2013年12月27日、仲井真沖縄県知事は政府の日米合意に基づいた名護市辺野古沿岸部埋立て申請を正式に承認した。
仲井真知事「審査の結果、現段階で取り得ると考えられる環境保全の措置などが講じられてお り、基準に適合していると判断し、承認することとした。
政府から示された沖縄振興策は、県の要望に沿った内容が盛り込まれており、安倍内閣の沖縄に対する思いは、かつてのどの内閣にもまして強いと感じた。また、基地負担の軽減策でも、安倍総理大臣は沖縄の要望をすべて受け止め、交渉をまとめていくという強い姿勢を示された。
国際情勢は緊迫していると認識しており、沖縄は一定の役割を果たさなければならない。
県外の既に飛行場のある場所へ移設する方が最も早いという私の考えは変わらない。政府は、普天間基地の危険性の除去を図るため、5年以内の運用停止の実現に向けて、今後も県外移設を検討する必要がある。
(県移設を公約としてきたことに関して)公約を変えたつもりはない。一番重要なのは、宜野湾の街の真ん中にある危険な飛行場を街の外に出すことで、これを理解していただきたい。 5年以内の運用停止に取り組むという安倍総理大臣の確約を得ている。埋め立ての承認と県外移設を求めていくことは、危険性を減らすため並行して存在しうる」(NHK NEWS WEB)――
要するに政府の埋立て申請は内容に不備がないから承認した。2010年県知事選で掲げた普天間県外移設の公約に変わりはないとしている。
なかなかのタヌキ親父だ。最後の最後の土壇場で公約を裏切るのではないかという疑惑を拭い去ることができないでいたが、最後の最後の土壇場で到頭正体を現した。
いくら書類に不備がないからといって、「私は県内移設は反対だから」という理由で申請を不承認とすることもできたはず だ。つまり、公約との整合性を根拠とせずに書類の整合性を根拠として承認した。
その承認に対して、政府は「今後も県外移設を検討する必要がある」と言い、「埋め立ての承認と県外移設を求めていくことは、危険性を減らすため並行して存在しうる」と自己の判断を正当化している。
果たしてこの自己判断の正当性に根拠があるかどうかである。
安倍政権は埋立て申請が承認された以上、埋立てに向けて反対運動を除去しつつ進めていくはずだ。反対運動に抗し切れずに安倍政権が敗退し、辺野古移設から撤退した場合、アベノミクスが功を奏して経済が順調に回復していたとしても、政権は一挙に信用を失い、崩壊の危機を招きかねない。
そうなった場合、安倍政権は県外に移設を求めざるを得ず、仲井真知事の「県外の既に飛行場のある場所へ移設する方が最も早いという私の考えは変わらない」は先見の明を得て、正しかったことになる。
だとしても、公約との整合性を根拠に申請を不承認とし、反対運動を煩わさないで政府に県外移設を求める分かり易い方法もあったはずだ。
そして1月19日投票の名護市長選。辺野古移設反対の現職稲嶺氏が当選した。稲嶺市長は市の協力が必要となる行政手続きに一切協力しない、強固な移設反対姿勢を示している。
仲井真知事は稲嶺氏当選について投票日当日の夜、記者団に対して次のように発言している。《仲井真知事「もう承認した どうこうできない」》(NHK NEWS WEB/2014 年1月19日23時16分)
仲井真知事「この何日か、末松氏の陣営は非常にダイナミックな動きが出ていて、負けない手応えを感じていたので、『あれ』という感じが強い。
(普天間基地移設計画に与える影響について)民意が示されたという点では名護市の有権者の意向であり、大きいものがあるが、埋め立て申請はもう承認したので、私が今からどうこうはできない。移設に反対している稲嶺氏だと、おのずと、それなりに影響を受ける と思う」
記者「選挙の結果を受けて、職を辞す考えはないか」
仲井真知事「全 く無い」――
「この何日か、末松氏の陣営は非常にダイナミックな動きが出ていて、負けない手応えを感じていたので、『あれ』という感じが強い」とは、当選を期待していたということ以上に当選を予想していた印象を持っていた言葉の表現となっている。
と言うことは、移設推進派の市長の誕生を前提としていたことになって、反対運動が立ちはだかることは予想していても、その前提は安倍政権の少なくとも移設に向けたスムーズな行政手続きの実現を次の場面として想定していたことになる。
いわば仲井真知事は推進派の市長誕生を予想することで頭の中では移設の前進に向けたスケジュール状況を順次跡付けていたのである。
当然、このような跡付けは仲井真知事のホンネの現れ以外の何ものでもない。
ホンネが真に県外にあったなら、上記発言は出てこないし、そもそもからして名護市長選で辺野古施設推進派を応援することもないはずである。最低限、中立を守るか、逆に移設反対派の稲嶺氏を応援してこそ、公約を公約通りのホンネとすることができたはずだ。
政府の埋立て申請に対して書類の整合性を根拠とせずに公約との整合性を根拠して不承認としたはずだ。
だが、移設推進派の市長候補を応援して、当選を実現させることで辺野古移設に向けた障害が極力取り除かれることを望んだ。
ホンネが県内にある以上、昨年12月27日の発言、「県外の既に飛行場のある場所へ移設する方が最も早いという私の考えは変わらない」にしても、「埋め立ての承認と県外移設を求めていくことは、危険性を減らすため並行して存在しうる」にしても、単に政府の埋立て申請に対する承認を正当化するための詭弁でしかなかったことを自ら暴露する言葉の数々となる。
、図らずも暴露することになった。
最初から果たすつもりもない公約を掲げた確信犯だったと言うことができる。当選するために県外移設の公約を掲げ、当選を果たしたなら、密かに機会を狙って逆の公約を果たす心づもりでいた。
まさしくタヌキ親父そのものだが、沖縄県県民を最初から裏切っていたことになり、その責任は政府埋立て申請の承認撤回と県知事辞任という形以外では果たすことはできないはずだ。