットで事件例を調べてみたところ、インドのレイプ事件は衆人環視の中でも見境のない点、年齢に対する見境のない点、相手が外国人女性だろうと見境のない点等の要素を備えた暴力的な集団レイプの多発を特徴としているように見える。

 外国人女性に対するそれは、上記以外に2013年3月に8人の男が夫と自転車旅行途中の夜のキャンプ中にスイス人女性を夫の目の前で集団レイプし、警察は20人を拘束したといった事件が起きているし、2013年 6月には30歳の米国人女性が3人の男から集団レイプを受けている。

 調べれば、もっとあるかもしれない。

 同じインド人女性に対しては、2013年11月の1歳3カ月の女児が母親の留守中の自宅で集団レイプされた例。13歳の少女が男3人にレイプされた後、火を付けられ、搬送先の病院で死亡した例。2013年7月の男15人が地元の宿泊施設に押し入り、ミッションスクールで職業教育を学ぶ12~14歳の少女4人を連れ出して、宿泊所から約500メートル離れた場所で集団レイプした例。

 これらは年齢に対する見境のない部類に入る例であろう。

 2012年12月の23歳のインド人女子学生がバスの中で酒に酔った6人の同乗者から次々と集団レイプされ暴行を受けて、その後死亡した例は衆人環視の中であっても問題視しない部類に入る。

 2013年6月の22歳の女子大生が大学内の図書館から徒歩で寮に帰る途中、電気三輪車から降りてきた3人の男に拉致されて人気のない場所に連れ込まれ、集団レイプされた例。

 集団レイプではなく、単独レイプだが、2013年5月の80歳の女性が41歳の野菜販売業者の男から受けたレイプは上限に向けた年齢に於いても見境のない例とすることができる。

 調べて例を挙げていったなら、キリがないかもしれない。

 社会的背景を同じくインターネットで調べてみた。インドは圧倒的に男性社会で、女性の地位が低いこと、いわば対等な存在としての尊敬を受けていないこと。そして女性が結婚する際、家族が数年に亘って借金を背負わなければならない程の持参金が必要とされるため、女児の出産が忌避され、出産前診断で女児の場合は中絶対象となるために女性の人口が抑えられて、圧倒的に男性の人数が多くなることからの嫁不足の問題が生じているといった記述を見かけることができた。

 要するに男尊女卑の社会的風潮と多額の持参金の必要性に対する経済的な対応能力不足、このことも原因となっている男女比の人口アンバランスが素因だと動機づけている。となっている。

 だとしても、出産前性別診断は現代の科学であり、持参金の女性負担は古い時代の慣習・文化でありながら、現代にまで引きずって、それが現代の科学に打ち勝つことができないと状況にあるというのは滑稽である。

 インドのレイプ事件がアメリカやフランスのレイプ数と比較して例外的に多いというわけではないという記述もあった。

 だが、このような説明のみでは衆人環視と年齢の双方を問題としない、抑制もなく簡単に無法秩序の空間を現出させてしまう暴力的な集団レイプの社会的説明はつかない。

 インターネット上には誰もが納得のいく的確な説明を施した社会的背景に関する記述が存在するのかもしれないが、概観したインドの集団レイプから戦前の日本軍の従軍慰安婦強制連行を否応もなしに連想させられた。

 衆人環視と年齢の双方を問題としない拉致・誘拐と拉致・誘拐先での集団レイプは特徴がそっくりであるが、その暴力性・凶悪性に於いてインドの集団レイプを遥かに凌ぐ。

 2007年の参院予算委員会。

 安倍晋三「間に入って(慰安婦募集の)業者がですね、事実上強制をしていたという、まあ、ケースもあった、ということでございま す。そういう意味に於いて、広義の解釈に於いて、ですね、強制性があったという。官憲がですね、家に押し入って、人攫いのごとくに連れていくという、ま あ、そういう強制性はなかったということではないかと」――

