【謝罪】
昨日のブログ題名でトルコ首相の名前を「エルドレアン」と間違って表記してしまいました。本文中の表記は間違っていませんでしたが、あとで訂正しておきました。謝罪します。
謝罪ついでに、アメリカ政府のカーニー米大統領報道官が3月21日に早速声明を出し、エルドアン首相のツイッター遮断は表現の自由や民主主義に反すると「深い懸念」を表明、遮断措置を撤回するよう促したと、「MSN産経」記事が伝えていた。
この声明はアメリカ政府によるトルコ国民の言論の自由・表現の自由を守るための基本的人権上の集団的自衛権の行使と言えないこともない。トルコ国民の言論の自由・表現の自由を守る闘いにアメリカ政府が「声明」の形で共に闘うべく参戦した。
安倍晋三の自らのお友達に対する音無しの構えとは雲泥の差である。外国民の基本的人権の侵害に対して外国民と共に闘う集団的自衛権の考えは持ち合わせていない。
エルドアン首相のツイッター遮断に対して米ツイッター社がトルコ国民に対して結果的に集団的自衛権の行使となる迂回措置を公表している。
「日経電子版」が3月22日付の記事で伝えているが、勿論、「集団的自衛権の行使」という言葉は使っていない。
携帯電話のショートメッセージ機能を使った代替の投稿手段だそうで、メッセージの宛先に決まった数字を入力すると、内容が禁止措置をかいくぐってツイッター上に投稿される、いわば“自衛権”の行使で、2月にベネズエラ政府がサービスを遮断した際も同様の対抗策を取ったと伝えている。
この“自衛権”に加えて、ツイッター上ではネットの接続場所がトルコと分からないようにする“自衛権”も急速に拡散していて、〈調査会社によれば禁止後の半日でトルコ語による「つぶやき」は600万を超え、通常時より3割以上増加している〉と解説している。
集団的自衛権は何も軍事に限ったことではない。
安倍晋三が昨日(2014年3月22日)、防衛大学校の卒業式で訓示を行っている。首相官邸HPを覗いたが、日曜日の朝になってもアップされていない。インターネット上を探してみると、次の記事が全文を伝えていた。ここから必要な箇所を引用することにした。
《「現実を踏まえた安全保障政策の立て直しを進める」安倍首相が防大卒業式で訓示》(BLOGOS編集部/2014年03月22日 22:04)
安倍晋三「雪中松柏愈青青(せっちゅうのしょうはく、いよいよせいせいたり)」という言葉があります。
雪が降り積もる中でも、青々と葉を付け凛とした松の木の佇まい。そこに重ねて、いかなる困難に直面しても、強い信念を持って立ち向かう人を称える言葉です。
もちろん、このような事故(15年前の海上自衛隊機の墜落事故)は二度とあってはならない。我々はそのために全力を尽くさねばなりません。しかし、国家の存立にかかわる困難な任務に就く諸君は、万が一の事態に直面するかもしれない。その時には、全身全霊を捧げて、国民の生命と財産、日本の領土・領海・領空は断固として守り抜く。その信念を固く持ち続けてほしいと思います。そのために、どんな風雪にもびくともしない、あの松の木のごとく、諸君には、いかなる厳しい訓練や任務にも、耐えていってもらいたいと思います」――
安倍晋三「日本を取り巻く現実は一層厳しさを増しています。緊張感の高い現場で、今この瞬間も、士気高く任務に当たる自衛隊員の姿は、私の誇りであります。南西の海では主権に対する挑発も相次いでいます。北朝鮮による大量破壊兵器や弾道ミサイルの脅威も深刻さを増しています。
日本近海の公海上において、ミサイル防衛のため警戒にあたる米国のイージス艦が攻撃を受けるかもしれない。これは机上の空論ではありません。現実に起こりえる事態です。そのときに、日本は何もできないということで本当に良いのか。
戦後68年間にわたる我が国の平和国家としての歩みは、これからも決して変わることはありません。現実から乖離した観念論を振りかざして、これまでの歩みを踏み外すようなことは絶対に無い。我が国の立場は明確です。
