舛添要一と猪瀬直樹と菅無能の人格的共通項――自身の人格は認めても下の者の人格は認めないリーダーシップ

2014-01-26 08:51:51 | Weblog


 

 都知事選序盤戦の各マスコミの世論調査で、舛添要一が一歩リードと見出しが踊っている。かつて首相にしたい政治家のトップに顔を出したこともある舛添要一である。国民・都民の見る目に間違いはない。舛添要一の政治的才能・行政能力に対する高い評価は当然の成果なのだろう。

 いわば舛添要一は現在の情勢では限りなく都知事の椅子に近い場所に位置をつけている。彼の目の中には都知事の椅子がちらついているのかもしれない。

 人格的共通項の中に都知事職に関係しない菅無能元首相を入れたが、国と都の違いはあるものの、行政のトップに立ち、リーダーシップを発揮していた立場は同じくするゆえに人間としての比較対象の資格は十分にあるはずである。

 都知事に限りなく近い位置につけている舛添要一は主役として、人格的共通項としてのその評価は最後に回すことにする。

 先ず猪瀬直樹前都知事。その人格について、《瀬知事辞職:鋭い舌鋒、裸の王様に》毎日jp/2013年12月19日 23時38分)は次のように伝えている。

 〈国際オリンピック委員会(IOC)総会で2020年東京五輪の開催が決まった9月7日の深夜。猪瀬氏は珍しく、ホテルの一室に担当記者を集め、 満足げにビールグラスを傾けながら招致活動の内幕を語った。高円宮妃久子さまの総会出席が実現したのは自身の功績だったと強調し、「僕は『ミカドの肖像』の著者だよ」と力を込めた。〉――

 東京開催が決まったことに強い高揚感を持つのは理解できる。だが、ベストセラー作家としての功績を持ち出して、そのことを以って自身の能力をオールマイティであるが如くに言うのは自らを何様と見立て、誇っていることになる。

 いわば猪瀬直樹なる人間は何様意識をバックボーンとして対人関係を築いていたことになる。何様意識は自らを一大権威に仕立てていることによって可能となる精神性である。当然他者との関係は自身の一大権威に対して他者を遥か下に置くことになる。人間を上下関係で見、上下関係で扱う権威主義者ということになる。

 このことは記事の後半の件(くだり)が証明している。

 〈石原前知事の後継として約4万人の都庁職員のトップの座に就くと、鋭い舌鋒(ぜっぽう)は内部にも容赦なく向けられた。

 知事室に説明に入った幹部職員を怒鳴りつけるのは日常茶飯事。ある課長は、資料の中にある国会議員の出身県が答えられずに叱責され、上司に「もう入りたくない」とこぼしたという。「約434万という空前の得票がワンマンぶりを加速させた」と嘆く職員は多い。〉――

 「約434万という空前の得票がワンマンぶりを加速させた」というのは事実だろう。だが、元々は自身の何様意識――自身を一大権威と見做す権威主義を素地とした、具体的には「ミカドの肖像」の著者としての権威に「約434万という空前の得票」をさらなる権威に付け加えた「加速」であるはずだ。

 権威主義者は人間関係を上下で価値づけるゆえに自身が上の地位・立場に位置すると、下の地位・立場の者を上の権威に絶対的に従わせようとする関係力学が働く。

 このような上下で見る関係力学は下の者を一個の人格と満足に認めない対等意識を欠くがゆえに可能となる関係性によって成り立つ。だから、幹部職員に対する怒鳴りつけを「日常茶飯事」とすることができる。

 部下が怒鳴りつけられることが日常的となると、部下たちは怒鳴りつけられる恐れから自律性・主体性を失って相手の顔色を窺いながら行動する萎縮した組織と化し、上下が対等な立場で相互に自律的・主体的に機能し合う活性化した組織を縁遠くする。

 また、怒鳴りつけることで動かす人心掌握とはリーダーシップとは似て非なるものである。

 このような人格的欠落を抱えていながら、あるいは人間性に欠陥を抱えていながら、猪瀬直樹は「約434万という空前の得票」を得て、都知事の椅子に座り、約1300万人という都民に対する政治を動かすに至った。

 この人格的欠落、あるいは人間性の欠陥から見たなら、徳洲会グループから5000万円借入疑惑で辞任に至ったのは当然の結末と言えないことはない。

 猪瀬直樹のこのような自身を何様に見立て、下の地位・立場の者を自身と同等の一個の人格を有する存在だと認めることのできない権威主義的性格は菅無能元首相も共通項としている性格である。

