米政府の安倍靖国参拝に「失望も日米関係に変化なし」は国と首相個人を分けて指導者として期待せずのサイン

2014-01-04 08:06:32 | Weblog

 
 
 安倍晋三がアメリカ政府の控えるよう前以ての要請を無視して12月26日靖国参拝を強行したのに対して在日米大使館が同日12月26日、「近隣諸国との緊張を悪化させるような行動を取ったことに米政府は失望している」(TOKYO Web)との声明を出した。

 このことに関して首相官邸はホワイトハウス直接の声明でははなく、在日大使館の声明であったことに一定の配慮と受け止めたということだが、いわば米政府として中韓に対して示さざるを得ない態度とでも解釈したのかもしれないが、同じ12月26日、サキ国務省報道官が在日米国大使館声明と同内容の声明を発表、「失望」は米政府の態度であることを表明、日本政府の一定の配慮との見方を否定することになった。

 但しアメリカ政府は日米関係に変化がないことを表明している。この経緯を誰が読み解こうと、「失望」の原因をつくったのはあくまでも安倍晋三個人なのだから、靖国参拝を行った安倍晋三個人には失望したが、日米関係そのものは変わらないと、国と首相個人を分けて評価したことになるはずだ。

 日米関係に変化がなしとしたことを以って安倍晋三個人との関係も変化なしとしたとする解釈は成り立たない。なぜなら、米政府の安倍晋三個人に向けた「失望」の原因をウヤムヤにすることになるばかりか、ウヤムヤが日中韓の関係改善の糸口に繋がり、米政府の日中韓に対する外交政策の相互的な円滑化に繋がる保証となるならまだしも、その逆となるのは明らかなことだからだ。

 いわば米政府は外交上の障害を安倍晋三個人に置いたことになる。当然、安倍晋三が自ら進んで自らがつくり出しているその障害を取り除く努力をしない限り、米政府の「失望」は指導者として期待せずのサインとなる。

 では、安倍晋三は障害を取り除く努力をしているのだろうか。

 安倍晋三の努力は障害を取り除くことにではなく、障害は障害としてそのままにして、「不戦を誓うための参拝だった」とか、「戦没者のために手を合わせるのは世界共通のリーダーの姿勢だ」などと、侵略戦争が持つ侵略という対外要素を一顧だにしない言葉の説明で障害を正当化する努力――参拝正当化の努力のみに向けれている。

 指導者としての資質に疑問符をつけないとしたら、米政府の目を疑うことになる。

 日米関係は変わらないが、リーダーとしての資質を疑い、国と安倍晋三個人を分けて指導者として期待しないサインと読み解くことのできる米政府関係者の発言を伝えている記事がある。

 《靖国参拝に失望も日米関係に変化なし》NHK NEWS WEB/2013年12月31日 6時36分)

 12月30日のクリスマス休暇明けの記者会見。

 ハーフ国務省副報道官「日本の指導者が近隣諸国との緊張を高めるような行動を取ったことに失望した。

 日本と近隣諸国が、過去からの微妙な問題に対応する建設的な方策を見い出し、関係を改善させ、地域の平和と安定という共通の目標を達成するため協力を推進することを希望する。
 
 (「失望」という)選んだ言葉から、メッセージは非常に明快だと思う。ホワイトハウスとも調整している。

 日本は、大切な同盟国であり友好国だ。日米はさまざまな課題で緊密なパートナーであり、それは変わらないだろう。われわれは、意見が一致しない問題について、話し合いを続けるつもりだ」――

 「日本の指導者が近隣諸国との緊張を高めるような行動を取ったことに失望した」とは明らかに靖国参拝という「行動を取った」安倍晋三個人に対する「失望」であろう。

 最初にこの言葉を持ってきたのは以後の発言を覆う基調をなすことになるからだろう。

 「選んだ言葉から、メッセージは非常に明快だと思う。ホワイトハウスとも調整している」と、米政府の公式の態度だとトドメを刺している。

 尤もハーフ副報道官は米政府の立場として安倍晋三に対して「失望」の原因をなした障害を取り除いて関係改善を図るよう要請して、安倍晋三に対してその障害を取り除く責任を負わせているが、そのよな要請と自らに課せられた責任にも関わらず、安倍晋三は参拝に内外から批判を受けると、参拝正当化の言動のみにエネルギーを費やすのみで、自身の靖国参拝を近隣諸国との友好関係構築の障害とは見做してはいない。

 当然、安倍晋三が障害除去の責任を果たす姿勢を取っていない以上、安倍晋三という指導者が日本という国に存在する以上、障害は障害として続くことになることは十分に予測できることであって、そうである以上、米政府の関係改善の要請が期待していないタテマエ上の要請でしかないことはアメリカ側も承知していることになって(承知していなければ、参拝後の安倍晋三の言動を読み取る目を持たず、読み誤っていることになるばかりか、要請によって安倍晋三が以後、どのような立場に立とうとも、閣僚を含めて参拝がなくなると見ていることになる。)、そのような文脈での日米関係に変化はなしの発言は日本という国と指導者としての安倍晋三個人を分けた認識ということになり、答は否応もなしに指導者として期待せずのサインとなる。

 具体的に言うと、安倍晋三を指導者から取り除いたとき、友好関係構築の障害をも取り除くことができるという答であり、事実そのとおりだろう。

 残念なことは安倍晋三自身が参拝正当化にエネルギーを費やすのみで、アメリカ政府のサインに気づかないことである。元々合理的判断能力を欠いた人間に出来上がっているから、当然な反応かもしれないが、日本の歴史認識と外交を考えた場合、当然では済まされなくなる。

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