安倍晋三の中韓を悪者にして自身は正義の人を演じているダボス会議基調演説後質疑の狡賢いレトリック

2014-01-24 10:16:00 | Weblog




      生活の党PR

      《1月21日(火)小沢一郎代表が2014年初めての記者会見を行いました》

      本日告示されました東京都知事選挙について、会見に先立ち開催された幹事会で、党として細川護熙元総理を勝手連的に応援することが確認され、これについての言及です。全文は党ホーム
      ページよりご覧いただけます。 是非ご一読ください。

      ○ 『東京都知事選挙、細川護熙氏を応援』 【質疑要旨】  

      東京都知事選挙について
      名護市長選挙について
      民主党党大会への出席について
      通常国会開会を迎えるにあたって

 安倍晋三がスイスで開催世界経済フォーラム年次総会「ダボス会議」出席の1月21日(2013年)午後、政府専用機で出発、日本時間1月23日未明基調演説を行い、演説終了後の質疑応答で、靖国神社参拝と中国との関係について発言したという。

 先ず基調演説冒頭発言の最初の発言について一言ケチをつけたいと思う。

 安倍晋三「さて、『アベノミクス』と、私の経済政策は呼ばれています。誰が名づけたのかは、知りません。自分の名前を呼び続けるのはちょっと抵抗がありますが、ここは、この言葉を使わせてください」――

 安倍晋三は「アベノミクス」なる自身の経済政策に非常に自信を持っている。その自信は過剰な領域にまで達している。「アベノミクス」こそが日本の長いデフレからの脱却の原動力となると信じ、「日本を変える」とまで広言している。

 そのような自信を背景とした発言だと考えると、「アベノミクス」という名称が広く有名となっていることを前提としていながら、「誰が名づけたのかは、知りません」と自然に湧いて広まった現象だと見せかけて、それだけ「アベノミクス」は衝撃的な効果性を世間に与えたとする文脈となる。

 当然、その文脈には誇り、自慢する気持を隠していることになる。その一方で、「自分の名前を呼び続けるのはちょっと抵抗がありますが」と謙虚さを見せてはいるが、相手の否定を誘って逆の効果を持たせる意味で使った謙虚さなのは明らかで、前後の文脈は誇りと自信で一致している。

 アベノミクスの最終的な成果は今後の本格的に打ち出していく第三の矢である「成長戦略」の実効性にかかっていることは誰の目にも明らかであるはずである。まだ結果を見ないうちの、既に結果を出したかのような誇りと自信は却って危険であり、何がしかの謙虚さを見せるべきだが、謙虚さをクスリとしていない。

 このことは中韓に対する外交姿勢にも現れている。

 安倍晋三は「アベノミクス」なる名称を「誰が名づけたのかは、知りません」と言っているが、私自身は中川秀直が第1次安倍内閣時代に安倍晋三の経済政策をそのように名づけたと、何かを読んで記憶していたから、記憶を確認するために「Wikipedia」で調べてみた。解説の誘導によって、次の記事に、犬も歩かずに棒に当たった。

 《トクする日本語 - NHK アナウンスルーム》  

 アベノミクス(2013年4月17日(水))
     
最近、経済ニュースでよく耳にすることば「アベノミクス」。この「アベノミクス」は「アベ」+「(エコ)ノミクス」を結びつけた造語です。「エコノミク ス」は「経済学」という意味。そのまま読むと「安倍経済学」となりますが、今回安倍総理が掲げている経済政策全体を「アベノミクス」といいます。

このことば、安倍総理は自分が作ったことばではないと言っており、主にマスコミが多く使うことばとして広まっています。さて、この「アベノミクス」、最近 になって使われはじめたことばではないのです。調べてみると、実は、平成18年(2006年)、第一次安倍内閣のときにすでに使われていました。【経済成 長と財政再建は矛盾するものではないとの経済政策『アベノミクス』の基本哲学をひしひしと感じる】当時の幹事長、自民党の中川秀直氏の発言です。

中川さんが作ったことばかどうかは分かりませんが、第一次安倍内閣は1年しか続かなかったため、この時には定着しなかったようです。ところで、「アベノミ クス」にはその先祖となることばがあります。「レーガノミクス(レーガノミックス)」。1980年代アメリカの、レーガン政権の経済政策です。インフレと 不況を脱出するために大胆な経済政策の転換をしたことからこの名がつきました。「サッチャリズム」も有名です。「サッチャー」+「イズム(主義・説)」の ことで、同じ時期にイギリスのサッチャー首相が大胆な政策の転換をしたのです。このアメリカとイギリスの政策転換は、日本をはじめ他国にも大きな影響を与 えたことから、その名前が残っているのかもしれません。

 明らかにレーガノミクスのもじりであり、多くの人がそのことを知っているはずであるし、安倍晋三自身が任命した自身の内閣時代の党の総裁に次ぐ重要役職である幹事長が言い出した名称であることを知らなかったと言っても、誰も信じないだろう。

 また、中川秀直自身が安倍晋三に対して耳に入りやすい言葉として、「あなたの経済政策を『アベノミクス』と名づけて売り出しましょう」ぐらいは伝えたはずである。

 それを「誰が名づけたのかは、知りません」と言う。ハッタリ以外の何ものでもなく、ここにも謙虚さのなさと自信過剰が現れている。

 この記事で問題にしたいのは中韓に対する外交姿勢で見せている謙虚のなさであり、謙虚さとは逆の傲った姿勢である。

 この姿勢はダボス会議基調演説終了後の質疑応答にも現れている。

 靖国神社参拝で中韓の反発を招いたことについて。

 安倍晋三「国のために戦った方々に敬意をもって手を合わせ、冥福を祈るという世界各国のリーダーと同じことをした。 二度と戦争の惨禍で人々が苦しむことのない世界をつくると不戦の誓いをした。