 2011年3月11日の東日本大震災発生前のことだが、この性格を象徴的に伝えている記事がある。

 政府関係者「菅首相に事前の説明をしていると、何度も怒鳴られる。官僚は怒鳴り散らされるから、だんだん寄りつかなくなる」(毎日jp/2010年12月31日 10時34分)

 菅無能「首相官邸は情報過疎地帯だ。役所で取りまとめたものしか上がってこない。とにかく、皆さんの情報や意見を遠慮なく私のところに寄せてほしい」(YOMIURI ONLINE/2010年11月2日 21:16))

 怒鳴りつけられるから、官僚が寄りつかなくなる。だが、菅無能は、相手の人格を認めない自身を何様に置く権威主義に原因があることに気づかない頭の程度だから、「首相官邸は情報過疎地帯」だと、そういう場所だとして、そのことに原因があるとすることができる。

 首相官邸が情報過疎地帯であることがどれ程に恐ろしいことか気づかない。菅無能も裸の王様だった。

 当然、リーダーシップを発揮できる能力を抱えているはずはなく、東日本大震災が発生して、満足に初期対応も、その後の危機管理も機能させることができなかったのは必然性があったとさえ言うことできる。

 その証明を一つ。

 東日本大震災が発生すると、菅無能は官邸5階の総理執務室で震災対応、特に福島原発事故対応の会議を開き、その会議を参加者たちは「御前会議」と呼び習わし、菅の判断を仰ぐとしていたという。

 要するに菅無能を天皇に位置づけていた。天皇に位置づけるとは自身を絶対者としていたことを意味する。

 この権威主義は如何ともし難い。天皇である菅無能に下手なことを言うと怒鳴られるゆえに恐る恐る顔色を窺いながら怒鳴られないような意見しか言わない雰囲気が醸し出され、それが当然の会議の場での空気・慣習となる。

 満足な情報共有・情報交換ができるはずはない。リーダーシップとは言えないリーダーシップを有した人間が1年3カ月も日本の首相の座に就いていた。恐ろしいことではないか。

 同じ性格を共通項とした舛添要一。

 舛添要一は2度目の妻として大蔵省在職中の片山さつきと見合いし、1986年に結婚。しかし3カ月後には片山が弁護士に相談する事態に陥り、調停を経て89年に離婚したと「Wikipedia」に書いてある。

 そして片山さつきの週刊誌での証言として、夫婦喧嘩になると舛添は怒鳴る、物を投げつけるなどの乱舞な行為に及んだという。

 さらに今回の元夫の舛添要一の都知事選立候補。2014年1月14日付「MSN産経」記事が、片山さつきは安倍晋三から舛添要一に対する支援を求められたが、難色を示したことを党大会が開かれた都内ホテルで記者団に語ったと伝えている。

 安倍晋三「誰よりも片山さんに(舛添氏の)応援に立ってほしい」

 片山さつき「舛添氏は障害を持つ婚外子に対する慰謝料や扶養が不十分だ。解決されていない」――

 片山さつきは舛添要一の人間性を問題にした。片山さつきと結婚する前から愛人を持ち、愛人が妊娠中であることを結婚3カ月で知ったという。

 だが、舛添は片山さつきと離婚後、その愛人と結婚はせずに、別の女性と結婚している。

 妻に対する怒鳴ったり、物を投げつけたりする乱暴な態度にしても、「障害を持つ婚外子に対する慰謝料や扶養が不十分」という姿勢にしても、自身の人格のみを認め、他者を一個の人格を有する存在と認めていないことによって可能とする権威主義に立った責任対応であるはずだ。

 いや、愛人を存在させたこと自体、片山さつきの妻としての人格を認めていなかったことになる。

 まさに猪瀬直樹と菅無能と舛添要一は権威主義者である点、権威主義者であるゆえに人間関係を上下で見て、下の地位・立場にある者の人格を認めない点を性格的な共通項としている。

 権威主義者である舛添要一が都知事選に当選して都知事に就任したとしても、果たして猪瀬直樹や菅無能元首相と同様、満足なリーダーシップを発揮できるだろうか。都庁を萎縮した組織に築き上げることになりはしないだろうか。

 舛添が言っている「五輪を成功させ、東京を世界一にしたい」も覚束なくなる。

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