しかし、平和国家という言葉を口で唱えるだけで平和が得られるわけでもありません。もはや現実から目を背け、建前論に終始している余裕もありません。必要なことは、現実に即した具体的な行動論と、そのための法的基盤の整備。それだけです。私は、現実を踏まえた安全保障政策の立て直しを進めて参ります」――
安倍晋三「日露戦争の後、学習院長に親任された乃木希典陸軍大将は、軍人に教育などできるのか、との批判に、こう答えたと言います。どんな任務が与えられても、誠実に、真心をもって全力を尽くす。その一点では、誰にも、絶対に、負けない。その覚悟をもって、諸君にはこれからの幹部自衛官としての歩みを進めていってもらいたいと思います。
その第一は、何よりも、諸君を支えてくれる人たちへの感謝の気持ちです。乃木大将は、常に第一線にあって兵士たちと苦楽を共にすることを信条としていた、といいます。諸君にも、部下となる自衛隊員たちの気持ちに寄り添える幹部自衛官となってほしい。同時に、諸君を育んで下さったご家族への感謝の気持ちを忘れないでほしいと思います」――
雪の中の松の木の譬えを持ち出して、「全身全霊を捧げて、国民の生命と財産、日本の領土・領海・領空は断固として守り抜く。その信念を固く持ち続けてほしい」にしても、乃木希典の喩えを利用した、「どんな任務が与えられても、誠実に、真心をもって全力を尽くす。その一点では、誰にも、絶対に、負けない。その覚悟をもって」にしても情緒的な精神論に過ぎない。このような精神論が勢いだけの突撃精神を生む。
必要とするのは合理的に考える力であるはずだ。否応もなしに人間が陥る恐怖や怯えや迷い、あるいは損得の打算と戦い、その時々で選択しなければならない行動を的確に把握して即座に実際行動に移す責任能力を発揮可能とする思考能力であるはずだ。
15年前の海上自衛隊機の墜落事故で殉職した二人の自衛隊員にしても、危機的状況に遭遇しても情緒一方の感情では決して成すことはできない、責任能力発揮可能な冷静な思考能力を失わなかった代償としてあった殉職であったはずだ。
戦前の日本軍は精神論に頼った勢いだけの突撃を主たる戦術としたがゆえに死を招くだけの玉砕を結末とすることになったと聞く。
安倍晋三は戦前の日本軍の精神論を引き継ぐ古い頭の持ち主であることをここで曝した。
ここで取り上げた安倍晋三の発言のうち、日本を取り巻く安全保障環境の厳格化以下の発言は自身が掲げている憲法解釈変更による集団的自衛権行使容認を訴えたものであるのは誰の目にも明らかである。
それが「現実を踏まえた安全保障政策の立て直し」というわけである。
だが、憲法解釈変更による集団的自衛権の行使容認であろうと憲法9条改正による集団的自衛権の行使容認であろうと、軍事面に限った自衛権に過ぎない。このことは「ミサイル防衛のため警戒にあたる米国のイージス艦が攻撃を受けるかもしれないと言っていることが証明している。
但し、軍事だけが対外国問題の解決手段ではない。
今回のウクライナのクリミア自治共和国のロシア編入問題でも、クリミアがロシア系住民が人口の60%以上を占めると言っても、40%近くは他民族が存在することとウクライナの憲法を無視して、ロシアの軍事的制圧下でロシア系住民が過半数を占めることを民主主義を装った賛成多数の予定調和としてクリミアの住民投票を行い、タタール人等の他民族が住民投票をボイコットしたために結果として90%以上の民主主義的賛成多数を獲得したものの、国土と主権の一体性を保障する国際法の違反行為であることに変わりはないこれらの経緯に関しても、安倍晋三はロシアに対して制裁と言える制裁は見送ることで、アメリカやEUと共にウクライナの領土と主権の一体性の破壊と国際法違反でしかないロシア編入阻止の外交上の集団的自衛権の発動には加わらなかった。
自国の国益だけを考えたこのような一国平和主義的な外交上の集団的自衛権の機能停止は、例え軍事的に集団的自衛権行使の場面に遭遇しても、国益や自国経済の損得が絡んできた場合、軍事上も最後まで運命を共にする集団的自衛権を機能させることができるかは疑わしい。
何しろ精神論だけで軍事を語る単細胞な国家主義者・軍事バカである。