安倍晋三が自身の靖国神社参拝は「英霊に対して尊崇の念を表し、二度と戦争を起こさないための不戦を誓う参拝」だと正当化していることに関して別の把え方をして見ることにした。
第2次安倍政権発足1年後2013年12月26日靖国神社参拝後対記者団発言。
安倍晋三>「本日靖国神社に参拝を致しました。日本のために尊い命を犠牲にされたご英霊に対し、尊崇の念を表し、そしてみ霊安らかなれと手を合わせて、参りました。
・・・・・・・・
そして二度と再び戦争の惨禍によって人々の苦しむことの無い時代を創るとの決意を込めて不戦の誓いを致しました」
同12月26日、首相官邸HP発表の参拝についての談話。
安倍晋三>「日本は、二度と戦争を起こしてはならない。私は、過去への痛切な反省の上に立って、そう考えています。戦争犠牲者の方々の御霊を前に、今後とも不戦の誓いを堅持していく決意を、新たにしてまいりました」
そして安倍晋三の靖国参拝に米国や中韓、その他の国から批判が上がると、政府は安倍晋三が参拝正当化理由として用いた「戦没者に尊崇の念を表し、不戦を誓うための参拝」を錦の御旗にして、その正当性を批判国に対して認めさせようとする画策に入った。
2014年1月1日の元旦早々、新藤総務大臣が外国の批判にカエルの面にショウベン状態で靖国神社を参拝。
新藤義孝「自分の心の問題として、私的な参拝をさせていただいた。戦争で命を落としたたくさんの方々に対し、尊崇の念を込めてお参りした。また、二度と戦争が繰り返されないように、平和への思いを新たにした」(NHK NEWS WEB)
この「二度と戦争が繰り返されないように、平和への思いを新たにした」も不戦の誓いということになる。
ある人間が「二度と失敗を繰返さない」と言うとき、その失敗とは一般的・抽象的な失敗を言うのではなく、過去に於いて自らが現実に経験した特定的・具体的な失敗を言い、その失敗は肯定し得ぬ否定的経験を意味することになる。
この逆はあり得ない。例えその失敗を次の挑戦の糧とすることはあったとしても、失敗そのものは二度と繰返してはならないとしている経験である以上、逆の否定し得ぬ肯定的経験とすることはさらに繰返してもよいことを前提とすることになって、論理矛盾を来たし、失敗の意味を失うことになる。
この失敗の原理を「二度と戦争を起こさない」という不戦の誓いに当てはめると、過去に於いて現実に経験した戦前日本の戦争は特定的・具体的な失敗と価値づけて初めて、その価値づけは「二度と戦争を起こさない」という不戦の誓いとの間に論理矛盾もなく整合性を得て、その誓いが失敗に対する信念として生きてくることになる。
ここでの特定的・具体的な失敗とは侵略戦争であったことを指すことは断るまでもない。聖戦として価値づけたり、アジア解放の戦争、自存自衛の戦争と価値づけたりして、その戦争を二度と繰返してはならない失敗だとした場合、その失敗は別の意味を持つことになる。いわば戦争の目的も戦争の内容も正しかったが、敗戦という一点のみが失敗ということになる。
だとすると、敗戦さえしなければ過去の戦争を繰返してもいいことになり、「二度と戦争を起こさない」という信念は整合性を失い、論理矛盾を来すばかり、言葉自体の意味をも失うことになる。
「二度と戦争を起こさない」と不戦の誓いをする以上、日本の戦前の戦争を国家的失敗としての侵略戦争と認めなければならないということであり、認めない以上、「二度と戦争を起こさない」の不戦の誓いは論理矛盾や整合性を無視したウソの言葉を用いたウソの誓いということになる。
大体が否定すべき戦争=侵略戦争と認めなければ、「過去への痛切な反省」は成り立たない。
だが、ご存知のように安倍晋三は戦前日本の戦争を侵略戦争だとは認めていない。
2013年5月15日参議院予算委員会。
安倍晋三「私は今まで日本が侵略しなかったと言ったことは一度もないわけでございます」
事実そのとおりだろうが、侵略したと言ったこともない。侵略だと言わないまま、「日本が侵略しなかったと言ったことは一度もない」と言っているのだから、侵略を認めないまま相手を納得させるギリギリの仄(ほの)めかし程度の詭弁に過ぎない。
2013年4月23日衆院予算委員会。
安倍晋三「特に侵略という定義については、これは学界的にも国際的にも定まっていないと言ってもいいんだろうと思うわけでございますし、それは国と国との関係において、どちら側から見るかということにおいて違うわけでございます」――
侵略戦争と認めていたなら、このような言葉を弄しない。認めていなからこそ、常に自身がどう定義づけているかが問われているにも関わらず、自身の定義は隠して、一般論的にそれぞれに異なる定義を持ち出したり、「国と国との関係」を持ち出して言い抜ける狡猾さを見せている。
要するに安倍晋三にしても新藤義孝にしても、同一線上で戦前の靖国思想に囚われているその他にしても、日本の戦前の戦争を否定すべき戦争=侵略戦争と認めないまま、「過去への痛切な反省」を口にして、「不戦の誓い」を立てているに過ぎない。
自らの論理矛盾やマヤカシには気づかないまま、外国の批判をウソの言葉とウソの誓いで懐柔しようとしている。