超党派構成日米国会議員連盟・中曽根弘文会長(自民)らが雁首を揃えて渡米、安倍晋三の靖国参拝に対する米国側の「失望している」という反応を払拭すべく、いわばご機嫌を直して貰うために米政府関係者や連邦議会議員と会談、安倍晋三が参拝に当たって公表した「不戦の誓い」などを謳っている「談話」の英文を手渡し、自分たちも「不戦の誓いの参拝だった」と補強説明に努めて理解を求めたという。
日本の国会議員が雁首を揃えて渡米までして日本の首相である安倍晋三の靖国参拝の真意への理解を求めたということは、安倍晋三の靖国参拝は日本政府を代表した公式参拝だったことになる。
まさか私的参拝に過ぎない個人的行為の理解を日本の国会議員の面々が雁首を揃えて米政府や連邦議会議員各要人に求めるといったことはすまい。
もし私的参拝であったにも関わらず米側の理解を求めたのだとしたら、日米関係が最重要な時期に安倍晋三がもし個人的不祥事に過ぎない不倫スキャンダルを勃発させた場合でも、国会議員等が訪米して理解を求めなければならないことになる。
公用車を使い、SPまで引き連れ、参拝の趣旨を述べる談話を首相官邸HPに載せ、「総理大臣安倍晋三」と記帳して参拝主体を日本国総理大臣とした以上、私的参拝であるはずはなく、日本政府を代表した公式参拝だったのであり、そうであるからこそ、国会議員たちがお手てをつないで渡米して説明に努めなければならなかった。
だが、新藤総務相は安倍晋三の参拝について、「総理大臣といえども個人の私的行為であり、心の自由の問題なので、総理大臣がそう判断したのであれば、それを受け止める。いつ、どのようなときであっても、自由に、自分の気持ちにしたがって参拝されればいいと思う」と記者会見発言して、「私的参拝」だとしている。
フジテレビ「新報道2001」を視聴しながらこのブログを書いているとき、自民党の礒崎陽輔が「あくまでも私的参拝だった」と言っていた。
この矛盾はゴマカシが存在するからこそ生じる。安倍晋三は参拝の形式から言っても、精神に於いても、心から公式参拝としていたはずだ。
それが安倍晋三の信念の表現であるなら、なぜアメリカの理解を求めなければならないのだろうか。超党派国会議員だけではなく、菅官房長官にしてもアメリカの「失望」に対して、「理解を求めていく」と言っている。
信念は押し通してこそ、信念として成り立つ。だが、中韓には押し通すことができてもアメリカに対しては押し通すことができずにアタフタと理解を求めるのは対米従属精神の現れ以外の何ものでもないはずだ。
その程度の安倍晋三であり、その程度の信念だということである。
会談相手の一人であるアーミテージ元国務副長官は次のように理解を示したという。
アーミテージ「民主的に選ばれた主権国家の総理大臣が選挙の公約を果たしたわけで、終わったことだ。
(日中韓の関係について)今後よい方向に向かっていくことを期待している」(NHK NEWS WEB)――
「民主的に選ばれた主権国家の総理大臣が選挙の公約を果たした」とは、選挙で公式参拝を約束し、公式参拝として実行したとの意味を持つ。
いわばアメリカ側は公式参拝と受け止めている。
だが、本当に理解を示した言葉だろうか。安倍晋三の靖国参拝を含めた歴史認識が日中・日韓関係のネックとなっている現実的事実は認識していないはずはないことから考えると、簡単には「終わったことだ」とすることはできない障害であることに変わりなく、靖国参拝に関しては半ば匙を投げているニュアンスを感じないわけではない。
安倍晋三一味が靖国参拝の主たる目的の一つを「不戦の誓い」だとするなら、戦前の日本の戦争を戦略戦争と認めない「不戦の誓い」は良心の上からも論理の上からも矛盾そのものだといったことをブログに書いてきたが、安倍晋三が「不戦の誓い」の観点に立っている首相ということなら、その観点から今後の日本の安全保障政策を把えるなら、「不戦の誓い」は安全保障政策の全体を覆うイデオロギーとならなければならない。
逆説するなら、「不戦の誓い」をイデオロギーとした今後の日本の安全保障政策の構築としなければならない。
そうでなければ、「不戦の誓い」はウソになる。
「不戦の誓い」とは、簡単に言うと、戦争を手段としない(=軍事力を手段としない)ということであり、そうでなければならない。少なくとも外交政策を最優先とした安全保障政策でなければならない。