 課題があるからこそ胸襟を開いて首脳 間で話し合いたい。対話のドアはい つも開いている」(時事ドットコム)――

 さらに安倍晋三は今月末から始まる中国の旧正月に当たる「春節」を祝うため日本滞在中国人向けの新聞3紙に寄稿したと、その内容をマスコミが伝えている。

 安倍晋三「日本は戦後68年間にわたり、ひたすらに平和の道をまい進しており、今後も この姿勢を貫くことに何ら変わりはな い。積極的平和主義の観点から、国際社会の平和と安定にこれまで以上に貢献し ていく。

 日中両国は今後、手を携え、地域と国際社会全体の発展のために責任を果たしていかなければならない。個別の課題があっても、2国間関係全体に影響させないようコントロールしていく 『戦略的互恵関係』の原点に立ち戻ることが必要であり、首脳レベルを含めて、さまざまなレベルで対話を行っていくことが重要だ。私の対話のドアは常にオープンだ」(NHK NEWS WEB)――
 
 言っていることはほぼ同じであり、いつも言っていることの繰返しとなっている。

 先ず安倍晋三は尤もらしい言葉遣いで例の如くに靖国参拝を正当づけているが、それは安倍晋三の自らの歴史認識に於ける価値観からの正当づけであって、中韓とは歴史認識の点で価値観が異なることを一切無視する驕りで成り立たせた正当づけ――価値観に過ぎない。

 韓国外務省報道官が1月23日の定例記者会見で、ダボス会議後の質疑で安倍晋三が靖国参拝に理解を求めたことについて次のように批判している。

 韓国外務省報道官「参拝しながら韓日友好を語るのが如何に矛盾しているか、韓国だけでなく、全世界のメディアと知識人、良識ある人々が声を上げ ている。この声が聞こえないのは理解しがたい。

 参拝は、帝国主義時代に日本が犯した過ちを反省していないのと同じだ。首相ら政治指導者が靖国神社を参拝しないことが、韓日友好、地域の安定の出発点だ」(時事ドットコム)―― 

 これが韓国の歴史認識上の価値観であり、中国も同じくしている価値観であろう。

 いわば安倍晋三は中韓の価値観を無視し、自身の価値観を押し通した。

 押し通すなら押し通すで以後の姿勢も終始一貫、整合性を持たせなければならないはずだ。

 相手の価値観を無視して、自身の価値観だけで行動すれば、相手から反発を買うのは当たり前で、反発を予定調和としなければならない。

 いわば中韓が反発することを分かっていながら靖国参拝を強行して相手の反発を誘い込んでおきながら、「日中両国は今後、手を携え、地域と国際社会全体の発展のために責任を果たしていかなければならない」だとか、「個別の課題があっても、2国間関係全体に影響させないようコントロールしていく 『戦略的互恵関係』の原点に立ち戻ることが必要」だとか、「首脳レベルを含めて、さまざまなレベルで対話を行っていくことが重要だ」、「私の対話のドアは常にオープンだ」などと自身の言っていることを正しい主張だとする論理・論法で発言を成り立たせている。

 当然この論理・論法には自分の正しさに反して相手を間違っているとする位置づけが行われている。

 これはケンカを売って仲違いを誘発しておきながら、自身の態度は改めずに仲違いは良くない、友好な関係が必要だから、話し合わなければならない、話し合わないのは間違っていると相手を批判するようなもので、この論理・論法にも話し合いに応じないことを理由に相手を批判することで悪者に位置づけて、友好な関係を求める話し合いの必要性を訴えている自身を正義の人に位置づける作為が込められていることになる。

 もう一つ別の喩えを言おう。

 夫の妻に対する家庭内暴力に耐えかねて妻が離婚を申し出たが、夫が応じないので裁判に訴えて離婚が認められた。夫は裁判の結果を承服することができず、妻に電話して話し合って関係を修復しようと申し出るが、妻はもう話し合う必要はない、電話もかけないでくれと断る。夫は妻に話し合わないのは卑怯だ、正しい態度とは言えないと妻を非難したとしたら、その非難の中で自身の態度こそ正しいと位置づけていることになる。

 安倍晋三の自身に対する位置づけはこれらと同類じである。

 基調演説での次の発言は中国を悪者にするための文脈となっている。

安倍晋三「アジア地域を、武力と威嚇でなく、信頼と秩序の地域としていくために、最後に私は、アジアと、そして世界へ向けて、訴えたいと思いま す。

 われわれは、アジア地域において、際限なく軍備が拡張されることを抑制しなければなりません。

 軍事予算を徹底的に透明にし、検証可能なかたちで公表すべきです。危機管理のためのメカニズム、軍同士のコミュニケーション・チャネルを整備すべきですし、海洋に関する国際法に基づいた行動を促すルールを、整えていかないといけません]――

 これは世界に向けて発信すべき言葉ではなく、中国に向けて直接発信すべき言葉であるはずだ。だが、そうはせずに諸外国を回って、訪問国から世界に向ける形で発信するのみで、そうすることによって、独り中国を悪者に位置づける作為を果たしている。

 狡賢いレトリックの駆使には長けているが、外交に長けた政治家とは決して言うことはできない。

 尤も、安倍晋三の合理的判断能力の欠如にふさわしい外交能力の欠如とは言うことができる。

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