安倍政権の「河野談話」継承見直しなしの検証作業に見える、事実でないが継承しますの二重人格性

2014-03-14 08:02:42 | Weblog

 

 ――河野談話の事実が否定されたとしても、全体的には日本軍関与と強制連行は否定できない――

 2月20日の衆院予算委員会で菅官房長官が従軍慰安婦に対する旧日本軍の関与と強制性を認めた1993年の「河野談話」の見直しの検証作業を行う政府チームの設置を明らかにした。

 と言うことは、「河野談話」に書いてあることが事実なのか、全くの事実ではないウソなのかを検証することになる。あるいはどれだけ事実であり、どれだけ事実ではないウソが書かれているのかの検証ということになる。

 だが、検証如何に関わらず安倍内閣として「河野談話」を継承していくと言っている。

 3月12日午後の記者会見。

 菅官房長官「安倍政権は一貫して第1次安倍内閣で閣議決定された答弁書に対しますようにですね、河野談話を継承するという内閣の方針で、これは全く変わりはありません」(政府インターネットテレビ)――

 辻元清美の質問書に対して第1次安倍内閣は2007年3月16日に従軍慰安婦の軍関与と強制性について次のように答弁書を出している。

 〈お尋ねは、「強制性」の定義に関連するものであるが、慰安婦問題については、政府において、平成三年十二月から平成五年八月まで関係資料の調査及び関係者からの聞き取りを行い、これらを全体として判断した結果、同月四日の内閣官房長官談話(以下「官房長官談話」という。)のとおりとなったものである。また、同日の調査結果の発表までに政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかったところである。〉――

 旧日本軍の関与と強制性を否定した。

 そして、〈官房長官談話は、閣議決定はされていないが、歴代の内閣が継承しているものである。〉として、〈政府の基本的立場は、官房長官談話を継承しているというものであり、その内容を閣議決定することは考えていない。〉

 「河野談話」は閣議決定されていなかった。しかし安倍内閣として「河野談話」を閣議決定するつもりはないが、歴代内閣が継承しているように第1次安倍内閣としても継承しているとしている。

 閣議決定によって決定された事柄は政府全体の合意事項となる。

 いわば「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」ことを以って閣議決定して、政府全体の合意事項とする程の重要性は全く認めていないが、第1次安倍内閣として「河野談話」の継承は政府全体の合意事項とするということになる。

 安倍晋三は第1次安倍内閣の時点で既に「河野談話」は事実ではない、その内容はウソだとしていたのである。

 にも関わらず、継承に関しては政府全体の合意事項とする。

 欺瞞そのもので、二重人格の体をなしている。

 勿論、安倍晋三が歴史修正主義者である以上、自らに課したニ重人格から脱したい強い衝動を同時に抱えていたはずだ。

 この衝動が2012年9月16日の自民党総裁選討論会での安倍晋三の発言となって現れた。

 安倍晋三「河野洋平官房長官談話によって、強制的に軍が家に入り込み女性を人さらいのように連れていって慰安婦にしたという不名誉を日本は背負っている。安倍政権のときに強制性はなかったという閣議決定をしたが、多くの人たちは知らない。河野談話を修正したことをもう一度確定する必要がある。孫の代までこの不名誉を背負わせるわけにはいかない」――

 要するに閣議決定した「河野談話」否定が第1次安倍内閣の全体的な合意事項であって、「孫の代まで」「河野談話」の「不名誉を背負わせるわけにはいかない」から、閣議決定の重要性を国民に知らせて、否定を確定事項としなければならないと言っている。

 そうすることによって安倍晋三は二重人格の状況から脱することが可能となり、歴史修正は完成する。

 だが、二重人格の状況からの脱出を強く望みながら、外交上の理由からだろう、依然として二重人格を自らに強いることになっている。

 そこで同じ二重人格状況であっても、「河野談話」の再検証によって内容が事実でないこと、ウソであることを再度確認して、その非事実性と、同時に旧日本軍は間違っていなかったとする事実の国民に対する周知徹底を謀る歴史修正によって、例え「河野談話」を継承することがあっても、継承よりも「河野談話」の非事実性を全面に押し出すことができて、あるいは一人歩きさせることになって、限りなく二重人格性を薄めることが可能となる。

 但しこのような構図は国際的に見た場合、継承は国外向け、事実否定は国内向けという、新たな二重人格性を生むことになる。

 あわよくば、「河野談話」の歴史修正に恵まれないとも限らないという希望的観測がそこに混じっていない保証はなく、それが実現したとき、初めて一切の二重人格状況から解放されることになる。

 既にブログに何度も書いてきたように、安倍晋三が言う「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」ことが事実であったとしても、「軍や官憲によるいわゆる強制連行」に関しては占領インドネシアでの現地インドネシア人女性と民間収容所のオランダ人女性を両者共に未成年者を含んで日本軍兵士が暴力的略取・誘拐の形で強制連行した事実が複数の人間による聞き取り調査によって明らかになっていて、記録に残されている以上、全体的には決して否定することはできない。

 例え安倍晋三が日本人優越意識に基づいた戦前の日本国家を否定したくないために歴史修正の衝動を抱え続けたとしても、従軍慰安婦に関わる軍関与とその強制性を全体的に否定することができない以上、「河野談話」にしても資料がないからといって全面否定するわけにはいかず、河野談話否定と継承のどのような二重人格性を抱え続けることになるはずだ。

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