 「まあ、ケースもあった」という「まあ」は大した規模ではないという意味を持たせている。

 業者は日本軍の威嚇性・強制性を担って募集行為を行っていたのである。いわば周囲の人間にとって日本軍と変わらない恐怖を体現していたことになる。「まあ」どころではなかったはずだ。

 官憲が直接力づくで強制連行する“狭義”強制性はなかったと言っているが、『日本軍に棄てられた少女たち―インドネシアの慰安婦悲話―』プラムディヤ・アナンタ・トゥール著・コモンズ)には占領下のインドネシアで日本軍兵士がトラックで乗り付けたり、その他の強制的な方法で年齢に見境なく、また衆人環視とさして変わらない母親やその他がいる場所で十代半ばから20歳以下の少女たちを拉致・誘拐していく、いわば官憲による狭義の強制性の例をいくつも挙げている。

 このことは1月5日(2014年)の当ブログ記事――《日本軍は戦時中のインドネシアで未成年者略取及び誘拐の罪を犯して従軍慰安婦狩りしていた - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に書いた。

 また同じ占領下のインドネシアで民間オランダ人を捕虜として収容した収容所に日本軍兵士がトラックで乗り付けて未成年の女性を強制的に連行し、従軍慰安婦に仕立てた事件は既に広く周知の事実となっているが、1941年に旧オランダ領東インド(現インドネシア)に生まれ、日本軍占領下に幼児期を過ごして戦後オランダに帰国した女性が日本軍に強制的に従軍慰安婦とされた女性たちからの聞き取り証言を綴った、『折られた花』(副題〈日本軍「慰安婦」とされたオランダ人女性たちの声〉)(マルゲリート・ハーマー著・新教出版社)から、年齢に見境のない、衆人環視の許の拉致・誘拐の例を参考引用したいと思う。

 18歳のマルタの場合は収容所から強制連行されたのではなく、まだ民間オランダ人を収容状に収容する前だったのか、品物を持って売りに行く途中、突然日本軍憲兵の車が横に止まり、「何をしているのか」と尋ねられた。

 マルタは物を売りに行く途中だと答えたが、手招きで一緒についてくるように指示され、車に押し込まれてある建物に連れられていかれた。そこには100人ぐらいの少女や若い情勢が既に集められていたという。

 この後の1日に何十人もの日本兵を相手にしなければならなかったという展開は改めて説明するまでもない。

 次の記述だけ紹介しておく。

 「みなマルタと同じように通りで憲兵につかまえられたか、軍が委託した斡旋業者に連れて来られたのだった。少女たち数人からマルタが聞いたところでは、日本の警察が町中のあちこちの民家に押し入って少女たちを引っぱっていき、母親たちが自分を代わりに連れていってくれと泣きながら抗議しても無駄だったということだった。この少女たちはみんなトラックに積み込まれ、いろいろなところへ連れて行かれた」――
 
 憲兵(=日本軍)自体が日本軍が持つ理不尽な強制力で未成年の少女たちを拉致・誘拐していたのである。日本軍委託斡旋業者が憲兵のやり方を見習うことなく紳士的に目的を言い、契約を結んで募集したとは考えにくい。既に触れたように日本軍が持つ威嚇性と強制性を自らも体現して利用しなかった保証はない。
 
 「母親たちが自分を代わりに連れていってくれと泣きながら抗議」したのは、日本の警察が威嚇性を見せて強制的に連行するとき、例え目的を言ったとしても、若い娘を有無を言わさずに連行すること自体が日常的・常識的な軍の業務に関係しないことであることから、正直な目的ではないこととその実際の目的を暗黙の裡に察知していたことからの必死な身代わりの申し出であったに違いない。

 だが、情け容赦もなく拉致・誘拐していき、集団レイプの生贄とした。

 母親たちが想像した通りの生贄であったに違いない。ここに日本軍兵士の残酷さが否応もなしに見えてくる。

 このような日本軍及び日本軍兵士のオランダ人やインドネシア人の未成年少女や若い女性に対する集団レイプが現在のインドに蘇ったような様相を呈しているが、その規模・凶悪性に於いてインドの集団レイプを何百倍も上回ることは断るまでもないはずだ。

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