ところが、安倍晋三は集団的自衛権憲法解釈行使容認や敵地攻撃能力保持に向けた安全保障政策の発展を策謀している。この根底にあるイデオロギーは戦争を手段とた(=軍事力を手段とした)安全保障政策の優先ということであろう。
集団的自衛権の行使、あるいは権利として認められた場合の敵地攻撃の行使の次の場面は、例えそれが局地的紛争であったとしても、局地的紛争で完結する保証はない以上、戦争を想定した危機管理が必要となる。
このような安全保障上の危機管理は二度と戦争を手段としない(=軍事力を手段としない)とする「不戦の誓い」をイデオロギーとした安全保障政策と言うことができるのだろうか。
安倍晋三の集団的自衛権についての発言をいくつか見てみる。
2012年10月31日自民党総裁・衆院代表質問。
安倍晋三「日本外交の再建のためには、まずは日米同盟を再構築し、その揺るぎない信頼関係を内外に示すことが第一であります。その上で、その同盟関係をより対等にしていく。そのため、集団的自衛権の行使を認めるべく、解釈を変更する必要があります。
その上に立って、わが党は国家安全保障基本法案を策定し、党議決定いたしました。公海上において日本のシーレーンを守るため、米海軍の艦船と海上自衛艦が航行している際、米艦船が攻撃を受けてそれを自衛艦が救助しなくとも日米同盟は傷付かないとでも野田総理はお考えでしょうか。
助けなければその瞬間に日米同盟は危機的な状況になる可能性があります。集団的自衛権の行使を可能とすることによって、日米同盟はより対等となり強化されます。結果として、東アジア地域は安定した地域となります」――
2013年7月22日安倍晋三参院選勝利記者会見。
安倍晋三「集団的自衛権についてでありますが、日本を取り巻く安全保障環境が大きく変わる中で、日本国民を守るために何が必要かという観点から引き続き安保法制懇(政府の有識者会議『安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会』)での議論を進めてまいります。個別具体的な分類をしていくなかで、この議論は進めてきたわけでございますが、同時に友党、公明党の皆さまのご理解を得る努力も積み重ねていきたい。このように考えております」
2013年年10月1日消費税増税決定発表記者会見。
記者「AP通信の山口と申します。よろしくお願いします。
先般、総理がニューヨークに行かれたとき、いくつかの御講演の中で、集団的自衛権の行使容認に向けた憲法解釈見直し等について意欲を表明されました。一方、軍事的に台頭する隣国と比較して日本の防衛費の増加ははるかに少なく、「私のことをそれでも右翼の軍国主義者と呼ぶならそのようにおっしゃってください」というコメントをされていましたが、そのようなイメージを払拭し、近隣諸国からの不安を払拭、そして、また信頼を得るために、この後どのように外交関係を進めていこうとなさっているか、教えてください」
安倍晋三「私はハドソン研究所においても、私たちが日本版NSCをつくり、あるいは今後、安全保障のための戦略をしっかりとつくっていくということ。あるいはまた集団的自衛権の憲法上の解釈あるいは集団安全保障下におけるさまざまな憲法解釈等についての検討は、どういうことのために我々は行っているのか。私たちが何を考え、何を目指しているのかということについて説明を行いました。
また、国連における演説におきまして、私たちがこれからの外交安全保障の基盤とする積極的平和主義とは何か。それは何を目指しているかということについてもお話をいたしました。
こうした私たちの基本的な考えについては、ASEANの国々を始め、多くの国々の指導者に御説明してまいりました。私がお話をした全ての国々のリーダーからは、御理解をいただいているというふうに思います。これからも私たちは何を目指し、どのように国際貢献をしようとしているのかということを、きっちりと丁寧に説明していきたいと思っております」――
「積極的平和主義」を唱えているが、どの発言も、「集団的自衛権の行使」の権利獲得を手段とした軍事力の向上を目指した発言であって、戦争を手段としない(=軍事力を手段としない)イデオロギーとしなければならない「不戦の誓い」とは矛盾するイデオロギーとなっている。
靖国参拝の目的の一つが「不戦の誓い」だとするのは靖国参拝を正当化する口実に過ぎないということである。
超党派構成日米国会議員連盟の日本側国会議員はウソの情報を用いて安倍晋三の靖国参拝への理解を求めたのである。
安倍晋三の周囲では数々のウソが跳梁跋扈している。